2021年度以降、満期を迎える国債の増加が加速しており、借り換えのために発行する国債(借換債)の金額が膨らんでいるとの指摘があります。2020年度まで、借換債の発行額は毎年100~120兆円程度だったものが、2021年度は143.7兆円、2022年度は152.9兆円の発行を余儀なくされており、(借換債に)新規発行国債や財投債を加えた国債発行総額は、コロナ前の150~180兆円程度から200兆円以上となる見込みとされています。
ここにきて借換債が増えた背景には、(もちろん)新型コロナ対策のための財源が短期国債の発行によって賄われてきたことが挙げられます。2020年度の国債発行額(約256.9兆円)は2019年度と比べて実に102.7兆円も増加しており、そのうちのおよそ6割は短期国債の増発によるものだったということです。
(ただでさえ)これまでの積み重ねにより、GDP比で240%を超えている日本の(国債発行を中心とした)公的債務残高は、先進国の中でも群を抜いて高くいことで知られています。G7の中で日本の次に公的債務が大きいのはイタリアの180%で、英仏米加は120~155%。メルケル首相の下、緊縮財政を貫いてきたドイツに至っては100%を下回る健全ぶりです。
国債が自国通貨建てで発行できる先進国では債務不履行はありえないので、いくらでも国債を発行することができると主張する、MMT(Modern Monetary Theory=現代貨幣理論)理論が一世を風靡している昨今ですが、そうした楽観論を疑問視する声も多いようです。
たしかに、中央銀行が国債を買い取ってお金を刷りまくれば債務不履行になることはないでしょうが、償還の可能性への不安が高まれば通貨の信用が失われるのは必至です。国債金利の急騰は、国債を保有する金融機関に巨額の評価損をもたらし、経済の破綻につながることは免れ得ないでしょう。
こうして、一部では「危機的」とも言われる現在の日本の財政状況を、私たちはどのように捉えるべきなのか。3月1日の日本経済新聞に「財政拡大も国債増えぬ怪 放漫招く「無痛予算」のワナ」と題する論考記事が掲載されていたので、参考までに小欄にも概要を残しておきたいと思います。
実は近年の日本では、財政支出をかなりの規模で拡大しているにもかかわらず、国債発行が増えないという奇妙な現象が生じていると、記事はその冒頭に記しています。2021年度は補正予算が過去最大の約36兆円に膨らんだ。一方、税収はそこまで伸びていない。そこで、市場での国債発行額が増えるかと思いきや、実際の発行額は当初計画より9.2兆円減ったということです。
これは、これまで大幅に増発してきた短期債に限った話ではない。2023年度予算案では、償還までの期間が10年を超える超長期債も減額になるシナリオがあり得る(ようだ)と記事はしています。そして、その背景にあるのが、新型コロナウイルス対応の予算の特殊性だということです。
2020年度は3度の補正を組み、入札を通じて発行する国債を当初比83.5兆円増の212.3兆円としたが、実際は約30兆円もの歳出を翌年度(2021年度)に繰り越し、過剰発行の状態になった。このため、21年度の補正予算で、財政投融資に充てる国債発行を予算ベースで30兆円圧縮したと記事は説明しています。
財務省はこれを「危機に備えた融資枠に比べて実際の需要が少なかったため…」としているが、そこにあるのは「規模ありき」の経済対策で予算の見た目が膨らむという構図があったというのが記事の認識です。
予算編成にあたり、基本的には歳出を税収でまかなえない部分が(予算上)の国債発行額となるが、実際に入札を通じて市場で毎月発行する(できる)額は投資家の需要を慎重にヒアリングして決めるため、急には変わらない。そして現在は、このズレが足元でかつてないほど広がっている状況にあると記事は指摘しています。
コロナ下で、発行計画はそれまでの年130兆円ペースから年200兆円超にまで急速に拡大した。本来、投資家の需要を超えるような国債増発の入札には金利上昇(国債価格の低下)という「警告」が発せられ、予算編成の過程で無駄な事業を削る動機が強まるはず。しかし、国債の流通市場はすでにこの機能を失っていると記事は言います。
日銀は、2020年度に短期債を含めた国債の保有額を42.2兆円増やした。これは増発額の半分以上にあたる規模だったが、日銀が金利を抑え込むため、市場の警鐘が鳴ることはなかったということです。
国債市場が(流通段階だけでなく)発行段階でも声を失えば、予算の膨張に歯止めがかかりにくくなる。市場を意識せずにすむ「無痛状態」は放漫財政を助長しかねないというのが記事の見解です。
さて、国債は償還を迎えても借り換えることができますが、残高が増えれば利払い費の膨張リスクが将来世代の「痛み」となるのは言うまでもありません。2021年の衆院選では(逆に)バラマキ型の公約を打ち出す政党が相次ぐこととなりましたが、それ自体、市場の警報が政治に届いていないことの証左と言えるかもしれません。
同じ財政規模でも経済の生産性を高める成長投資に集中した予算と、無駄を削れていない放漫財政は異なると記事は指摘しています。低所得層に限定しない現金給付は、政策の意図すら明確にされなかったが、2022年の参院選でも同じ轍(てつ)を踏むのか。(少なくとも現状を見る限り)市場による監視の目は着実に弱くなっていると警鐘を鳴らす記事の指摘を、私も(さもありなんと)重く受け止めたところです。
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