公開中の映画「rush」を観に映画館まで足を運びました。1976年のF1グランプリ選手権における、イギリス人ドライバーのジェームス・ハントとオーストリア人ドライバーのニキ・ラウダの二人の友情とライバル関係を題材とした話題作です。
映画自体、細部までよく作りこまれた見事なできばえで、各チームのマシンやカラーリング、ドライバーの服装や容姿、話し方に至るまで、観客を当時のサーキットにタイムスリップさせるに十分な映像を提供してくれます。特にサーキットや観衆の服装に至るまで、こまかなディテールへの気配りは作り手が楽しんでこだわっていることをしっかりと感じさせてくれます。
また、走行中の映像も秀逸で、ドライバーの視点からのコース取りは勿論のこと、パーツの振動やマシンごとの特徴をとらえたエンジン音などを含め、現在とはまた違った当時の野性的なF1の「匂い」を直接肌で感じさせてくれるものに仕上がっています。
映画館の暗闇にどっぷり浸かりながら、いろいろなことを思い出していました。映画のクライマックスを飾る雨の日本GPのテレビ中継を、当時病院のベッドの上で観ていたこと。レース雑誌「AUTO SPORTS」の発売日を毎月楽しみにしていたこと。折り込みで特集されていたTyrrellP34の6輪マシンにとても衝撃を受けたこと。ラウダのサインを左手で真似してみたこと。
記憶の中の1976年の日本グランプリは、折からの雨によりスター時間が遅れたうえ、当時のテレビ映像が鮮明でなかったこともあってかスタート当初はかなり緩慢なレース運びだったという印象が残っています。それでも、昼時から一時期豪雨へと変わっていた雨も上がり、曇り空の隙間からから夕方の低い薄日が差すようになった富士スピートウェイは、日本で初めて開催されたF1レースを一目見ようと集まってきたモータースポーツファンの熱気で溢れているように感じました。
映画のナレーションにもあるように、当時のF1グランプリは毎年25人のレーサーが15回から16回行われるコンチネンタル・サーカスレースを転戦し、その間にそのうちの2人が死ぬという、そういった極めて危険なモータースポーツでした。エンジンの進歩を支えるだけの空力やサスペンションやタイヤの技術革新が行われてない上、設計上の自由度が高かった分ドライバーの安全確保に関する認識が薄かった時代といっていいかもしれません。
そんな危険と隣り合わせの状況で戦う若者達の間で、1971年から79年まで、そして2年間のブランクをおいて82年から85年までの12年間を現役のF1レーサーとして第一線で活躍し、75年、77年、そして84年の3度にわたってチャンピオンシップをものにするという偉業を達成したニキ・ラウダは、やはりキング・オブ・キング、まさにF1界のレジェンドと呼ぶにふさわしい人物のひとりではないかと思います。
確かに、1949年生まれのラウダが引退を決意した85年のシーズンは、アラン・プロストが5勝と最盛期を迎えつつあり、次いで若手の代表格であるアイルトン・セナが3勝、ナイジェル・マンセルが2勝、ケケ・ロズベルグが2勝と続きます。そんな中、前シーズン優勝したニキ・ラウダは1勝と振るわず引退を決意することとなりました。
さて、その後日本でF1が開催され、実際に自分が鈴鹿まで足を延ばせる年齢になった時分には、サーキットには既にニキ・ラウダの姿はなく、時代は既にセナとマンセル、セナとプロストのものとなっていました。
モータースポーツというのは、縁のない人には全く縁のない存在だとは思いますが、F1の世界はいつの時代も変わらず「非日常的」で「華麗」で、かつかなり「人間臭い」人達でいっぱいです。
3月16日には、いよいよ2016年のF1シーズンが始まります(第1戦オーストラリアGP)。今シーズンはレギュレーションの大きな変更もあり、しばらく続いたレッド・ブル&セバスチャン・ベッテルの独走態勢にもいよいよ変化がありそうです。
90°V型6気筒直噴シングルターボエンジン、エネルギー回生システム(ERS)では熱エネルギーの改正も認められるようになり、その出力もこれまでの倍の161馬力まで引き上げられるなど、重量や出力の点から見てもその運動性には大きな改善がみられるものと思います。
昨シーズン、ドライバーズシートを失っていた小林可夢偉もいよいよケーターハムでF1サーカスに戻ってくるようです。また、とんでもないニューフェイスも参戦してくるかもしれません。F1の世界に生きるドライバーたちの人間模様も含めて、様々な視点から今年のF1を楽しんでいきたいと思います。
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