MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯987 ヘリコプターペアレント

2018年02月06日 | 社会・経済


 「モンスターペアレント」という言葉がメディアなどで使われるようになってから、もうずいぶの月日が経ちました。

 モンスターペアレントは、学校の教員や校長、さらには教育委員会や自治体などのより権限の強い部署に我が子に対する特別扱いを要求したり、理不尽なクレームを持ち込んで現場の現場に圧力をかけたりすることを厭わない親たちを指す言葉として、現在では(既に)広く市民権を得ていると言ってよいでしょう。

 もっとも、こうした言葉が生まれるずいぶん以前から、学校に(ある種の)「いちゃもん」を付けてくる親は確かにいたとされています。

 しかし、親自身の社会性が大きく損なわれていく一方で、教員の社会的な地位の低下や学校の責任体制のゆがみなどが相まって、こうした問題がこのように社会問題するまでに顕在化したということなのかもしれません。

 最近、学校の教師と話をする機会がよくあるのですが、確かに彼らの口からは、恐ろしいまでに自己中心的な親たちの姿が語られることが多くなっているような気がします。

 クラス替えや担任替えを一方的に求めるのは序の口で、担任や教科担当の教員の「通信簿」を付けて学校に送り届けたり、毎日教室の後ろで教師の言動を監視したりする親までいて、メンタルを病む教員が続出している学校の実情のなどの話も聞きました。

 実際、「クレーマー」と呼ばれる人たちは、クレーム自体の内容よりも、むしろその常軌を逸した行動(の異常さ)が問題となるケースが多いようです。その姿は、時に恐喝や恫喝まがいの要求をするまでにバランス感覚を欠いており、その裏には(彼らが)様々な事情からメンタルの不調を抱えている場合も多いようです。

 一方、こうしたモンスターペアレントとは少し違った形で、現在(学校で)問題となっている親たちに「ヘリコプターペアレント」というものがあるそうです。

 こちらは、常に子供に付きまとい、子供やその周囲の人間を監視するなどの行為が目立つ親のこと。ヘリコプターのような親が子供の頭上を旋回しているイメージからつけられた呼び名だということです。

 従来からある「過干渉」の一言では片付けられないようなレベルで子供に執着し、手取り足取りの面倒を見たがる親たち。こうした親の存在は、ただ度を過ぎて一生懸命だというだけでそれが自体が法律に触れるわけでも何でもないこことから、(学校や教員などの)他者が介入しづらい難しい問題となっているようです。

 この問題に関しては、6月16日のhuffingtonpost(日本版)に、カナダの著述家Marcia Sirota氏が「「ヘリコプターペアレント」とは? 生きづらい子どもに育つ親の存在」と題する興味深い論評を掲載しているので、少し紹介しておきたいと思います。

 Sirota氏によれば、自分の子供の日常に(まるでヘリコプターがホバリングするように)かかわり続け、結果として仕事や人生に必要な能力に問題を抱える大人に育ててしまう親たちの存在は、カナダのニュースでは「ヘリコプターペアレント」の言葉とともに取り上げられることが多くなっているということです。

 当然ながら、ヘリコプターペアレントは、(本人たちは)自分の子供のために最善を尽くしていると思っていても、実際は子供の成功の機会を奪っている。特に、子供が仕事を得て働き続ける機会を損なっていると、この論評で説明されています。

 ヘリコプターペアレントは、自分の子供が傷つくことを嫌い、すべての困難を和らげ、失敗から守ろうとすると氏は言います。

 氏によれば、この問題の本質は、こうして過保護に育った子供が喪失や失敗、さらに失望といった誰の人生でも避けられない状況に対処する方法を学ぶ機会が奪われていることにあるということです。

 不満への耐性を持てぬまま成長した彼らは、最終的に社会人として非常に不利な状態に置かれることになる。また、(親が子供たちを仲間などとのあらゆる衝突からも守るため)こうして育てられた子供は、成長してからも同僚や上司との間で起きた問題を自ら解決する術を身に着けていないということです。

 さらに、人は物事に挑戦し、間違いを犯し学習して再び挑戦することで成功体験を重ね、このプロセスが自信と能力と自尊心を育てると氏は説明しています。しかし、間違いを犯すことを親たちに奪われた子供たちは、社会で必要となるこうした特性を育めないまま成長せざるを得ないということです。

 こうした若者には、問題に熱心に取り組む必要性を理解できず、課題を1人で解決するために力を尽くした経験もないと氏は言います。このため、彼らはこうしたことは誰かが自分のためにやってくれると期待し、自ら考えて行動することは自分の仕事ではないと考えるということです。

 そして、そこに生まれるのは、根拠のない過剰な自信を強く身に付けた若者の姿です。そして彼らは、(同僚にも上司にも都合が良いわけではないのに)自分は優先的に扱われるのが当然だと思うようになるということです。

 ヘリコプターペアレントに育てられた大人は、コーヒーブレイクの後、自分のゴミを片付けたりカップを洗わったりせずに休憩室を出て行ってしまう。

 彼らは、自分たちの後片付けを「誰か」に期待し、それが当然だと思っている。会社では自分のゴミを片付けてくれる人がもういないことに気づかず、その結果として同僚から不評を買っていることにも気づかないということです。

 Sirota氏はこの論評に、「ときに、子供のために最良の「ありかた」は、(親が)不在であることだ」と記しています。

 子供を愛することは、導き、守り、支えることであり、それは過保護にすることや、子供が自分で考え課題を克服したり失敗を乗り越えたりすることを学ぶ機会を奪うことではない。

 親としての愛情は、一歩下がって子供が失敗したり、自分の手で物事と格闘したりするのを見守る忍耐にあり、(自分中心ではない)その愛情があってこそ、子供たちが自信と能力と自尊心、それに情緒的な知性を発達させることができるというものです。

 そういう意味では、モンスターペアレントもヘリコプターペアレントも、「子どものため」に名を借りて自分の欲求を強引に押し通そうとしている、大人になれない(親たちの)自我が表出した姿と言えるでしょう。

 自ら解決策を考える子供を「支える」ために今何ができるのか。子供の成長を願う親の立ち位置は常にその一点にある事を、Sirota氏の論評から私も改めて考えさせられた次第です。




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