『何になりたかったの?』
「何だろー」
『何やりたかったの?』
「何かな」
『どこに行きたかったの?』
「ココデハ ナイ ドコカ」
中学三年生の時、学校から、一番レベルの低い都立の学校群(同じグループに三校ぐらいあり、受かっても何処の学校に行かされるか分らない最悪な制度)だったら確実に合格するから受けるよーに言われたが拒否。
1つレベルが上の学校郡受験し、とーぜん不合格。
でもいいの。
学校サイドとしては、何人都立に入学したか、それが自分達の実績になる。
そんな奴らの思うつぼなんてまっぴら御免。
付属高校時代も他大学受験のシステムに反発。(他大学を受けたら、付属高校から大学には行けない制度)
三年生の時、担任サカタ先生が学校に掛け合ってくれたが、ダメ。
どっちにしても、息苦しい高校だったので、さっさとオサラバしたかった。
大学も同じ敷地にあったので、あんなところにあと4年通うのもちとしんどかったが、結局35点ほど足りず付属から大学には行けなかった。
でもこれでよかったと思っている。
この時期、それまでの自分と違った服装に変わった。
大学受験、受からないと分っていても受けた大学数校。
もしかしたらと期待した訳じゃない。
受けなかったら後で後悔するかもしれないと当時思っていたか覚えていないが、とにかく受けた。
とーぜん不合格。
国学院は入試科目が英語と国語しかなかったんじゃなかったかな?。(歴史があったかどーか覚えていない)
だから受験。(2浪以上はしたくなった)
国学院は英語のみで受かったよーなもん。
英語は間違えたかもしれないと思った所が1カ所か2カ所。
後はすべて自信を持って正解。
国語、世界史(あったかな?)に関しては覚えてないけど、易しかったと思う。
経済学部なんてまったく興味ない学部だったが、文学部は受けされてもらえなかったので、しょうがなかった。
でも国学院は、いい学校だった。(キャンパスが狭いのが、ちと不満だったが)
考えてみると、色々挑戦してきたかもしれない。(大した挑戦では無いが)
カメラだって挑戦。(みんなに転職反対された!)
今は絵本で挑戦しているかも。
既成概念をぶっ飛ばせ!。
どっちにしてもはみ出しもんだから。
色々思い出して、自分に言い聞かせているだけの文章かもしれない!。(ゴメンチャイ)
なのでちと支離滅裂であります。