たしかなこと (4)
一週間もすると香さんの声は元に戻りいつもの元気な姿を会社で見られるようになった
でもそれから1ヶ月も経つと仕事帰りに一緒に食事をして帰ることはできなくなっていた
二人きりで会えるはずの週末の休みも仕事が入ったり急用が入って会えなくなっている
ーー 嫌な予感がする
男と女がすれ違う時というのは
こんな風にタイミングが合わなくなったり徐々に会えなくなってくるからだ
少なくとも僕の場合はそうだった
“来週は会いたいです。”
初めて香さんから会いたいと要求してきた
それだけ僕が貴女に寂しい想いをさせている
僕も同じ気持ちだ
“今 電話いいですか?”と送り 僕は香さんに電話をかけた
来週は幸い何も予定が入っていないから“大丈夫だよ”と伝えた
「僕のうちに来ませんか?」
『えっ、、』
「それとも貴女の行きたいところへデートにでも行きますか?」
『いえ、是非 白川さんのご自宅を見てみたいです!』
ここで会わなければもっとすれ違ってしまう ーー
そんな予感がした
「僕が迎えに行きます。必ず会ってください。必ずです。」
『はい。楽しみにしています!』
週末の午後
予定通りに彼女を迎えに行けることができた
「わざわざ迎えに来てもらってありがとうございます(笑)」
「良いんだ。少しでも香さんと居たいんですよ。僕がね(笑) 久しぶりに二人きりで会えるんですから(笑)」
この一抹の不安も気のせいだ
こうして隣には香さんがいるのだから大丈夫
「私も嬉しいです♪白川さんの部屋が見られるのも楽しみだなぁ~!」
「香さん。約束覚えていますか?」
「約束??」
約束… 覚えてない?
「覚えていなくても構いません。貴女は必ず思い出します。」
「思い出す… ?」
ええ
僕が必ず思い出させます
車を駐車場に停め
初めて女性を自分の住む部屋に招いた
「わぁ… 思ってた感じの部屋!」
「どういう感じを想像していたんですか?」
「北欧風かなーって何となく思ってたんです(笑)」
嬉しそうにしている香さんを見ているのが僕は好きだ
香さんはベランダで育てている植物や野菜を眺めながら微笑んでいた
「本当に育ててたんですね(笑)」
「種から育てて芽が出てくるととても可愛らしいですよ。あぁ、香さん。今からこちらを植えてみますか?ポーチュラカです。夏の暑さにも強い花なんですよ。」
僕がプランターに新しい土を入れ 香さんが種を植えた
植えた種が芽吹き花を咲かせる姿を貴女も見に来て欲しいと言う僕に もちろんと笑顔を向けた
「会社での白川さんから花を育ててる姿なんて意外で誰も想像できないと思います(笑) ふふっ(笑)」
“意外” ……
「まだ僕の知らない貴女の意外な一面も知りたいですね。」
「底の浅い私に意外な一面なんてもう無いですよ(笑)」
「そんなことないでしょう。」
香さんの手を握ると優しく握り返して僕の目を見た
「今夜は泊まって行くでしょう?」
「一応… そのつもりです… 」
照れながら僕の目を見つめる彼女を抱き締めてキスをした
時々離れる唇がまた貴女に触れたくて何度も何度も唇を重ねてしまう
ワンピースの背中のファスナーを少し下ろし指先を肌に滑らせると女性らしいなめらかな肌の感触が伝わった
「ま、まだ、明るいし… 」少し拒んだ
「すまない。でも夜まで待てそうもない。」
彼女を抱き上げ隣の寝室のベッドに降ろした
「がっついてるな(笑)… でもあの流星群を見に行った夜からずっと欲しかったんです。香さんが… 」
ワンピースを脱がせるとレースのキャミソールが現れ 香さんは恥ずかしそうな表情をした
「そんな、まじまじと見ないでください、、」
「香さんはとてもズルい人だったんですね… 身も心も貴女の虜にするつもりなんだな 」
「またそういうこと… 」
首筋にキスをするとビクッと反応した
貴女はまるで美しい音色を奏でる楽器のように
僕の唇や指に敏感に反応をした
ーー 完全に身も心も僕は貴女の虜になってしまったようだ
ーーー
リストラ候補者名簿を統括本部長に送信した
苦渋の選択という言葉はこういう時に使うんだな
リストラ候補者の中に彼女の名前もある
個人的な感情で選べるものなら彼女の名前は入れたはくなかったし誰も欠けることが無い体制が望ましかった
「はぁ… 」
このところ ずっと頭痛が止まらない ーー
鎮痛剤を飲んでも気休め程度しか効き目がない
リストラの肩叩きと言っても「辞めてくれ」と会社側からは決して言わない
あくまでも自主退社を促す、説得するという方法だ
その役目は僕ではなく専任担当者がいる
その担当者にならなくて済んだことに内心安堵した
とはいえ自分が下した人選
それが重圧として重くのしかかっていた
部内は いつ自分が担当者に呼びだされて切られるのだろうかと戦々恐々とした緊張感が漂っている
香さん… 本当にすまない
彼女はいつもと変わらない様子だからまだ呼び出されてはいないのだろう
彼女からメールが届いた
“白川さん ずっと悩んでたんですね。私なら他の職を探しますから白川さんが気に病むことはないですよ。私は大丈夫です。”
ーーえっ!
香さんは少し微笑んでいた
もう担当者との面談が終わっていたのか…
香さん…
“今夜 会いたい”
僕の顔を見た
“ごめんなさい。今日は会えない。”
…初めてだ
香さんから断られたのは
“そうか。では明日は?”
“明日も、しばらくは。すみません。”
ーー 何故だ
香さんはPCに向かった
しばらくって…
リストラの件が理由だろうか
また 罪悪感を感じて
胸が苦しい
ーーー
それからの香さんは
仕事を定時で終わらせ直ぐに退社するようになった
そのまま家に帰っているのだろうか
それとも何処かに行っているのだろうか
僕は退社後 香さんにメールを送った
“香さん。今どこですか?”
返事は来なかった
帰宅して電話をかけてみたけれど
電話にも出ない
ーー また嫌な予感がする
24時を過ぎた頃 メールが入った
“遅くなってごめんなさい。もう寝てますよね? おやすみなさい。”
“起きていました。今 電話しても構わないかな。”
“もう遅いのでまた明日。”
ーー 香さん …
“香さんの声が聞きたい。”
その返事は結局来なかった
翌朝 会社での香さんはいつもの通りだった
メールの返事は… まだ無い
香さん…
定時になって帰り支度をする香さんを呼び止めた
「笹山君、ちょっと。」
香さんはチラッと時計に視線を向け僕の元に歩み寄った
「帰るところすまないね。ちょっと話があるんだがいいかな。」
「はい。なんでしょうか。」
ひと気のない所に場所を移した
「香さん。もしかして… 僕を避けていますか?」
「… え? いえ、、そういう訳では。」
「毎日どこかに行ってるんですか?」
「… はい。」困ったように視線を外した
「どこに行ってるんですか?」
責めているように聞こえないよう穏やかに問いかけた
「…それは またその内に。」
やっぱり教えてはくれなかった
「貴女と食事に行きたいのですが… 」
腕時計を見た彼女は
「ごめんなさい。私 急いでいますので これで。」
時間を気にして帰ってしまった
何故 どうして…
会社を出て駅に向かった
香さんに似た後ろ姿が雑踏の中で見えた気がして追いかけた
やっぱり香さんだった
「香さん!」
香さんの隣には30代なかばに見える男と一緒に歩いていた
親しげな若い二人の後ろ姿を
50を過ぎた中年の僕はただ見送ることしかできなかった
そう… か
そういうこと
だったんだな…
貴女は今 幸せ… かい?
ーーー
香さんが植えたポーチュラカの種が可愛らしい小さな芽となって土から顔を出した
毎朝 欠かさず水やりをしながら声をかけている
「頑張って育ってくれよぉ~ “香” (笑)」
僕は香さんが植えたその花に
彼女の名前 “香” という名をつけた
そして いつものように部屋を出た
香さんが今日退職する
会社で顔が見られるのも… 今日で最後
最後の日 香さんは残務整理と業務内容をデータにまとめていた
僕の心は寂しさで押し潰されそうだった
いつの間に僕の心はこんなにも弱くなってしまったのだろう
一人…
そしてまた一人と
この部署から仲間が居なくなる度
いつも同じことを自分自身に問いかけた
“本当にこの選択は正しかったのだろうか”と…
香さんが別れの挨拶をしている
もう このまま会えなくなってしまうのだろうか
最後に僕の所に挨拶に来た
「部長。今まで 大変お世話になりました。」
深々と頭を下げた
顔を上げた香さんは目を潤ませながらも気丈に笑顔を作って僕に見せた
明るく前向きな彼女らしいその表情に
“もう貴女に会えない” と心が感じてしまった
僕は堪えることも忘れ 涙が溢れ出てきた
「…すまない 」
香さんの目にも涙が溢れてきた
「部長が謝ることじゃ、ないですよ(笑)
本当にありがとう、ございました… 」
彼女はまた
深々と頭を下げた
その彼女の足元には
涙の滴が降り始めた雨のように落ちていた
ーーー
「香、今日も綺麗に咲いてくれてありがとうね(笑) 」
僕は今日も花の “香” に声をかけた
きっと端から見れば僕は変な奴に見えるだろうな
香さんが退職してからもう3ヶ月
香さんは変わらず元気だろうか
また熱を出して寝込んだりはしていないだろうか
この花の “香” のように綺麗にどこかで咲いているだろうか
休日
僕は肥料を買いにホームセンターに向かった
肥料は沢山の種類があるので目当ての肥料を探し棚を覗いていると聞き慣れた声がした
何気なく声の方に視線を移すと
そこにいたのは
ーー 香さん!
あの時偶然見かけたあの男と一緒だった
僕はさりげなく身を隠した
「これじゃない。こっちだって!」
あぁ… 香さんの声だ…
「はぁ? お前が言ってたのって、これだろ!?」
二人の距離感の近さに
ズキズキと心臓を刺されるようだった
僕とはこんな仲になれなかったな…
親しげに話す二人に 小さな女の子が駆け寄ってきた
「走ると危ないって言ったろ?」
男は女の子を抱き上げた
子連れ… ?
バツイチの男なのか?
そこに別の女性が歩み寄ってきて香さんに話しかけた
「見つかった?」
「見つかったよ(笑)」
花の土を探していたようだった
4人がどんな関係なのか全くわからない
その時 小さな女の子はその男をパパと呼んだ
「ママ、ちょっと抱っこしといて。俺、香と土と肥料運ぶから。」
ーー え?
一体どういうことだ?
あとから来た女性に男が『ママ』と言ったことに戸惑った
「兄ちゃんはほんっと昔から聞き間違い多すぎ!」
「いーや!お前が言い間違えてんだ!俺が悪いんじゃないね!」
なん…だ…
兄妹… だったのか
僕はあの時
香さんの新しい彼氏なんだろうと勝手に思いこんだ
なそうだったのか…
もう別れた関係なのに
安堵してる自分に気付く
やっぱり僕は
まだ貴女への想いを裁ち切れない…
「ところで。店の方はどこまで準備が進んだんだ?順調か?」
店… ?
「まぁ一応予定通りに進んでる。オープンまで時間かけられないから気持ちは焦ってるけど。来月にはオープンさせたいなぁ… はぁ~でもたまに不安になるよ~ 。私にできるのかなって。」
香さんは何かの店を出すのか
「健二にも手伝わせるから。できるだけ金は使いたくないだろ?」
「え~? 健二が手伝ってくれる~? 私が手伝いを頼んだら面倒くさそうな返事したよ?」
「あいつは自分のことには要領は良いが人のためにとなると面倒がって動かんからな!勝手なヤツめ!こんな時こそあいつに手伝わせてやる!ふんっ!」
香さんには他にも兄妹がいる…?
僕は何も知らなかったんだな…
「あ、この種… 」
「あ?」
「この花… 私が好きな人が好きな花 」
“好きな人”という言葉に胸がドクッとなった
「“ポーチュ… ラカ” ? 呼びにくい名前(笑)」
ポーチュラカ!?
その“好きな人” って
それはつまりまだ僕のことを…?
「へぇ~(笑) お前、好きな男いるんだ(笑) どんな奴よ(笑)」
「言わない!そんなニヤケた顔して聞いてきた時はロクなこと言わないじゃない!」
「ニヤケてないぞ!兄ちゃんは妹を案じてんだ。いい歳して男一人いない不憫な妹を可哀想だと思ってるんだぞぉ~?」
「そうやってバカにするから言いたくないの!心配しなくても兄ちゃんみたいにふざけた人じゃないから。とても誠実な人だよ!」
「俺だって誠実だぞ?」
「どの口が言ってるの? サエちゃんは兄ちゃんのどこが良くて結婚したのか… さっぱりわかんない。」
あぁ… 貴女はこういう人だったんだ(笑)
僕にはこんな顔を見せたことがなかったね
「お前の片想いか?」
また胸がドキッとなった
「… うん。私の片想い。」
えっ、、違う!!
どうしてそんなこと言うんだ
僕はまだ、、
「ふぅん… そっか。まぁ今は恋愛どころじゃないわな。店のオープンとかあるし。チラシとか配るか?あ!健二に配らせるか!(笑)」
「そうだね!(笑) 」
「よし!これだな!」
土と肥料をカートに乗せて二人はレジに向かった
香さんが元気そうで良かった
貴女はまだ僕のことを忘れてはいなかった
まだ僕のことを好きでいてくれた
なのに何故…
貴女は僕から去ってしまったんだ
僕はまだ貴女のことをこんなにも想っているのに何故 貴女は片想いだと思ってるんだ…
ポケットから携帯を取り出した
また貴女に電話をかけることを
許されるのだろうか…
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