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改めて気にかけて見てみると、首都圏のラッシュアワーのターミナル駅の階段付近の風景は、昨今随分と様変わりしてきているような気がします。
昭和から平成のバブルの前後まで、朝夕の駅の階段は時間を急ぐ通勤通学客でいっぱいでした。通勤客の年齢が(平均すれば)今よりもかなり若かったこともあるのでしょう。24時間働くような「モーレツサラリーマン」もたくさんいて、彼らが上着を片手に競うように階段を駆け昇る姿をよく見かけたものです。
平成に入り駅などのエスカレーターが一般化した後も、これを大人しく立ったままで乗っている人は実は少数派で、ほとんどの人が右側の追い越しレーンを(もっとも左側のレーンの人もそれなりに歩いていたのですが)我先にという感じでずんずんと昇っていました。
しかし、時が移り「令和」の時代を迎えた現在では、サラリーマンからOL、通学の学生に至るまで、ホームでは大勢の老若男女がエスカレーターの左側に乗るため、大人しく行列を作っていることが珍しくありません。そんな状況であっても、多くの場合右側の追い越しレーンの方がガラガラで、空気だけが運ばれていることが多いようです。
また、利用者の荷物が大きくなったりお年寄りが増えたりしているせいもあってか改札に続くエレベーターも意外な人気で、乗り込むまでに(のんびりと)ひとつふたつ見送ってもそんなに気にする様子もなさそうです。
この30年間で日本人は急がなくなり競わなくなった。気が付けば、高齢化などに伴って「安全のためエスカレーターでは歩いてはいけない」というのがマナー(というよりはルール)として定着するようになり、安心安全が何よりも優先される「成熟」した社会が訪れたということでしょう。
私自身はそれほど「せっかち」というわけではないのですが、ほとんど人が乗っていない長いエスカレーターの右レーンを目の当たりにするにつけ、昭和の高度成長期を目の当たりにしてきた日本人の一人としてしばしば「残念」というか「もったいない」というか、そんな気がしがしてならないのも事実です。
こうした状況で、エスカレーターの右側を歩いたら、きっとほかの利用者から白い目で見られることでしょう。もしかしたら「ルール違反だ」と駅員さんや几帳面な人などに怒られてしまうかもしれません。
そうはいっても、中にはきっと急いでいる人もいるのだろうし、もう少し(融通が利く)効率的・合理的なルールーがあってもいいのではないか。そんなことを感じていたところ、東洋経済オンライに掲載されていたフリーライターの杉山淳一氏による「エスカレーター片側空けは本当に危険なのか」(2019.2.19)と題するレポートが目に留まりました。
エスカレーターの片側空けをやめて全員が2列に並ぶと、エスカレーター本来の輸送力をフルに使えるという。そうすれば、全体では輸送効率は最大化され待ち行列の解消も早いのは(理屈では)分かるが、人はなかなか理屈では動かないと杉山氏はこのレポートに記しています。
全員の輸送時間は平均化されるけれども、急ぎたい人の不満は大きくなる。一方、並ぶ人はいつまでも並べるし、楽をしたい人は行列を苦としない。つまり、輸送効率論は利用者の満足度を考慮しない空論にすぎず、(そんなことを言ったら)効率第一に考えれば2列に並んで全員が歩いたほうが最大化できるというのが氏の指摘するところです。
急ぐ人は階段を利用してくださいというのも無理な話で、急ぐからこそエスカレーターの推進力を利用したい人も多いと氏は言います。なぜ急ぎたい人が階段とエスカレーターのスピード競争を強いられるのか。むしろ急がない人は階段をゆっくりと休憩しながら上っていけばいいではないかといった考え方もあるということです。
エスカレーターで(追い越し用の)片側明けが推奨されない理由に「エスカレーターの歩行は危険」という指摘があるが、実はその危険性はデータでは明らかにされていないと氏はこのレポートで指摘しています。
確かに立ち止まるよりは危険度は高そうだが、少なくともJRの事故統計に示されたデータからは見えてこない。実際、2013~2014年の2年間に起きたエスカレーター関連の事故751件のうち「階段上の歩行(段差状部分の歩行)」を示す具体的な数値はなく、それぞれに「手すりにつかまらない」「はみ出し」「荷物の落下」「ふらつき」など様々な原因が示されているということです。
エスカレーターを歩いて昇る人は手すりにつかまらないから危険だというならば、手すりをつかんで歩くように勧めればいい。片側空けよりも、(歩く人もたち人も)手すりにつかまるようにすることがまず重要であり、現在JRが進めている「手すりにつかまろうキャンペーン」の徹底が求められるべきというのがこの問題に対する杉山氏の見解です。
このレポートを書くに当たり、歩行の危険性について大手エスカレーター製造会社に問い合わせてみたところ、(匿名を前提としてではあるが)「私たちの製品は、階段上で歩いたくらいで壊れたり危険な状態になったりすることはない」とする回答をもらったと杉山氏は説明しています。
エスカレーターの基本構造については安全面から様々に規格で定められているのでしょうが、技術開発によってさらに安全性を追求する余地もあることでしょう。
そう考えれば、病院やデパート、遊園地などの(急ぐ必要のない)エスカレーターでは技術的にあえて歩きにくく(または歩けないように)するとか、駅などの(一定の効率を優先させるべき)エスカレーターでは片側を歩くことを前提とした構造やサイズにするなど、確かに技術的なもので問題を解決する方法はありそうな気がします。
さて、そもそもエスカレーターの利用方法を巡るこうした議論を聞いていて感じるのは、(例えば、デパート、遊園地、病院、駅など)設置場所によって状況が様々に異なるエスカレーターについて、一律に規則(ルール)として定める必要があるのかという疑問です。
利用者には、小さい子供や若い人もいればお年寄りもいる。急ぐ人もいればのんびり行きたい人もいる。そうしたそれぞれに事情がある中、皆が配慮をしながらその場その場でマナーを守ることで安全性をカバーすることができるのではないか。
そもそも、本当の成熟した社会とは、(それぞれの判断で)多様性を認め合う社会なのではないかとの指摘も聞きます。
危険性が予想される場所では設置者の判断でルールを明示することはもちろん必要でしょうが、基本は大人としての利用者の判断、他者への思いやりと配慮で解決できる問題も多いと思うのですがいかがでしょうか。
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