「石の上にも三年」という言葉はいつのまにか死語になり、新入社員の3割が3年以内に辞めると言われるこの時代。(株)リクルートが今年3月に実施した「就業者の転職や価値観等に関する実態調査2022」によると、アンケートに答えた転職経験者のうち、次の就職先が決まる前に会社を辞めた人が、実に4割以上に上っていたということです。
この調査は、20~65歳の就業者を対象にインターネットで実施されたもの。回答数1万3240件(男性6617人、女性6623人)という、それなりに大掛かりな調査です。
実際、転職先が決まっていない状態で会社を辞めると無職の期間が続くことから、次の働き口を決めてから退職するのが賢明な離職というもの。しかし、再就職先を決める前に会社を辞めた人が各年代とも4割を超えていたという調査結果からは、「とりあえず辞めたい」「どうしても辞めたい」と言う思いが先行する退職者の姿が浮かび上がります。
因みに、退職理由として年代にかかわらず多く挙がったのは、「仕事内容への不満」(29.7%)、「人間関係への不満」(29.2%)というもの。きつい仕事を押し付けられる、職場の人間関係がギスギスしている…こうした不満が「やってられるか」「辞めてやる」という思いに繋がっていくのでしょう。
正直どんな会社にも、(それなりに)厳しい場面はあり、厳しい上司もいるものです。確かに「仕事」なので多少の緊張感は必要でしょうが、しかし余りにあれやこれやと(口うるさく)言われたのでは、職場の雰囲気は悪くなるし離職者だって増えていく。イマドキに育った(人から注意されるのが嫌いな)若者が辞めたくなるのも、「時代」というものなのかもしれません。
とは言え、若者の顔色ばかりは窺っていられない。間違いはその都度きちんと指摘しないと、仕事が回らなくなると考える上司もまた多いことでしょう。
安定した職場運営のためには、業務管理はどこまで厳しくすべきなのか。そんなことをお悩みの中間管理職に向けて、今年1月4日の東洋経済ONLINEに経営学者の斉藤 徹氏が『「ミスに厳しい職場ほどミスが多い」のはなぜか』と題する興味深い論考を寄せていたので、この機会に紹介しておきたいと思います。
効率的、創造的な仕事をするには、職場の良好な人間関係が大切です。そうした職場の人間関係を改善するために必要なものとして、近年、特に注目されているのが「心理的安全性」だと、氏はこの論考に綴っています。
他人と自然に話せて、メンバー全員が想定外の事実や異論を冷静に受け入れられる…そんな場づくりが対立のない人間関係には必要だと氏は言います。そして、そうした職場の心理的安全性に最も大きな影響力を持っているのが(その場の)リーダーの存在だということです。
ここでいうリーダーとは、上司や指導的な立場の人物など、そのチームにおける権威者のこと。しかし多くの場合、彼ら場のリーダーは構成員の心理的安全性に悪影響を及ぼしているというのが氏の認識です。
氏によれば、経営学者のエイミー・エドモンドソンは、世界の職場において共通した「職場で言ってはいけない暗黙のルール」として以下の4つを挙げているということです。
① 上司が手を貸した可能性のある仕事を批判してはいけない
② 確実なデータがないなら、何も言ってはいけない
③ 上司の上司がいる場では、意見を言ってはいけない
④ 他の社員がいるところで、ネガティブなことは言ってはいけない
これらの多くは上司の面目を潰さないためのものであり、さらに言えば、良い評価、良い人間関係を維持するための(部下の)防衛本能だと氏はしています。
多くの職場では、上司と部下には「発言と沈黙の非対称性」が生まれている。上司は「何でも言える」と感じているが、部下はいろんなことを気遣っている。多くの場合上司には、部下の不安が見えていないというのが氏の見解です。
特に、優秀な成績をあげて、挫折を知らずに高い立場についた上司ほど、部下に厳しい言動を行い無意識に場の安全性を壊しているケースが多いと氏は言います。優秀なリーダーは、自分を律することで成績を上げてきた成功体験を持っている。そこで、「組織も厳しく律すれば成果を出せるはず」と思いがちだからだということです。
氏はここで、優秀な人材ほど陥りやすい、典型的なリーダーの思考のくせを4つ挙げています。それは、
① 完璧主義:他者のすべての行動に完璧さを求めたい
② コントロール欲求:他者の思考や行動を自分の統制下におきたい
③ 過度の所属欲求:同じ価値観や意見を持ち、一体感ある仲間でいたい
④ 犯人捜しの本能:悪いことが起きると、犯人を捜して非難したい …というもの。
中でも「犯人捜しの本能」は、場の心理的安全性を激しく毀損する思考だというのがこの論考における氏の見解です。
実際、問題が生じた際の原因の究明(=犯人捜し)は、ほとんどの組織において「正しい行動」として理解され、定着している。特に、規律を重んじる生真面目な業界、コンプライアンスを過剰に重視する組織において、「犯人を捜し、責任をとらせ、再発を防止すること」こそ問題解決の最善手と考える傾向が強いと氏はしています。
しかし、現実はそう上手くはいかない。氏によれば、前述のエドモンドソンは、大学病院の看護チームを対象に実験を行い、「犯人捜し」が成果にどのように結びつくかを検証したということです。
ある看護チームは規律を非常に重視し、ミスが起きるたびに看護師長が看護師を呼び出し、厳しく問いただした。結果、そのチームでは看護師からのミス報告がほぼなかったため、調査開始当初は、この行動は正しいと考えられていたと氏は言います。
しかし、詳しく調査してみると実態は異なることがわかってきた。ミスの報告は少なくなくても(それは報告が躊躇われていただけで)実際の現場では多くのミスを犯していたということです。
一方、看護師長が部下にやさしく接したチームは逆だったと氏はしています。細かなミスの報告は多かったが、実際に犯したミスは厳しいチームよりも少なかったということです。
人には怒りの感情から、問題が起きると犯人を捜してしまう本能があると氏は話しています。責任者になるとその傾向はさらに強まり、問題の経緯や真因を探って学習することよりも、誰の責任かを追及することに気をとられてしまいがちとなる。
多くの管理職に浸透している「非難や懲罰には規律を正す効果がある」という常識が、場の心理的安全性を大きく毀損させる原因となっているというのが、この論考で氏の指摘するところです。
追及され、責任を問われると思えば何も言い出せなくなる。少しのことなら黙っていればいい。つまらぬ波風が立たないよう、新しいこと、余計なこと、人のことには手を出さないでいようと考えても、無理はないかもしれません。
触らぬ神に祟りなし。恐らく、ミスに(やたら)厳しい組織はミスがさらに増えるばかりでなく、柔軟な対応や創造的な仕事もできないのだろうなと、氏の論考を読んで私も改めて考えたところです。
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