2期10年までと定められていた国家主席の任期制限を2018年に撤廃した習近平氏は、名実ともに毛沢東以来の最も権力を持つ中国の指導者となりました。
100年間の屈辱をバネに、米国を中心とした自由主義諸国との対立も辞さない強い態度を示す習政権。特に近年では、香港統治へのあからさまな介入や思想統制に見られるように、いよいよ国内的にもその(権力の)地盤固めに本腰を入れ始めたように見えます。
中国共産党指導部は現在、資本主義の行き過ぎを抑え欧米による負の文化的影響を排除するとして、教育や思想、風俗などへの様々な規制を矢継ぎ早に繰り出しています。イデオロギーとしての「共産主義」の存在を改めて感じさせられるこうした動きは、14億の人口を抱える中国社会と世界第2位まで膨らんだ経済を、どこに連れて行こうとしているのか。
懐に秘めていた共産主義の理想に向け(こうして)一気に走り出した観のある中国習近平政権に対し、法政大学大学院教授の真壁昭夫氏が9月13日の「PRESIDENT Online」に、「『まるで"文化大革命"の再来だ』自分の思想を教科書に載せはじめた中国・習近平の末路」と題する興味深い論考を寄せいています。
習近平国家主席をトップとする中国共産党指導部が、ここに来て社会と経済への統制を一段と強めている。その顕著な例が“習近平思想”の履修義務化だと、真壁氏はこの論考に記しています。
そのほかにも、グロパル企業を経営する超富裕層や芸能人、IT先端企業などへの締め付けが日増しに強まっている。これらはいずれも“文化大革命”の時代を思い起こさせる(極めてリスクフルな)行動だというのが氏の指摘するところです。
振り返れば文化大革命は、共産党指導部中枢における権力闘争だったと、氏はこの論考に綴っています。
中国では、戦功の指導者毛沢東の指揮の下、1958年から「大躍進政策」が始まり、農作物や工業製品の生産量を短期間で大幅に引き上げようとした。しかし、専門知識が不足する中で無理やりに農地開墾や製鉄所建設が進められた結果、農地は荒れ果て、多くの資源が浪費されたと氏は言います。
その一方で、毛沢東は反対派への弾圧を強めた。これにより社会は混乱し、(一説には数千万人の餓死者を出すなど)経済が大きく停滞したことで、1959年に毛沢東は一旦国家主席の地位を退いています。
そして、(この失敗によって)共産党トップの座を追われた毛沢東が、再び権力を取り戻すために若者を紅衛兵として扇動し引き起こした民衆運動が、1966年から10年間に及んだ「文化大革命」だとされています。
毛沢東は、権力の挽回と自らをトップとする支配体制を目指して文化大革命を起こした。毛沢東の考えをまとめた『毛主席語録』を持った紅衛兵が知識人を迫害し、文化財を破壊。文化大革命は落ち込んでいた農業生産力をさらに減殺したと言われています。
そして、経済の低迷と社会の長い混乱の後、政治の表舞台に返り咲き国家主席となったのが鄧小平です。まずは経済成長を実現しなければ共産党の支配体制を維持できなくなると危機感を強めた彼は、毛沢東の政策を大きく転換。1978年から“改革開放”政策に打って出たと真壁氏は説明しています。
鄧氏の改革開放では、「豊かになれる者や地域から豊かになればよい」という(いわゆる)「先富論」のもと、経済特区の設置による海外企業の誘致や重厚長大分野における国有・国営企業への技術移転が進められた。
「白い猫でも黒い猫でも、鼠を捕る猫はよい猫だ」というのは鄧氏の言葉として広く知られていますが、「革命の理想」には少しの間目をつぶってでも経済を優先させようという(ある意味)現実主義的な改革開放路線に、過去40年間の中国経済の高成長は支えられてきたということでしょう。
鄧小平が改革開放で目指したのは、共産党指導部の指揮によって高い経済成長率が達成され、全国民がそのおこぼれとしての所得増加を実感することだった。また、実際、そうした状況が続くことが共産党の求心力を支え、支配体制の維持につながってきたと真壁氏はここで話しています。
しかし、その結果、共産党幹部と民間IT先端企業などの創業経営者に富が偏在し、中国社会では貧富の格差が急速に拡大するようになった。所得の格差を示すジニ係数は0.4を超えると社会騒乱の懸念が高まるといわれているが、現在の中国は既に0.6を超えていると指摘する中国経済の専門家も少なくないということです。
こうした現実を重く見た習指導部は、貧富の格差の拡大による社会心理の悪化を避けるため、現在、民間企業創業者への締め付けを強めている。その一方で、自らの権力を維持するべく、教育・思想・文化への統制を強めているというのが真壁氏の指摘するところです。
「習近平思想」の履修義務化や、学習塾の営業禁止、韓流アイドルを応援するファンクラブ活動の規制、脱税容疑による有名俳優の摘発など、その内容は(大きなものから小さなものまで)様々に広まっている。おそらくは、習主席の側近たちが、(習氏への御機嫌取りの意味も含め)あれやこれやと話題作りをしているという部分もあるのでしょう。
こうした状況に対し、真壁氏は「今後さらに“チャイナリスク”は高まるだろう」と予想しています。
習氏が自らの支配基盤を強化して共産党の一党独裁体制を守ろうとすれば、そこには、中国経済の成長を支えてきたアリババやテンセントなど民間のアニマルスピリットの減退や、潜在成長率が低下などの懸念が生まれるだろう。
一方、2018年に習氏は憲法を改正した習氏は、生涯にわたって中国の最高意思決定権者と君臨するべく、思想教育に加え、IT先端企業や民間企業の創業経営者、リベラル派、少数民族などをけん制し、共産党政権への批判を行う個人などへの監視や締め付けをさらに強めていくだろうというのが真壁氏の懸念するところです。
しかし、それは中国共産党にとって「いつか通った道」に過ぎない。永遠の権力のために個人崇拝を強めるその姿は、文化大革命当時の毛沢東の行動様式と大きく重なっているというのが真壁氏の認識です。
もとより、経済の成長には人々の自由な発想や多様性が不可欠だと氏はこの論考で指摘しています。多くの人が希望や夢を実現しようと思いを巡らせ、行動することが付加価値の源泉となる。様々な考え方や発想の人がいてこそ、経済を前に進ませるイノベーションは生まれてくるということでしょう。
そうした中、足許の習政権は人々のアニマルスピリットを押さえ込み、社会全体が習氏の考えに従う状況を目指しているように見える。それは(必ずや)中国経済のダイナミズムを失わせ、経済を毀損する方向に向かわせるだろうと話すこの論考における真壁氏の指摘を、私も興味深く受け止めたところです。
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