MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2337 イマドキの人生の終い方

2023年01月12日 | 社会・経済

 自らの終(しま)い方を自分で考えなくてはいけなくなったこの時代。例えば、もしも(不意に)要介護や認知症になってしまった場合には、(家族など)周りにいる誰かにその役を担ってもらわなければならなくなるかもしれません。

 しかし、皆が皆にそうした役割を(喜んで)担ってくれる「誰か」がいるはずもなく、またそうした「誰か」にも(もちろん)それぞれの生活や事情があることでしょう。そのような時に、家族や周囲の人たちのために相談に乗り、(本人が満足できるような)落ち着いた終末期を迎えられるよう意を尽くしてくれるという「サービス」を提供してくれる事業者が、東京にはあるそうです。

 「一般社団法人LMN」は、そうしたシニアライフ特化型コンシェルジュサービスを売り物にしている事業者のひとつ。LMNとはL(Life・生活)M(Medical・医療)N(Nursing・介護)の頭文字を組み合わせたもので、高齢者の医療や介護、QOL(生活の質)の維持や終末期の準備など、クライアントのニーズに合わせ、行政や各種サービス提供機関とのつなぎ役としてサポートしてくれるということです。

 事業自体は極めてニッチな分野ではありますが、このご時世、誰もが家族や親せきに1人暮らしの高齢者の一人や二人は抱えているはず。65歳以上の高齢者の5人に1人が一人暮らしという日本の超高齢社会の現実を考えれば、これはまさに世の中に必要とされる「成長産業」ということができるかもしれません。

 12月8日の東洋経済オンラインは、そんな「LMN」の代表理事を務める遠藤英樹(えんどう・ひでき)氏へのインタビューをもとに、『「親の面倒はみたくない」…息子や娘が「親の最期」まで業者に丸投げしてしまう時代の到来』と題する論考記事を掲載しています。

 2012年に新語・流行語大賞トップテンに選出されたのが「終活」という言葉。人生の終わりを見据えて自らの介護や葬儀の準備をする活動が高齢者の心に響き、週刊誌でも頻繁に特集が組まれていたということです。そして、それから10年。今、終活業界の潮目が変わりつつあるというのが記事の認識です。

 そうした中、事業開始当初は「高齢者の終活」のために始めた事業だったのに、今では子どもからの相談のほうが断然多くなっている。「親の面倒を見たくない」「介護をしたくない」という相談が増えているというのが記事において遠藤氏の指摘するところです。

 実際、今では相談の9割が息子や娘からのもの。遠方に離れて暮らす親の支援を依頼する子どもが多いと思いきや、(そうではなくて)親のすぐ近くに住んでいるのに「親の面倒を見られない」という依頼が約6割に上ると氏は話しています。相談者の多くは、親の世話が「できない」というよりは、精神的に「したくない」という人。厳しいしつけを受けた、育児放棄をされた、逆に干渉されすぎた…などといった理由から、親と距離を置いている人も多いということです。

 相談者は40代、その親は70代というケースが最も多く、特に一人っ子の単身男性が目立つと遠藤氏はしています。LMNではそうした家族に代わり、役所や病院の手続き、介護施設とのやり取りなどを行うほか、身元引受人として緊急時の連絡も受けるということです。

 例えば、家を出て遠くへ行ってしまった認知症の親を警察に迎えに行くこともある。親が亡くなったときには、葬儀から納骨の手配、自宅の片付けまで行う場合も多いとと氏は言います。実際、危篤の連絡をしても御遺体への最後の挨拶にも来ず、火葬場に家族が来なかったということも1度や2度ではない。そうした場合、火葬をしてお骨を拾うのはスタッフとなり、現場の職員には最も荷が重いということです。

 因みにこのサービス、身元の引き受けも含めると初期の登録料は44万円とのこと。電話やメール以外の代行業務は時間ごとに料金が発生するが、相談は1日30件ほどあり、記事によればこの2年で売り上げは倍増しているという話です。

 判断力の低下した人が受ける成年後見は財産管理が中心で、生活のサポートまでは面倒を見てくれない。行政の福祉サービスも家族が申請や手続きを行わない限りは利用できないなど、(核家族の暮らしを謳歌した団塊の世代の大量退場を控え)日本のシステムはいまだに「家族に任せる」の原則のままでいると遠藤氏は指摘しています。

 そうした中、一方で(信じられないかもしれないが)実際に親のことで役所や介護施設から手紙や電話が来るだけで手が震える、眠れなくなる、怖くて封書が開けられないという人さえいる。親と子供との関係は人それぞれ。スタッフの中には、(ある意味)こうした子どもへのサポートのほうが、高齢者本人からの依頼より労を要するという意見もあるようです。

 家族というものの関係性が大きく変化した平成の30年間を経て、親は親、子どもは子どもで別の人生だという認識が普通のものとなりました。一方で、独居高齢者を支える介護や生活保護などの制度も整い、「子どもが親の面倒を見るのは当たり前」という感覚は既にオワコンの域に入っているということでしょう。

 面倒なことをお金で解決して何が悪い。財産でも相続させてくれるのならまだしも、親は親で勝手に生きてきたのだから迷惑かけないほしい…家庭に恵まれなかった人たちのそうした気持ちもわからないではありません。

 時代は確かに変わりつつある。親の「最期」まで業者に委託する家族代行の需要はさらに高まるかもしれないと結ばれた記事の指摘を、私も興味深く読んだところです。



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