MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯367 大事なことは、みんなスター・ウォーズが教えてくれる。

2015年06月28日 | 映画


 ルーカス・フィルムによる「スター・ウォーズ」シリーズの8作目に当たる「フォースの覚醒」が、12月にも公開されるという予告が話題になっています。

 第1作が公開されたのが1977年のことですから、「スター・ウォーズ」は世代を超えたSFファンタジーとして、実に40年近くにわたり世界中の様々な人々から愛されてきたことになります。パパやママ、そしてガールフレンドやボーイフレンドと、ワクワクしながら映画館に足を運んだ中年世代も多いことでしょう。

 これまで公開されてきた7作品のどれを見ても、そこに流れるコンセプトの斬新さと人間性溢れる物語の奥深さは健在です。

 『遠い昔、はるか銀河の彼方で…』、銀河共和国の元老院最高議長が「フォース」のダークサイドの力を使って人々の恐怖をあおり、ジェダイの騎士団を陰謀により倒して帝政を築くまでが、我々を宇宙のかなたに導く物語の前半です。そして後半の物語は、帝国に立ち向かう反乱軍とジェダイの教えによりフォースを身につけた主人公(ルーク・スカイウォーカー)が、ダーク・サイドに落ちた父(ダース・ベイダー)に立ち向かっていく展開となります。

 「フォース(Force)」とは、スター・ウォーズの世界観の根幹をなす架空のエネルギー体を指す言葉です。フォースは、生命体から無機質まであらゆるものを包んで満たしているとされており、生まれつきフォースに敏感な者は、トレーニングにより目には見えないこの「エネルギーの流れ」を感じ制御して操作することが可能になる。そして、フォースを精神力により正しく制御できる者は、いわゆる「ジェダイ(Jedi)」として正義を体現することができるとされています。

 勿論、ジェダイになるためには、フォースをコントロールするための資質と修行が必要です。フォースの能力を引き出す訓練は当然のこととして、自制心を養うための心身の鍛練、広い知識と洞察力を磨くことが求められるということです。

 因みに、「ジェダイ」の名称は、ルーカス監督が日本語の「時代劇」(jidaigeki)にもじって名付けたという説が一般的で、ジェダイ達のコスチュームや武器となるライトセイバーなどを見てもわかるように、監督が日本の時代劇(特に黒澤明監督)の影響を強く受けていたことは広く知られています。

 さて、6月20日の「東洋経済 ON LINE」では、教育ジャーナリストのおおた・としまさ氏が、このフォースを基調としたスター・ウォーズの世界観を私達の身近な生活に照らし、『父親の心得は「スター・ウォーズ」に学ぼう』と題する論評を行っています。

 映画「スター・ウォーズ」において監督であるジョージ・ルーカスが描く、多種多様な“宇宙人”が入り交じって社会を構成している世界は、まさに現在のダイバーシティ社会そのものだと、おおた氏はこの論評の冒頭で述べています。

 そう言えば、この物語に登場する自らの意志をもたないクローン兵たちは、国や企業にとって扱いやすいように教育された画一的な現代人の姿に似ている。クローン軍とドロイド軍の戦いは、企業戦士とコンピュータの戦いのようにも見える。改めて考えると、映画の中の設定や登場人物や小道具の一つひとつが、実社会のさまざまな側面を映し出すメタファーなのではないかと氏は指摘しています。

 そして、混沌とした社会の中で、スター・ウォーズの物語は、人間が本来持つ「英知」ともいうべき「フォース」をキーワードに展開されていきます。

 生命体が作り出すエネルギーにより「銀河全体を覆い結びつけている」とされるフォースには、人知を超えた強大な力があるとされています。しかし、フォースの扱い方を誤ると、人間は、「暗黒面」と呼ばれる“ダーク・サイド”に堕ちてしまう。こうした局面は、実は映画の中ばかりでなく、身近な現実社会においても同じような構図があると、おおた氏は説明しています。

 例えば、ジョージ・ルーカスの描くダーク・サイドを、現代社会の経済至上主義的、全体主義的、独善的な社会的価値観の象徴であると捉えれば、「スター・ウォーズ」は、家族とのつながりよりも仕事を優先する世相への、痛烈で壮大な風刺映画に見えてくるとおおた氏は言います。

 暗黒卿にそそのかされるアナキン(=ダース・ベイダー)は、家族を守るために会社の言いなりになるサラリーマン。残業も休日出勤も断らない。上司に命じられれば、反社会的な仕事さえ遂行する。そんな夫を理解できなくなり、孤独を感じ、苦しむ妻がパドメ。2人の気持ちは離れていく。まさに現実社会のどこにでもある、産後の夫婦のすれ違いのような話だという指摘です。

 氏は、「愛する者を守る」とは、本来、自分ひとりで両手を広げてガードをするという意味ではないとしています。自分以外にも家族を守ってくれる、たくさんの支え合う仲間とつながることであり、それを可能にするのが人と人とを結びつける(スター・ウォーズで言うところの)「フォース」の力ではないかということです。

 一方で、人は独善的な気持ちが強くなりすぎると、競い合い奪い合い、勝ち続けることでしか愛する者を守ることができないような錯覚に陥るということです。

 会社の出世競争から抜け出せなくなる。業界の中でのシェア争いから抜け出せなくなる。思いどおりにならないと、怒りや憎しみや不信感が増大し、ますます仲間を遠ざける。家族さえも遠ざける。こうしてジェダイでなくとも、人々はダーク・サイドに引きずり込まれことになるだとうというのが、「スター・ウォーズ」に託された現代社会への危機感に関するおおた氏の認識です。

 本当に守るべきものは何なのか。それを見失いそうになったときこそ、私たちは「フォースを信るのだ」とするオビ・ワンの言葉を思い出すべきなのかもしれないと、おおた氏はしています。

 暗黒世界に落ちたダース・ベイダーは、最終的には息子であるルークとの争いを通じてフォースのライト・サイドに戻ることができます。父親を乗り越えようとする息子と、その息子から自らの間違いを教えられる父親。ジョージ・ルーカスの描いた「遠い昔の…」銀河世界におけるジェダイたちの物語は、身近な家族の愛情と擦れ違いの物語でもあると言えるかもしれません。

 親子関係、家族愛、ワークライフバランス、共同体意識、ノブレス・オブリージュ――。父親として大事なことは全部スター・ウォーズから学べるとするおおた氏の論評を読んで、人として生きる上で、「フォースとともにある」ことがいかに大切なことなのかが、私にも何となく分かるようにな気がしました。




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