なにが面倒くさいかと言うと図書館まで行く事。
引越しする時、近所に図書館ある事、条件の一つにしていたが、今いる所から歩いて15分以上かかる。(図書館方面、なぜかあんまり自転車で行きたくない)
久が原にいた時、歩いて5分の所に2箇所も図書館あった。(大田区だけで図書館17あったはず)
横浜は1区にひとつ。つまり18しかない!。
埼玉の所沢図書館みたいに、コンビニで受け取り返却などできるよーにならないかなー!。(前から思っている)
a left‐handed lady、つまり左利きの女性っていいなと思ったのは父親の日本テレビの秘書の女性がそーだったから。
その女性は福岡県(確か)の出身で江頭さんという人だったと思う。(最初、○渡さんだと思っていたが、思い出したので訂正)
父親の葬式は日本テレビの社葬だったが、お通夜は自宅。
台所で左手に包丁持って野菜切ってる姿を見ていて、いいなと思った。(あっ、台所で思い出したが、作家の森村桂さんが家に遊びに来た時、大工さんに作ってもらったくくり付けの食卓をえらく気に入ってた)
綺麗な人だったのも関係するかもしれないけど、この日からa left‐handed ladyに憧れたが、付き合った彼女はすべて右手使い。
父親は秘書のa left‐handed ladyがミエハルくん(仮名)のお嫁さんになってくれたらいいなと言っていた。
当時、ミエハルくん(仮名)の恋人kさんは2つ年上だったが、なぜかミエハルくん(仮名)は別の人と結婚。 (父親は年上じゃない方がいいなと言っていたけど、別の人と結婚した時はすでに他界)
しかし新婚時代から、このkさんと今から10数年前まで付き合っていた事は以前にも何度か書いたが。(弟、浮気現場に遭遇)
父親が生きていたら、今の奥さんを、どー思っただろーか?。
父親が生きていたら、こんなミエハルくん(仮名)を、どー思っただろーか?。
レフト ハンディッテド レディの秘書の女性を思い出したのは一昨日、坪さんと一緒に麹町の日本テレビがあった場所まで行ったからかもね。
レフト ハンディッテド レディ好きは、この曲好き!。
大村憲司"LEFT-HANDED WOMAN"
グラサンは昔から1本所有していたけど、外出する時、ほとんど掛けるよーになったのは横浜来てから。
確か、横浜開国博Y150(2009年)の時、夏はヒルサイドの会場にレイバンして行っていたが、毎日するよーになったのは多分白内障になってからかも。
レイバンはレンズがガラスなので少し重く、鼻からズレるので、新しく一本ゲット。(ズレ防止のゴムを去年買った)
それをずーっとしていたけど、最近落として無くした。
どっちにしても、そろそろ替え時だと思っていたので、昨日新しいのゲット。
最初ベイクォーターにあるメガネ屋チェック。
店の前に、1本だと3000円だが2本買うと4000円という持ってけ泥棒投げ売り状態で売っていたが、あまりにもデザインチープなグラサンだったで、とっとと去る。
ユニクロでも出しているので2店舗見に行ったが置いてなかった。
横浜駅西口ヨドバシの上にあるユニクロの女性店員に
「サングラス売ってますか?」と聞いたら、不思議そうな顔され
「置いてません」
この店員は、多分ユニクロでグラサン売っているのを知らないんだと思う。(ビブレにあるユニクロでグラサン売っているのを見た事あるしネットでも売っている)
ヨドバシのビルにメガネ屋あるので覗いてみたら、期間限定セールをやってた。
基本、無くしたり落としてもいいくらいの値段のやつが欲しかったので(レイバンは無くしたくない)えらく安かったので、ゲット。(やはりメガネはメガネ屋で買った方が安心)
当たり前だがUVカット。
偏光レンズじゃないが気になる時は、レイバンすればいいけど、基本アウトドア派じゃないので、さほど気にならないでしょ。(無くしたやつも偏光ではなかった)
デザインもウエリントン型(って今回サイトでグラサンチェックしていて、僕が今までしていた奴が、これだと知った)。
グラサンは何年か前、目の調子が変だったので、近所の眼科(ここはヤブ医者だった)で緑内障と白内障併発していると言われてから、毎日するよーになったと思う。(って最初に書いたが)
緑内障は遺伝が原因だと言われている。
父親が緑内障の手術したのを覚えているので自分もなっても不思議じゃないので言われた時、特に驚かなかったが白内障の手術をした後、3ヶ月に一度ぐらい、けいゆう病院で検査していたけど、最終的に緑内障ではないという結論。
でも手術した後、目の保護の為、グラサンしている。(そごうとか地下街など屋内では外している)
kitty(レコード)にいた頃から忘年会苦手。
アーティスト(中山ラビ)のライブに、わざと取材入れ、会社の忘年会欠席したほど。(この時、ラビたちメンバーには喜ばれたけど)
なので、臨機応変優柔不断なんで期待しないでください。
行く気になったら行くかもしれないけど。
去年も市民放送局の忘年会、遅れて出席したけど、一人で行きたくないので杉山さん同行。
基本、パーティなどに出席しても、一人浮いちゃうので。
先週土曜のイベント後の懇談会でも、孤立しちゃった。
なので写真撮ったり、田中康夫さんやら、坪さん宮島さん達パネリストの最後の締めの様子を録画したり。(これyoutubeにupしない方がいいと思うので、放ったらかしにしてある)
結局、アルコール飲みすぎ、所々、記憶ありません。
だいぶ前に高校のクラス会があり二次会の店の入り口で一人、ぼーっとしていたら、当時の担任に
「磯田は、今みたいに、いつもみんなと距離おいていたな」
と言われたほど。
変わってないって事です。
市民放送局の忘年会は誘いたい子いるけど、無理でしょ。
引越しする時、図書館、本屋、KALDI、OKストア、パン屋、公園、ダイソ
ーなどが近くにあるといいなと思っていたが、図書館は隣の駅で歩きで20
分ぐらいかかり、ちと不便。(久が原は歩いて5分ぐらいの所に図書館二つあった)
気に入ったパン屋(久が原には一軒あった)も特になかったが、メゾンカイザーがそごうにやってきた。
他にドンク、浅野家、ポンパドール、アンデルセン、ペックなどあるが、最近、高島屋ファームに置いてあるパン、チェック中。
引っ越してきて、しばらくしたら近所にKALDI出現。
そしてなんとユザワヤ(蒲田に本店)もやってきた。
本屋は紀伊国屋、丸善、有隣堂がある。(久が原には使える本屋ゼロ。しょうがないので自由が丘、蒲田まで自転車で行ってた)
公園は、さほど大きくないけどポートサイド公園、幸ヶ谷公園、神奈川公園、反町公園などある。(久が原時代は池上本門寺が公園の代わりだったかな)
井の頭公園みたいに池がある公園が良かったが、ポートサイド公園は運河が
あるから、なかなかいい。
歩きで15分以内にスーパーが10店舗ぐらいあるけど、今現在、OKスト
ア本社&店舗が自転車で5~6分のところに建設中。
妙蓮寺にOKあると言うだけど、住みたいと思っていたのでマンション見に行ったが、なんとなく寂しい感じだったので辞めた。
なのでマリノスタウンにOKストア出来たら、ここがメインスーパーになると思う。
これで紀ノ国屋がルミネにやってきたら、ほぼ完璧かな。
誠意を持って毎月返済しますと借用書に書いてあるけど、昨日も銀行で通帳チェック。
平成20年から一銭も返済ありませんけど、どーゆー事でしょーかミエハルくん(仮名)
母親は、あなたの借金返済用に銀行にわざわざ口座作ったのに。
「昔はあんな子じゃなかったのに」と母親は泣いておりました。
2月にも書きましたが、フェイスブックの情報の所に書いてあった「都会から逃げました」をよーやく書き換えましたね。
「オレはママと違って見え張りじゃない」と豪語していたのは、どこのどいつだったかな?。
「都会に住めなくなった」でしょ。
いつまでたっても反省しないね。
こーゆーやつが、でーきらい。
さっさと母親と弟と弟の友人に借金返済したら?。(もしかしたら他にもいるかも)
楽になるよー。
弟はずーっと我慢してきたんだから、あんたのデタラメに。
なんで引っ越したのかな?。
なんで、あんただけじゃなく母親弟も引っ越すことになったのかな?。
なんで関西のおばちゃんジャズシンガーA.Cのファンクラブの運営が変わっちゃったのかな?。
あんなにブログなどに、おばちゃんの話を書いていたのに、ファンクラブ消滅してから一切書かなくなっちゃった。
また同じ過ち犯しちゃったのかな?。
10年ぐらい前、銀行から、またまたお金借りる理由が、
「◯△×◇ーに渡すお金が無いので銀行から借りる」
「そのお金、どこいっちゃったんだ?」
「それは言えない」の一点張り。
バカでも分かるでしょ。
8万もするデジカメ買ったのに、弟には知り合いから貰ったと言い張るミエハルくん(仮名)。
あんたの借金問題を天才的行動で救済してくれ、その後も面倒みてくれてる、弟の友人税理士Yには
「仕事で必要なので買った」と言っているのに。(あんなレベルの写真で仕事?)
あんたいったい いくら借金残っていると思っているんでしょーか?。
そんな8万もするデジカメ買える余裕があったら、借金返すのが当たり前でしょ。(母親も弟も弟の友人Yも怒ってる)
もしかしたら忘れちゃった?。
都合の悪い話は、
「何の話?」「覚えてないな」
何度この言葉を聞いたことやら。
笑ってごまかす。
話をすり替える。
得意だよねー、こーゆーの。
なんだったら借用書 FBに公開してあげるよ。
そしたら思い出すでしょ。
「仕事の話がある」
「またお金か?」
「お金じゃない!」
でも毎回、「金貸してくれ」
「二度と銀行からお金借りない。今回が最後」
と言ったが、二年ぐらいしたら、また借金
「二度と借りないと言ったじゃないか!」
「そーゆーわけにはいかなくなった」
恥ずかしくないかね、ミエハルくん(仮名)
ミエハルくん(仮名)は、この前、母親の家のすぐそばのホテルに奥さんと一緒に来ていたが見舞いに来なかった。
その数ヶ月前にも中華街あたりに出没している。
その前にも桜木町に来てる(これに関して以前にも書いた)
お金借りに来た2008年以降、一度も会いに来てない。
お金が借りられないと、しらんぷり。
横浜のクリフサイドでライブ主催するらしいけど、もちろん招待してくれるんだろーね。
ところで、奥さんにあの話したかな?。
あの話、電話で教えた時の、ショック大きかったみたいだから、してないかな。
奥さん、パニくるかもしれないから、言わない方がいいかもね。
昔、福岡県にある海の中道海浜公園で浜田省吾さんのライブ撮影した時知り
合った、女の子二人と太宰府天満宮まで遊びに行き、撮影した写真、紙焼き
してあげたら、結婚していた一人の子の旦那がそれ見て、ヤキモチ焼いたら
しく破り捨てられたと言っていた。
別に、こちとら、その子に恋愛感情なんてなーんも無かったんだけどね。
そのあと、彼女、離婚しちゃったんだけど、結婚している子の写真をメイン
にして撮らない方がいいなと思ったりしている。(その子、当時、まだ30代だったと思うけど)。
そーいえば、結婚したばかりの元音楽雑誌の女性編集者に、ある資料を送ったら、旦那が封筒に男の名前があったので破り捨てたと、後で聞いた事ある。
こっちはその後、どーなったか知らんけど、ヤキモチ旦那は厄介。
まっどーでもいいけど。
MoiMoi。というネーミングを付けたのは永六輔さんを知っている人がいたので、一緒に絵本の事で相談しに行った時、磯田守人じゃ硬いと言われ、ペンネームにしなさいと言われたから。
MoiMoi。はフィンランド語でバイバイの意味。
当時、大田区久が原の図書館でスウェーデン語でUAみたいな感じでいいネーム無いかと探したけれど無く、フィンランド語はどーかと思い調べてみたら、これいいじゃんという事で付けた。
最初はmoimoiだったが、あっこちゃんに15画にした方がいいと言われ、彼女がmを大文字にし、最後に○付けてくれた。
しかし横浜引っ越して来て、たくさんの人からモイモイさんと呼ばれるなんて考えてもいなかった。
ZAIMにあったヨコハマデザインラボの集まりで、自己紹介した時、モイモイと言ったのが始まりだと思う。
そん時、ちゃんとフィンランド語だと言ったと思うが、ハワイ語じゃないのかなどと色々噂されていたよーですが。
僕は東京時代、友達は音楽業界の人しかいなかったと思う。
なんせ小中高大学時代の友人とは音信不通なんで。
大学のクラスメートの藤崎君とはKITTY時代に飲みに行ったが、今どーしているのか分からない。
以前、彼が住んでいた横須賀中央駅に行った時、家を探してみたが、周りの雰囲気が変わっていて、分からなかった。
フルネームをFBで検索しても出てこない。
僕の場合、同姓同名一人もいないので、すぐに居場所分かってしまう。
だから僕を探すのは簡単、なんとかなっちゃう。
携帯番号変わっていないし。
性格も変わっていないし。(たぶん)
しかしヨコハマ来てから、仕事関係なく大勢の人と知り合いになった。
おそらく数年で何百人と出会い、仲間になった人も数えきれないほどいると思う。(ヨコハマで昔の知り合いに何人か再会したのにはビックリしたけど)
横浜での新しい出会いが新しい環境を作り、東京時代とは、すべてが激変した。
そーいえば、僕は子供の頃、しょっちゅう「〜じゃん」と言ってたらしく、「君は横浜(横須賀)出身?」と言われた事がある。
前にも書いたが、ホントは東横沿線、川崎市を移住地として考えていたが、ひょんな事から横浜まで来ちゃった。
武蔵小杉、日吉、大倉山、妙蓮寺、南武線沿線のマンション見に行ったが、どこまでが川崎で、どこから横浜なのかさっぱり分かっていなかったが、結局、横浜来てよかった。
大倉山近辺住んでいたら、まったく違う世界と出会っていたかもしれないけれど。(大倉山も横浜市だけど)
あっちこっち話が飛んで、まとまりの無い、あいかわらずの文章でした。
(追伸)これ書きながら、UAのサイトを開いていたが、リフレインで流れてくる、彼女の歌(声)がとても心地よい。
オリンピックのエンブレムデザイン盗作疑惑に関して自分ではそんなつもりで創作したわけじゃないのに、頭のどこかにイメージが残っていて結果的に同じよーなもんができちゃうケースもあると思う。
10年ぐらい前に、たまたま図書館で、むかーし読んだ別役実さんの童話の本をミッケて懐かしーので借り読んでみたら、当時ボクが書いたストーリーとクリソツな短編あったのでビックリした事がある。
あれーこれもし世に出たら、盗作で訴えられちゃうと思ったほど似ていた。
僕程度でもこんな事があるんだから、今回の事件に関して、なんとも発言しにくい。
ただ疑惑持たれた方が、盗作に関して「問題ない」なんて発言したら、相手は怒っちゃうよね。
問題あるかどーか決めるのは相手でしょ。
結局ベルギーサイドは法的手段に出るよーですね。
なんで、あの高校を受験したのか、まったく記憶に無い。
もっと家から遠くにある学校に行きたいと思っていた記憶があるが、通学に1時間以上かかるよーな学校は、まっぴらごめん。
父親は出来の悪い僕を心配して、この高校受験は、会社の部下に卒業生がいた為、裏から手を回した。(誰かさんが会社に入る時も裏から工面していたけど)
それを知ったのは掲示板で自分の合格確認した後、書類受け取りに窓口行ったら、すでに取りに来た人いると言われた時だったと思う。(ここらは昔の事なんで記憶曖昧だが)
入試終わった段階で合格したと思っていたので、そんな事しなくてもいいのにぐらいに思っていたと思う。
一年生の時、最初の試験で僕は学年で28番ぐらいの成績だった。
当時、僕のクラス56名いた。
AからHクラスまであったので、1学年450名ぐらいはいたはず。
普通に受験していても合格していたはず。
内心ずーっと思っていたけど、父親には何も言わなかった。
別に恨んでもいない。
本当に知能が遅れている子供だったので心配して当たり前。
小学校に入学した時、普通の学校に入れてよかったみたいな事を母親が言ったのを、なんとなく記憶しているが、入学後の親子面接で言葉が幼い(幼児に近い)と先生に言われたので、同級生よりかなり劣っていたんだと思う。(少し話は逸れるが、4年生から担任になった雨宮先生(女性)が僕をとても可愛がってくれ、先生のお陰で僕は勉強するよーになった。雨宮先生と出会っていなかったら、その後、どーなっていたか分からない)
高校入学後、最初の個人面接で大学進学に関して問われたので、
「慶應に行きたい」などと適当な事言ったら、
「君ならがんばれば入れる」
アホか、慶應入れるぐらいだったら、こんな学校来てない!。
と内心思い、やる気なくなり成績ガタ落ち。
担任が『磯田、何かあったのか?』と心配してくれたが。
付属高校だったので、簡単な試験で同じキャンパスにあった大学に入れたが、不合格。
後で調べたら30点ぐらい足りなかったらしいが、その程度だったら、裏から手を回せば何とでも出来たと言う話。
でもあのまますんなり大学行かなくてよかった。
二浪し国学院に入ったが、ここも別に行きたい学校ではなかった。
試験科目が少なかったので(英語と国語?)受けただけ。
興味ない科目は、まったく勉強しなかった。
理数系はすべて全滅。
世界史も中国の地名、人名覚えられないので飛ばしていた。
国学院の入試、英語の試験で二箇所以外はすべて正解だと自分で分かっていたので、間違いなく合格したと思った。(よーするに英語だけで合格したよーなもん)
合格発表見に行きすぐに母親に電話
「思った通り受かっていたよ」
国学院は母親の実家の、すぐ近所だったので、あんまり評価が高くなかった大学だけど、自分の実力で合格したので嬉しかった。
ただ文学部は片親(二浪の時父親急死)だから就職に不利だと言う、母親の訳の分からない理由で受けさせてもらえなかった。
なので受験した大学すべて経済学部だったのではないだろーか。(今みたいに国際学部や人間なんたら学部なんて無かったし)
経済学部、はっきり言ってちんぷんかんぷん。
まったく興味無かった。
英語と社会人類学の授業以外、ほとんど出席しなかったが3年でほぼ単位取り4年生の時、レコード会社で半年バイトでプロモーターやる事出来た。(英語の試験は毎回100点。クラスで一番だった)
心理学部に行っていたらと思う事がある。
一橋大学の南博氏の心理学の本など読んでいた。(今でも本屋に行くと心理学の本棚見る)
ちっちゃな時に、叔母の友人(医者?)が、一度診察してみたいと言っていたので、かなり変わった子供だったんだと思う。
心理学に興味があったのは、自分を分析したいと思っていたからだと思う。
ある著名な心理学の先生も自分を知りたく心理学を勉強したと書いていた。
僕は今でも自己分析している。
(あとがき)
う〜ん、今回もとりとめの無い文章だった。
支離滅裂は子供の頃から変わって無いな。
FBにコメントしても、話があっちこっち飛ぶのは、やはりどこかに問題あるからだろーね。
ある日、電話がかかってきた。
「はい」
『ア・タ・シ』
なんだか甘えたしゃべりかた。
誰だろー?。
「どちら様ですか?」
『アタシだったら〜』
うーん水商売のおねーさんみたいだなー。
「えーっと」
『もー』
「あのー弟ですけど」
そのあと、相手が何言ったか覚えて無い。
名前言わず切ったかも。
それとも、誰々さんから電話かかってきたけど、弟と気づかず話された事伝えたかも。
聞いた事ない声。
恋人の声は知っているから、彼女じゃない。
でも、あの話し方は、かなり親密な関係。
あんなに色っぽく怪しげに話す女性とオイラは付き合った事がない。
あれはいったい誰だったんだろうか?。(オイラに関係ないからどーでもいいけど)
何十年も前の事をなぜか突然思い出した