今日は、仕事のマネジメントについてのお話です。
埼玉大学の伊藤修氏は著書「日本の経済(中公新書)」の中で、「日本の労働者の職務知識と職務範囲は広く、自分の仕事だけでなく周囲にまでおよび、それがチームとしての強さを生んでいる」と高く評価しています。
しかし一方で、それはもともと職務区分が明確なブルーカラーなどの部門においてのみ言えることであり、日本のホワイトカラーに関しては職務区分が明確に示されていないことの結果として、「あいまいさが増幅されて低生産と集団的な長時間労働を非難される状態」に陥っている…とバッサリと切り捨てています。
さらに氏は、「仕事の段取りをし、必要な人員を配置し実際に運営するという、本来は上部の管理運営責任に属すべきことが現場末端の個々人に任されている」というのが日本の一般的な経営システムであり、日本のホワイトカラーは「雇用労働者でありながら自営業主のような」決断を迫られ、責任も忌避できない立場にある…という指摘もしています。
そうした日本企業(企業だけではなのですいが)の経営ガバナンスのシステムが、よく海外から非難の的となる「意思決定責任や経営責任の不明確さ」を支えているのでしょう。そして、トップダウンかボトムアップかという意思決定の形式にとどまらず、そこには権限の不明確さに伴う中間管理職の責任の不在があり、これが「あいまいなホワイトカラーの職務区分」の根底にあるのかもしれません。
さて、週刊ポスト連載のコラム「裁量労働やノマドができない日本企業の深刻問題とは」において、大前研一氏は、日本にホワイトカラーの裁量労働制が根付かない原因を「仕事を命じる経営者や上司が仕事を定義できていない」ことにあるとしています。
大前氏によれば、そもそも経営者や上司が部下に業務を依頼する場合、本来はその内容やクオリティ、期限、そして与える権限などを明確に具体的に定義しなければならないということです。ところが、日本企業のホワイトカラー管理職たちは、それが曖昧なまま集団で仕事をしているケースが多い。だから、部下を目が届く範囲の『時間と場所で縛る』20世紀型のマネジメントしかできないのだということです。
その端的な例として、インド人に仕事を任せる際「インド人は『仕事を定義してほしい』とまず要求してくるが、日本企業は『それはお前たちが考えろ』となる」ことを挙げています。
大前氏は、定型業務と非定型業務の整理ができていないことが、日本のホワイトカラーの非効率性、労働生産性の低さの原因と見ています。
業務全体の中からクリエイティブな答えを見つけていかなければならない非定型業務を切り出し、それ以外の定型的な業務をアウトソーシングなどで効率化していく。慣例としてやってきた(時にそれを命じた上司さえも忘れている)意味のない仕事を減らしていく。そうした努力をせずに、業務悪化で社員の数だけ減らすことにより多くの社員は仕事量が増えて疲弊し、心身に支障を来すケースも多くなっているというのが氏の認識です。
誰にも、思い当たるフシはたくさんあるのではないでしょうか。仕事の内容が整理できていないままとりあえず走っている。そんな中で、「何とかならないか」と言う経営者と、定例的な業務に追われている部下に「いい方法はないか」と問う中間管理職。
仕事をパーツに切り出して、適切な場所に割り振っていく。不要な業務は思い切って捨てていく。そういう基本的なマネジメントの大切さを改めて思い起こしました。
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