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「この世界には私が撮らなければ誰も見たことがないものがあるのだと信じています」by ダイアン・アーバス。   

変わった名前の人多かった

2014-03-13 | コラム

子どもの頃、よく父親と一緒に釣りに出かけた。

羽田沖での釣りが多かったよーな気がするけど、近所の多摩川にも行ったかな。(真鶴とか千葉にも行った記憶がある)

当時、鯨の大和煮の缶詰が好物だった。

なので多摩川などに行く時は母親が作ってくれたおにぎりと大和煮の缶詰持って行ってた。

海釣りは子どもでも釣れるハゼがメインだったんじゃないかな。(アイナメ、メゴチなども釣ったかな)

船上でハゼとかキス食べた。

早稲田でクラスメートだった森繁久彌さんらと一緒に釣りに行った事あるらしいけど、僕は覚えてない。

覚えているのは確か日曜、父親の勤めている日本テレビの番組に森繁さんが出演するので、父親と一緒に行き会った事。(おそらく父親が出演交渉したんじゃないかな)

「趣味は何かね?」と聞かれたので「なんでも趣味です」と、つまらん返事をしたのを覚えてる。(後悔)

この時代、日本テレビには、まだテレビ塔があったと思う。

以前、永六輔さんがラジオで、その昔、日テレのテレビ塔の下に人家があったと言っていたけど、本当かな?。

直木賞作家の戸川幸夫さんと車で大洗に行ったのは覚えている。

運転は女の人だったと思う。(この人、確か戸川さんの秘書だったかな)

車が何かのプレゼント(森永コーラスとか言ってたよーな)で当たったと言っていた記憶があるが、その時乗った車はそれじゃなかった。

戸川さんは作家になる前、毎日新聞にいたので父親の同僚って事になる。
今でも顔をよく覚えている。
でも釣りした事はまったく覚えて無い。
覚えているのは大洗に行く途中、涸沼で鯉こく食べた事ぐらいか。(旅館で戸川さんの部屋に行った事も微かだけど覚えている)
 
『三丁目の夕日」で有名な西岸良平さんの、おとーさんともよく釣り行った。
西岸さんはたぶん早稲田時代の友達だと思うが、定かじゃない。

ゾウリキさんと言う人もいた。
この人は、日系アメリカ人だったと思う。(アメリカ在住だった)
アリゾミさんと言う人もいた。
酔っぱらうと電話してくる牧内さんと言う人もいた。
確かこの人、神奈川県に住んでいたと思うがtvkにも牧内さんと言う人がいる(いた?)ので、もしかしたら、親戚かもしれない。

しかし父親の友達には変わった名前の人多かったな。

 




 

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