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#2609 妻が口うるさいのにはワケがある(その2)

2024年07月15日 | 日記・エッセイ・コラム

 6月5日の経済情報サイト「現代ビジネス」に掲載されていた、『家事を「手伝う」夫はいらない―共働き夫婦が幸せな家庭を築けない本当のワケ』と題する記事を、引き続き追っていきたいと思います。

 世の男性たちは、「彼氏」から「夫」になったその瞬間から、母からみた子のように甘え始める。赤ちゃんぶって、自分の存在そのものが妻への価値提供になっていると思いたがると筆者の岩尾俊兵氏(慶應義塾大学準教授)はこの記事で指摘しています。

 しかし、妻からすれば夫のそうした行動は不快の原因にしかならない。その不快を解消すべく恋愛関係のときと同じ程度以上の努力(たまには手紙を書く、花束を贈る、トイレットペーパーを買うなど)を続けて欲しいと思うわけで、結果、ここに対立が生じるというのが氏の認識です。

 例えば、夫も時には(まさに純粋な善意から)家事を「手伝おう」と試みる。だが、この「手伝う」という発想からして、母子関係における「お手伝い」の延長に過ぎない。なので、妻は母と違ってお手伝いレベルの家事ならば二度手間だと怒り、怒鳴り、当たり散らすことになると氏は言います。

 大体において女性が家事に求めるレベルは、一般に男性が求めるそれよりもはるかに高い。ましてや「自立した大人」である夫に求める家事のレベルは(恐ろしいことに)「外注業者に求めるものと同等以上」だということです

 一方、それは夫からすれば、(仕事で疲れている身で)妻のためにせっかく掃除したのに、シンデレラの継母よろしく「ここ、汚れたままじゃん!」と埃を見せつけられたり、せっかく料理を作ったのに「ちゃんと後片付けしてね!」と冷や水を浴びせかけられたりするということ。そこで、その理不尽さに(偽装ママに愚痴をこぼしに)スナックやキャバクラに出かけたりするということです。

 さて、いずれにしても、すべての人は生まれてすぐに異性と母子・父子関係を結ぶところから出発し、恋愛・結婚・独立を経て親子関係とは異なる「対等」な夫婦関係を構築していくという道をたどると氏は説明しています。

 そして夫婦関係においては、夫と妻のどちらもが親子のように無条件で価値を提供できるわけではなく、相手に価値を提供すべく主体的に問題解決していかなければいけなくなる…という転換期を迎えるということです。

 例えば、「ちょい残しコップ散乱問題」(←夫を一人残しておいた際などによく見られる、中身のちょっと残ったコップが片付けられずに所かまわず置かれている…という問題)について。

 そこには、妻側の「片付け対象が放置されていると気が休まらないから、家は常に整理整頓された状態を保ちたい」という要求と、夫側の「常に家の整理整頓に気を配っていたら気が休まらないから、何も考えずに過ごしたい(整理整頓しない)」という、一見すると両立が難しそうな要求があると氏は言います。

 しかし、両者の欲求は、どちらも「家では気を休めたい/リラックスしたい」ということで共通しているはず。そこで、この目的に対しては、「整理整頓する」「整理整頓しない」という二つがそれぞれいかに寄与できるかについて考えてみるといいというのが氏の提案するところです。

 すると、「整理整頓する」ことそのものではなく、「物が散らからない」ことが大事なことが分かる。そして、問題が「整理整頓しない」ことにあるのではないならば、解決策は「余計なことを考えなくてよい」ようにするところにあることが分かるということです。

 だとすれば、「余計なことを考えなくても物が散らからない」ようにすればよいだけのこと。たとえば「(少し間抜けな格好になるが)家ではマイ水筒を首からぶら下げてそれだけを使うようにする」とか、お金があるなら(もう少しマシな手として)「週末だけ家事代行サービスを外注する」でもいいかもしれないと氏は言います。つまり、冷静に話し合えば、そこに何かしら問題解決の糸口が見つかるはずだということです。

 現代の夫婦は、(共働き家庭であれば特に)お金がある代わりに余暇時間を夫婦で奪い合ったり、(方や片働き家庭であれば)時間がある代わりにお金を夫婦で奪い合ったりすることになると、氏は記事の最後に話しています。

 そこに夫婦の対立が生まれ、夫の甘えと理解のなさに妻のイライラも募ろうかというもの。でも、解決策はないわけではない。ここで示したような価値創造と問題解決のマインドを持てば、こうした奪い合いから脱出できる可能性があると話す岩尾氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。



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