<9月29日の日記>
先日プレゼンしたメキシコ先住民の一つMazahua=マサウアの女性が授業に来て話をしてくれました。
メキシコには60を超える先住民言語が今でも存在していて、その言語をもつ人々はかつて自分たちのコミュニティの中だけで暮らしていました。今ではかつてのような自分たちの中だけで完結するような生活を送ることは困難な状況になり、たくさんの人が現金収入を求めて都市へ移動してきています。都市へ移動してきたとしても同じ民族同士でコミュニティを形成して暮らしている場合が多いそうです。
お話をうかがったセニョーラも12歳の時に村での暮らしに耐えられなくなり、メキシコシティに移住していたおばさんに頼み込んで自分も連れて行ってもらったそうです。できることは何でもやり、ひどい目にあったりもしたけれど、よい出会いがあってベビーシッターをしながらスペイン語を身につけることができたそうです。2度結婚もし、子どもと引き離されるなど、辛いこともあったけれどその時その時を一生懸命に生きてきたそうです。今はかつての同じ村ではないけれど、田舎に戻って穏やかに暮らしていると涙ながらに語ってくれました。
先住民の村には学校や教師が十分に配置されておらず、教育を受けられない、あるいは教育を受けても意味がなく家庭の仕事に人手が必要だと感じて学校に行かせない親がたくさんいるとのことでした。先住民の人が都会に出てきても、学歴も身寄りもなければ仕事や家が簡単に見つかるわけではなく、差別に苦しんだり、マフィアの管轄下にある物売りや物乞いをさせられたり、路上で生活しなければならない場合もあるのだそうです。
今後都会へ移住しようとする村の人がいたらなんとアドバイスをするかと尋ねたら「行かないで、行っては行けないと言う」と言っていました。それでも村の人々が都会へ移動するのは、都会の暮らしがどんなに不安定でつらいとわかっていても、村で暮らしていくことはもっと困難だから、と。
メキシコで暮らしていて、貧富の差とか差別意識とか想像以上で衝撃を受けます。何よりそういう弱い立場にある人たちに選択肢がないことにもどかしさを感じてしまいます。その選択肢を与えるのは公教育やろ!先住民言語や文化を守るべきだと彼らに押し付けることが最善だとも思わないけれど、教育の不平等はすぐなんとかできるでしょ!と思う。メキシコシティの公立学校でタブレット端末を高学年全員に配布するようになったなどの情報を聞いて、そこ先じゃないやろ!先に子ども全員に学校と先生配置してよ!と憤ってしまったのでした。
講演終了後は持ってきていた民芸品をいくつか購入しました。いい思い出の品になりました。
もうちょっときちんとメキシコのことを知って、考えてみます。