「おどろきの中国」(講談社新書 橋本大三郎、大澤真幸、宮台真司著)を先ほど読了。
最近は経済学や社会学の論客による対談本がブームです。これは、企画さえしてしまえば、対談を原稿に落として校正・推敲していく方が、一から原稿を執筆してもらうより随分と効率がよいという出版社側の都合の方が大きいようですが、この本もそうしたブームに乗っかった一冊と言えるのかもしれません。
対談ものの常として、論旨の構成がどうもしっかりしておらず対談の流れの中で話がどんどん滑っていく傾向があるのはやむを得ません。しかし、中国の専門家である社会学者橋本大三郎氏に二人の若手(といっても既に50代ですが)の論客が挑むというちょっと刺激的な要素が受けたのか、既に15万部が世に出ているそうです。
対談は、2人の率直な疑問に橋爪氏が答えていくという問答のような形で進むため、素人にもわかりやすく、多少とんがってはいますが切れ味の良い内容となっています。
さて、この本の主題は大きく分けて3つあります。ひとつは中国という国家のあり様に対する漠然とした違和感の根源がどこにあるのかという疑問を解き明かしたいということです。副題ともなっているように、彼らは「中国とはそもそも『国家』なのか」というところから議論を始めています。
ふたつ目は、現在、日中間における摩擦の最も大きな原因となっている歴史認識の問題をどのように読み解き、この隣人とどのように接していくべきかというものです。現在の状況について原因はどこにありどうしていくべきなのか、3人なりの結論を得る形になっています。
三つ目は、中国の「社会資本主義経済」は今後どのような形で進んでいくのかということです。果たして中国は世界経済の覇権を握ることができるのか、日本は国際社会において中国に対しどのように振る舞っていくべきなのかについて議論を進めています。
日本にとって良くも悪くも最も影響の大きい隣国であるばかりでなく、今後の世界のパワーバランスをも左右する中国。一方で、西洋的なものの見方では理解できない人権への感覚と、社会主義の中に資本主義を平気で同居させる懐の深さを見せつける得体の知れない国、中国。
近代以来、中国を上から目線で見下すことに慣れてきた我々は、過去の歴史問題などを踏まえ今後どのようにこの国と付き合っていけばよいのでしょうか。果たして、日本人が中国を理解することなど本当に可能なのでしょうか。
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