「宗教は人を幸せにするのか?」…こうした問いに対する明確な答えを、少なくとも日本人の多くは未だ持ち合わせていないようです。
普段は知られることのないオウム真理教などのカルト宗教の実態や、(最近では)統一教会の権力との癒着、(「幸せになりたい」という)人の心の弱さにつけ込んだ布教の様子などがしばしば報道される昨今。不遇にあえぐ人を社会とは隔絶された空間に囲い込み、教団の利益を最優先する「洗脳」によって無抵抗の信者に変えていくその手法に、こうした問いの難しさと闇の深さを感じるばかりです。
とは言え、「信仰」を持つことが、私たち弱い人間にとって社会の在り方や人生の大きな進路を示すものになっていることは歴史が証明する通りです。
迷い苦しんだ時に人々の道標となり、どうにもならない不安や苦しみに傷ついた心を救ってくれる存在。また(例え)そうした追い詰められた状況になくても、日々の生活を導き理想と現実のギャップや欠落感を埋めてくれるものとして、信仰は人々を支えていると言えるかもしれません。
そうした個人による「信仰」(への努力)が、最終的に目指しているもの。それが「悟り」の体験であることは、多くの宗教に共通していると言っても良いでしょう。
「悟り」とは、修行や信心によって神様や仏様の境地に近づくということ。凡俗から逃れ、宇宙の真理たどり着くことで究極の平安を得たいと考えるのは、「生」というものに多くの不安を抱える人間の、まさに「業」のようなものかもしれません。
人はどうすれば幸せになれるのか。こうした根源的な問いに答えるために研究を進める科学者の話が1月26日の「Forbes JAPAN」に掲載されていたので、参考までにその概要を小欄に残しておきたいと思います。(『薬物を使わない「自発的な覚醒体験」を探求する最新研究』2023.1.26)
世界的な評価の高い心理学の学術誌『Frontiers in Psychology』に掲載された新しい研究は、自発的な覚醒(悟り)という曖昧な現象を探求している。英国グリニッジ大学の心理学者ジェシカ・コルネイユはその論文において、「スピリチュアルな覚醒とは、認識された究極の現実、宇宙、宇宙意識、または神との直接的な接触、結合、もしくは完全な一体感の体験を突然感じることを特徴とする主観的な体験」と定義づけていると、記事はその冒頭に記しています。
実際、スピリチュアルな覚醒(の体験)については、文化圏を跨いだ膨大な逸話的証拠があるにもかかわらず、主流の心理学においてほとんど研究が進んでいない。一方、スピリチュアルな覚醒は双極性障害や統合失調症などの精神障害に見られる特定の症状と重なるため、医学界では通常、病的なものとして扱われていると記事はしています。
コルネイユによれば、スピリチュアルな覚醒は、例え関連する診断可能な精神的疾患がなくても、「単独の体験」としてしばしば起こることがあるとのこと。さらに、逸話的証拠によれば、スピリチュアルな覚醒は多くの長期的なポジティブな結果をもたらすことが示唆されているということです。
このような「覚醒」によってもたらされる(ポジティブな)影響には、①精神的・肉体的なウェルビーイングの大幅な改善、②親社会的および親環境的な行動の促進、③精神病理的傾向のリスク軽減などがあるとコルネイユは述べているということです。
その具体的な心理的・霊的変化には、例えば
- 意識が現実の客観的なフィルターにかけられない性質として認識するものについて、内なる深い知見または理解の感覚を経験する。これは通常、宇宙のすべての人、すべてのものとの相互関係の深い感覚をともない、しばしば感謝、エクスタシー、至福、畏敬の深遠な感情を引き起こす
- 不安や恐怖、特に死への恐怖が減少する
- 超感覚的知覚の強化、例えば、偶然の一致の増加、自分の人生に望むものを引き寄せる能力が亢進する
- 精神的・身体的なウェルビーングの増進(慢性的な痛みがなくなったという報告など)や社会性の向上「使命感」または無私の奉仕をしたいという気持ちが高まるとともに、自然の中でより多くの時間を過ごしたいという気持ちなど環境保護的な行動が増加する
- 物質主義への関心が薄れ、人間関係や進路の変化などが具体的に変容する
などが(共通する)特徴として挙げられるということです。
さらに、コルネイユの研究では、スピリチュアルな覚醒は次のような要素と深い関係性が認められることを指摘していると記事はしています。
それは、①感情的感受性、開放性、創造性、共感性、好奇心の高さ、② 「トランスリミナリティ」と呼ばれる内的外的物質が意識の閾値を越える傾向(トランス状態への親和性)、③催眠術にかかりやすい、空想癖…など。
そしてコルネイユは、この特性は、「詠唱、祈りなどの共同的反復活動や、向精神薬の摂取などによる恒常性のバランスのくずれ」によって増大することがあるとしていると記事は指摘しています。
加えて、論文では、側頭葉てんかんに特徴的な症状を示す側頭葉不安定性が、スピリチュアルな覚醒を予測することにも触れているとのこと。側頭葉てんかんは、すでにスピリチュアルな体験と関連づけられており、宇宙的、あるいは神のような存在やエネルギーを強く感じたり、無限とのつながりを深く感じたりするなど、スピリチュアルな覚醒と特徴を共有しているということです。
一方、記事によれば、このような精神状態は(DMT、LSD、MDMA、大麻などの)薬物による変容状態や(浮遊タンク、無響室暗室、ホロトロピックブレスワークなどを利用した)非薬物による変容状態と一連の感情を共有しているとのことです。
しかし、ユイネルは研究の成果として、スピリチュアルな覚醒のほうがより深い経験であると報告している。さらに、スピリチュアルな覚醒は、神秘体験を引き起こす強力なサイケデリック物質であるシロシビンやDMTによって生じる変容状態に、最も類似していることも判ったということです。
さて、記事によれば、コルネイユはこの論文の最後に、スピリチュアルな覚醒に関するこうした研究の意義を「このような経験は、私たちに別の生き方を示している」と話しているということです。
彼女はそれを「生命に対する畏敬の念と献身、そして愛を育むことへの深い願望に満ちたもの」と説明しているとのこと。で、あれば、もしもこうした(慈愛に満ちた)「悟り」の境地を科学的に解き明かすことができれば、人類は現代社会を突き動かしている「利益」や「合理性」を超えた新しい社会規範を獲得できるかもしれません。
個人という枠を超えて意識を広げ、宇宙や生命が存在することの「意味」を(ある意味)納得することは、人間として生きるに当たっての価値観や世界観の変容にも繋がっていくはず。(「荒唐無稽」と言ってしまえばそれまでですが)個人の幸福感はもとより、人間社会全体を根底から大きく変える可能性を秘めているのではないかと、記事を読んで私も改めて感じたところです。
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