引き続き、「おどろきの中国」(講談社新書 橋本大三郎、大澤真幸、宮台真司著)について整理します。
改めて、本書の主張と感想について結論だけを簡単に記しておきます(やや「ネタバレ注意」)。
まず、国家としての中華人民共和国のあり様についてです。現在の中国には、辛亥革命から始まる一部のエリートによる西洋的な国民国家を目指した運動と、中華思想に基づく前近代的な帝国としての国家観(領土や統治というものへの感覚とでも言うのでしょうか)が微妙に交錯しており、「国民」や「主権」といった本質的な部分で必ずしも西洋諸国と共通の土俵上にはないというものです。そしてここが中国を理解するための大きなポイントだとしています。
中国の人々の感性には、天命を受けた皇帝によるいわゆる「易姓革命」の思想が色濃く残されており、毛沢東はそうした「皇帝の威信」をベースに置くことで革命闘争や文化大革命を遂行できたという話には説得力があります。
また、マルクス・レーニン主義は、大衆を動かすための世界観(いわゆる宗教)としての役割を果たしており、いずれにしても、そうした背景を理解せずうかつな態度で中国に接するのは非常に危険だという指摘がありました。
次に、日中間の歴史認識の話です。そもそも、日本は極東におけるソ連との勢力争いを有利に進める目的で大陸に進出したのであり本来の敵はソ連であったはずなのに、軍部(関東軍=現場)のなし崩し的な独走により、いつの間にか中国全土を相手に戦争を行うことになっていった。中国との戦いは、大義名分や主義主張、そして戦略がない侵略行為であった。
こうした中、いわゆる戦争責任は軍部にばかりあるのではなく、本来それを追認し賞賛した世論にありマスコミにもあったはずだとしてます。また、規模の大小はともかく、大陸において一部の日本兵によって行われた民間人の迫害や略奪行為は、軍としての指示に基づくものでなかったからこそその責任は兵士個人に還元され、現在の日本人にとって反省や謝罪の対象となりにくいとの指摘です。
そうした中、いわゆる「東京裁判」は、戦勝国サイドが一連の日本の侵略行為に対する責任の所在を整理するセレモニーとして企画されたものであり、戦争責任は「A級戦犯にある」との物語を作り上げ、世界に示すことにより日本国民を戦争責任から解放し、東アジアの新秩序を作っていこうとする「虚構」であったとの認識を示しています。
で、あるので、今さら日本人が東京裁判の不当性を叫んだり、A級戦犯を靖国神社に合祀したり、政府の要人がその靖国神社を公式参拝したり、日中戦争にはやむを得ない部分もあったと蒸し返したりするのはルール違反に当たるという主張です。
中国の指導者層は、こうした日本のルール違反により中国人民の感情が害され、大衆が暴発する(そしてその動きが政府に向かう)ことを恐れており、日本政府の対応に不信感を感じているとの指摘でした。
ついでに言うと、ドイツでは第二次世界大戦やホロコーストの責任は「ナチス」にあるとの整理(虚構)を最大限に尊重することにより世界から国民を免責するとともに、国民に責任はないが戦争により傷ついた被害については「交戦国として未来の共存共栄のために出来る限りの支援をしていく」という立場に立っている。
「周囲に言われるからイヤイヤ謝る」という村山談話のようなものではく、日本もこうした未来志向の主体的な物語をきちんと作り上げる努力をすべきだとしています。
さて、最後に、今後の社会資本主義の動向についてです。
小平による「改革開放政策」は、マルクス・レーニン主義とは無縁の言うなれば「とんでもない」政策転換であった。それを可能にしたのは小平が手にした皇帝としての歴史的なカリスマ性であり、文化大革命の終了により人民が感じ得た開放感がそれを後押ししたとの認識に立っています。
改革開放施策への転換以降、中国では経済規模の拡大基調が続いていますが、そもそも現在の体制は高度成長が前提となっており、格差や腐敗などの様々な矛盾を成長が飲み込み相対的に是認されていると位置づけています。従って、安定成長や低成長が始まれば社会全体が不満・不安ベースとなり、それゆえポピュリズムが起動しやすくなるだろうという指摘です。
こうした状況を回避するためには、将来のポジティブな展望を確保するため、次の段階に向けた何らかの構造調整が必要になるだろうというのがひとつの予想として示されています。
一方、本書では、一国家がヘゲモニー(覇権)を持つためには、軍事的、政治的、経済的に他国を圧倒するばかりでなく、国際公共財を他国に提供できるかどうかが重要な要素となるとしています。
これまでキリスト教国の文明圏で発展してきた資本主義において、なじみのない中国文化圏への覇権の移動がそう簡単に進むはずがなく、凋落傾向にあるアメリカを周辺国が助けるという、アメリカを中心とする集団覇権体制が将来もしばらくは続いていくだろうというのが本書の予測です。
いずれにしても、日米関係、日中関係は「米中関係の付属物に過ぎない」ということを改めて認識しておく必要があるとの指摘が光ります。特にこれからの日中関係は、米中関係を十分に吟味しながら冷静に対応していく必要があるだろうというものです。
また、本書では、日本は中国に対して、自国の立場を説明する努力に欠けているという指摘も行われています。中国という歴史や文明をよく学びリスペクトする姿勢がないと、新たな日中関係を築いていくことは難しいだろうという指摘もありました。
さて、隣国、中国への認識や態度については様々な主義・主張があることは理解しています。異なる考え方を感情的に一刀両断するのではなく、国際感覚を磨きながらクールに対応していくことを国際社会は日本に求めていると、読了後改めて感じた次第です。
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