11月25日、昭和を代表する大女優のひとり、原節子さんの訃報がメディアに届きました。
大正9年(1920年)生まれの原さんは享年95歳。戦前の1935年のデビューから戦後の1962年にかけて日本映画の黄金期を飾る数々の名画に主演し、その日本人離れした美貌から「永遠の処女」と評された大女優です。
また、終戦翌年の1946年には資生堂のイメージガールに抜擢され、戦後の物の乏しい世相の中で、銀座の街角に貼り出されたカラー刷りのポスターとともに、新しい時代の訪れを戦争に傷ついた日本人の胸に印象深く刻み込んだと聞きました。
原さんは、我々のような戦後世代には、今もなお世界的に評価の高い「晩春」や「麦秋」「東京物語」などの小津安二郎監督作品における、日本女性を体現した味わいのある美しさと清楚な演技で知られています。
彼女の訃報に接し、私もDVDを引っ張り出し代表作と言える「東京物語」を改めてじっくりと観てみました。小津監督の繊細で丁寧な(映画作りの)要求に見事に応えた、時代のやるせなさを観る者の心に訴える凛としたその姿に、改めて拍手を送りたいと思った次第です。
さて、少し話は変わりますが、概ね60年前に制作されたこのモノクロームの映画をゆっくり観る中で、ひとつ気付いたことがありました。
正確に言うと以前から気になってはいたのですが、それは、登場人物が(現代映画に比べて)いかにもよくしゃべるということです。原さんばかりでなく、笠智衆演じる義父や杉村春子や香川京子が演じる義姉妹、その夫の山村聰や(黄門さまの)東野英治郎まで、スクリーンの中の人々はそれはそれはよくしゃべっています。
しかも、台詞を話すスピードが驚くほど速く、その時代の録音技術のせいもあってか、現代のゆったりした台詞回しに慣れた耳にはなかなか上手く聞き取れません。場面によっては、字幕が欲しいと感じたくらいだったことに、改めて驚かされました。
そこで思い出したのですが、小津作品ばかりでなく、確かに昭和40年代前半くらいまでの日本映画は、現在の作品よりも登場人物の会話に重点が置かれていて、従って台詞が多く、しかも相当の早口だったような気がします。
確かめようと、当時の作品をいくつか追っかけてみたのですが、例えば「七人の侍」「用心棒」などにおける(「男は黙って…」の)三船敏郎が主演する黒澤明作品や、一世を風靡した「太陽の季節」を始めとする一連の石原裕次郎の主演映画、初期のゴジラやガメラなどの怪獣映画に至るまで、登場人物は意外なほど能弁で、しかも会話のペースが現在よりもやはり随分と速いことに気付かされます。
さらに言えば、1969年に第一作が公開された山田洋二監督の「男はつらいよ」シリーズでも、(もともとおしゃべりな役柄ではありますが)主演の渥美清は当初たいへんなマシンガントークを繰り広げていました。しかし、70年代後半の作品くらいから渥美も徐々に会話のスピードを落としていき、1980年代頃からは随分寡黙でゆっくりと噛みしめるように台詞を吐く、落ち着いた「フーテンの寅」になっています。
そのようにして観ていくと、映画ばかりでなく、テレビでたまに流れる古い時代のニュース映像などでは、アナウンサーのナレーションがあたかも早口言葉のようなスピードで、しかも切れ目なく続けられているのがわかります。白黒の映像で流れる60年代のNHKの紅白歌合戦の録画などですら、アナウンサーの神様と言われた宮田輝さんの司会は現代と比べてかなりのスピードです。
さて、神戸女学院大学名誉教授の内田樹氏も、日本人の会話のスピード、テンポについて、明治の人は現代人よりも早口だったのではないかと考える一人です。
スピードというものは印刷できないのではっきりとは分からないのだけれど、物事を考える「速度」というものが、少なくとも明治時代と現代とでははかなり違っていたのではないかと、内田氏は以前、自身のブログで述べています。(2005.1.5「明治の速度」)
政治家の演説に触れても、当時の落語家の落語の録音を聞いても、明治時代のどの音源も皆同速さ(レコードの回転数が間違っているような猛烈なスピード)で話していると、内田氏はこの論評で指摘しています。
戦後になってアメリカ文化が入ってきて、生活のテンポが速くなった…というふうに一般には言われているけれど、実は日本人の話すスピードは、実際随分と遅くなっているのではないかと内田氏は述べています。そして、氏の考えによれば、そこに発生しているエモーション、感情の感覚までもが、(現代とは)かなりスピード感が違っていたのではないかということです。
明治時代の人々は、人生の時間的感覚が現在とは多少なりとも異なっていたのではないかというこうした指摘には、私にも頷けるところがあります。時代の波が押し寄せ、世の中の価値観が揺れ動いた時代。人々は激しい変化(と厳しい環境)にさらされる中で、それに見合った密度の濃い時間を過ごしていたのかもしれません。
以前、スタジオジブリの宮崎駿監督のアニメー映画「風立ちぬ」を観ながら、戦前の日本人の言葉に対するこだわりやスピードに関する感覚と、現在の自分の感覚とのギャップに改めて気付かされたのを思い出しました。
戦後の一時期を経て、人生に待ち受ける変化のスピードは徐々に落ちてきて、意思を伝達する必要性や速度も変わりつつある。人々の口から、言葉がほとばしり出ていた時代は知らず知らずのうちに終わりを告げ、人の口が重く閉ざされる時代が訪れつつあるということでしょうか。
社会の質的な変化やそのスピードに合わせ、日本人の言葉に対する思いや感覚が大きく変化し続けているのではないか。昭和の大女優の訃報を前に改めて考えさせられた次第です。
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