MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯1832 いつまでも「おこちゃま」

2021年04月23日 | 映画


 3月8日に劇場公開されたアニメ「エヴァンゲリオン」シリーズの完結編『シン・エヴァンゲリオン劇場版』は、公開初日が月曜日だった関わらずその日の内に興行収入8億円を記録。その後も3月末までに60億円を突破し、早くも前作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』(2012年)の最終興収約53億円を超える人気となっています。

 庵野秀明氏監督作品のエヴァ・シリーズに関しては、私もテレビシリーズからずっと見てきた世代の責任として、3月最後の週末の夜に時間を作って品川のIMAXシアターまで足を運びました。

 いわゆる「ネタバレ」になってしまうので多くは語りませんが、今回の『シン・エヴァ』で庵野監督は、自分が引き金となった「サードインパクト」の重大さに押し潰ぶされたシンジが、言葉を失い動けなくなった状態を延々と描き出していきます。

 いつまでも「自我」に固執し、「ほっといてくれよ」と言うだけで自分では何も動こうとしない自意識ばかりが高い駄々っ子のようなその姿に、(おそらくは)観客の多くが、面倒くさい、若しくはうんざりした気分にさせられたことでしょう。

 少年・少女のままの姿で大人になれない「エヴァ・チルドレン」の心の葛藤の根底にあるのは、乗り越えるべき親たちの不在です。例えば、エヴァ・シリーズの「人類補完計画」で描かれたのは、(突き詰めて言えば)ゲンドウに対するシンジの行き場を失ったエディプスコンプレックス以外の何物でもありません。

 母親をめぐって父と精神的に対峙するシンジの幼い自我。しかし、父もまた幼く、父子は互いに向き合おうとしない。煮詰まってしまったその関係に様々な形で第3者が入り込むことで、彼もようやくそうした自意識の呪縛から逃れることができるというストーリーです。

 テレビシリーズから4半世紀たった今でもこうして世代を超えて求め続けられているエヴァンゲリヲンですが、その背景には、現代社会に生きる人々の「大人になれない故の苦悩」(のようなもの)があるのかもしれないと思うところです。

 親たちが強く逞しかった昭和の時代であれば簡単だったかもしれない「親からの卒業」が、気が付けば当たり前ではなくなっているということでしょうか。

 さて、ここで話は少し変わりますが、4月1日の日本経済新聞の連載コラム「ヒットのクスリ」に、若者の「ワサビ離れ」に関する興味深い話が載っていたのでここで紹介しておきたいと思います。(「味は世につれ㊦」2021.4.1)

 回転寿司では既に「さび抜き」提供が当たり前の時代、最近ではスーパーの寿司パックにもワサビは付いていないと記事は話しています。

 スーパーマーケットチェーンのライフコーポレーションによると、それは「すし本来の味を提供するため」だということだが、その背景に「若者のわさび離れ」が影響しているのは間違いないというのが記事の認識です。

 市場全体でも「わさび需要はダウントレンド」(ハウス食品)にあり、やはり若い世代ほどその利用は落ちている。「香辛料などの中で好きなもの」というTBSの総合嗜好調査によれば、ワサビを好む割合は60~70代では40%台、50代は39%と辛子などと肩を並べるが、30~40代では20%台後半と急激に落ちこみ、20代は21%、10代ではわずか15%にまでなるということです。

 味覚の調査・分析を手掛けるAISSY(東京・港)の鈴木隆一社長は、「味覚は幼少期に食べ慣れたものが影響する」と話していると記事は記しています。

 一方、わさびやアルコールは大人に向けて学習していく味。人類が生き延びてきたのは腐敗した食が発する「酸味」や毒性の食に多い「苦味」を警戒してきたためで、ワサビやアルコールはそれを(本能的に)避けるための存在だったということです。

 この考えに従うと、成人になってもワサビを食べたいと思わないのは、学ぶ必要性が薄れたからということに他ならない。別に(好きでもないのに)無理にワサビを食べる必要はないし、食べてみたいとも思わない。確かに(こうして)年々、大人と子供の垣根が低くなっている印象だと記事は指摘しています。

 かつては10代後半などで「卒業」していたアニメやアイドルを、不惑を超えても好む人が確実に増えていると記事は続けます。しかも最近は会社での「宴会スルー」でアルコール離れも進む。これらは、無理して「大人」になる必要がないとの社会背景を反映しているのではないかというのが記事の見解です。

 さて、人がなぜワサビに手を出したかに関し、前出の鈴木社長は「人間は新規探求の意欲とそれを受け継ぐ世代間の繋がりがあったからこそ生き延び、進化し、文化を生み出してきたのではないか」と話しているということです。

 挑戦しなければ得ることができない新しい感覚、新しい世界観。大人になれば、そうしたものが手に入るという期待感に、胸を膨らませる若者たちが(太古の昔から)確かにいたということでしょう。

 一方、平成の30年が過ぎ、気が付けば(若者の)大人への期待感は薄れ、同時にいつまでも子供のままでいて構わない、それが許される時代がやってきています。

 よく言われる「アルコール離れ」ばかりでなく、「タバコ離れ」も「クルマ離れ」も「政治離れ」だって、確かにみんな子供には関係のないものばかりです。

 動物において、性的に完全に成熟した個体でありながら非生殖器官に未成熟な(幼体の)性質が残る現象をネオテニー(neoteny)と呼ぶようですが、少年少女がカッコをつけて無理して大人ぶった時代はすでに過去のものといえるかもしれません。

 子供でいた方が何かと便利だし、社会もそれを受け入れてくれている。ならばこれから先も変わることなく、デリケートでナイーブな姿で一生を過ごしていきたいと考える若者が増えているということでしょうか。



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