将棋棋士の羽生善治氏は著書『決断力』に、「何かに挑戦したら確実に報われるのであれば誰でも必ず挑戦するだろう。報われないかもしれないところで、同じ情熱、気力、モチベーションをもって継続してやるのは非常に大変なことであり、私は、それこそが才能だと思っている」と記しています。
「頑張れば何とかなる」と思ってやってきたのに、発射台の違いは如何ともしがたい。「親ガチャ」という言葉があるけれど、気が付けば先行者との差は開くばかりで、追いつく気力もなくなりそうだという若者の声も聞こえてくるところ。それでもモチベーションを維持していけるかが勝負だと言えるのは、やはり若くして七冠を独占した羽生善治氏が稀代の天才だからなのでしょう。
そう言えば、「お笑い怪獣」の異名をとるタレントの明石家さんま師匠は、10年ほど前のラジオ番組(MBSラジオ「ヤングタウン土曜日」)で、「努力が報われるなんて絶対に思っちゃいけない」と語っているということです。(『明石家さんま「努力報われると思うな」発言の深さ』2024.5.30 東洋経済ONLINE)
番組中、ゲストのアイドルが「努力をしていれば必ず誰かが見てくれていて、報われることがわかりました」と発言すると、「それは早くやめたほうがええね。この考え方は…」とバッサリ。その理由について師匠は、「こんだけ努力してるのに何でっ?てなると腹が立つやろ。人は見返り求めるとろくなことないからね。見返りなしでできる人が一番素敵な人やね」と諭したということです。
もともと期待するから裏切られる。最初からそんなことを気にせず、ただ目の前のことに尽くせる人こそが真の「天才」だということでしょうか。(まあ、どちらにしても)不平・不満ばかりを口にする人が「カッコ悪い」のは誰もが認めるところ。短い人生、少しはカッコよく生きたいと強がってみるのも悪くはないかもしれません。
そんな(なかなか思い通りにならない)人生を、心穏やかに過ごすにはどうしたら良いのか。11月8日のビジネス情報サイト「現代ビジネス」に、精神科医で作家の片田珠美氏が『「自分はこんなに優秀なのに…」日本社会で根強い「平等幻想」が生み出す「大きな不満」』と題する一文を寄せていたので、参考までにその指摘の一部を残しておきたいと思います。
戦後の驚異的な経済成長により、たとえ一時的であっても「一億総中流社会」を実現したこの日本で浸透した、「平等幻想」というファンタジー。しかし、その後格差が拡大するにつれこの幻想を持ち続けるのはきわめて困難になり、現在ではもはや風前の灯といっても過言ではないと片田氏はこの論考に綴っています。
一方、皮肉なことに、戦後の民主教育によって「みんな平等」と教え込まれ平等幻想が浸透したからこそ、(その後遺症として)ちょっとした差に敏感になったという側面も否定できない。「みんな平等」という考え方が浸透するほど、「同じ人間なのに、なぜこんなに違うのか」という思いにさいなまれ、歯ぎしりせずにはいられなくなる。「あいつはあんなに恵まれているのに、なぜ自分はこんな目に遭わなければならないのか」と怒りを覚えることもあるはずだということです。
歯ぎしりも、怒りも、「みんな平等」という考え方が浸透し、他人と自分の間に残る違いにより敏感になったことによって一層激しくなった。江戸時代のように歴然たる身分の差があった時代なら、違いがあってもそれほど気にならなかった。いや、より正確には、あきらめるしかなく、気にしてもいられなかったろうと氏は言います。
ところが、世の中に平等思想が浸透すればするほど、ちょっとした違いにも敏感になる。もともと別の世界の「違う人間」だと思えば違いがあっても腹が立たないのに、現代の我々は「同じ人間」だと刷り込まれているので、少しでも違いがあると許せないということです。
特に、かつて「一億総中流社会」を築き上げた日本では、その頃に浸透した「みんな平等」という意識がいまだに根強く残っている。もちろん、それ自体は悪いことではないが、(現在のように)「みんな平等」とはいえない現実を思い知らされる機会が増えれば増える程、「平等なはずなのに、なぜこんなに違うのか」と不満を抱かずにはいられなくなると氏はしています。
こうした不満は、羨望を生み出しやすい。だから、羨望で胸がヒリヒリするような思いをしながら、羨望の対象が転げ落ちるのを今か今かと待ち構えるようになる。ところが、現実はなかなかそうならないのでしびれを切らし、羨望の対象を少しでも不幸にするために不和の種をまいたり、根も葉もない噂を流したりする人も出てくるということです。
とりわけ、自身を過大評価していて、「自分はこんなに優秀なのに、能力を正当に評価してもらえない」「自分はこんなに頑張っているのに努力を認めてもらえない」など、承認欲求をこじらせている人ほど「なぜこんなに違うのか」と不満を募らせやすいと氏は指摘しています。
羨望の対象が周囲から認められ高く評価されているのは、元々の能力に加えて本人の努力のたまものだったとしても、そういうことは彼らの目には入らない。結果として、「努力しても報われない」「頑張ってもはい上がれない」などと思い込み、地道な努力をコツコツと積み重ねようとはしなくなるということです。
さて、野球の大谷翔平選手だってパリで活躍したオリンピアンたちだって、その技術は日ごろの血の滲むようなトレーニングに裏打ちされたもの。闇バイトで一攫千金を狙うような感覚では、光る成果が得られないのは言うまでもありません。
努力もせず不平ばかり漏らしていても、承認欲求が満たされるわけがない。だから、ますます腐ってしまうと氏は言います。そうなると、陰で他人の足を引っ張るようなふるまいを繰り返すわけで、こうした悪循環に陥ったらなかなか抜け出せるものではないと話す氏の言葉に、私も改めて自らを省みたところです。
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