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「この世界には私が撮らなければ誰も見たことがないものがあるのだと信じています」by ダイアン・アーバス。   

「私ももーすぐそっちに行くから」

2014-09-07 | コラム

金曜、鎌倉駅の傍にある会館でビデオ撮影していて少し時間が空いたので外に出たら、携帯が鳴っているのに気がついた。

母親の東洋英和時代からの仲良し、ミド(みどり)が亡くなった。

ミドに何かあったら、ボクに連絡する事になっていたので、声のトーンで、亡くなったのは、すぐ分った。(今年保つかどーか分らないと聞いていたので)

最初、電話は長女のフミ(漢字知らない)からだと思って話していたが、どーも話が食い違うので変だと思ったら次女の、里美(りみ)だった。

フミとは時々電話で話しているが、里美はおそらく27年ぐらい会ってない。

たぶん最後に会ったのは、久が原の家の近所にあったファミレスの入口。

数人一緒にいたので話もせず、別れた。(こっちも連れがいた)

フミは母親と馬込の家に夕飯食べに行ったのが最後じゃないかな?。

馬込の鶏屋さんに七面鳥を取りにミドの車で行ったのを思い出した。

と言う事はクリスマス。

ミドは時々母親と演奏会などに行き久が原まで母親を車で送ってくれたので、その後も会っているかもしれない。

この前、アイルランドからジョイス(日本人)が一時帰国した時、ミドの家にジョイスがいたので、スカイプでテレビ電話したが、ミドはベッドに入っていたけど、結構元気そーだった。

化粧もしてないのにーとか言っていたのが、ミドらしかった。

それが動いているミドを見た、最後になった。

長男コタ(小太郎)はジャズピアニストで横須賀でジャズバーをやっているけど、彼に関して覚えているのは、ミド、里美達と彼がピアノを弾いている店(蒲田辺りだったかな?)に夜遊びに行った事。

ボクがまだ大学生の時だと思う。

その時、コタが、里美にコレ誰が演奏しているか分るかとゲーリーバートンとチックコリアの「クリスタルサイレンス」をかけたのを覚えている。

これ以来コタとは会ってないと思うが、沖縄宮古島にウインドサーフィンやりに行くと言うので東京から移住した知り合いのお店を紹介した。

昨日、フミ、里美、コタ、三人一緒に会うのは初めてかも。

ミドが安置してある部屋に入ると、里美が「あっ」と言う顔してボクを見た。

ボクは里美とデートした事がある。

コタの車を借り何処かに遊びに行ったが、五反田の交差点でエンジンが止まり焦ったのを覚えている。(すぐにエンジンかかったが)

里美は芸大中退してベオグラード(当時ユーゴスラビア)の大学にバイオリン留学。

ボクはテープに好きな音楽入れて、里美にあげた。

帰国してからはクラシックではなくロックバイオリンを始める。

日比谷野音で誰かのライブ(CHARだったかな?)の前座(確か)で出たので、せっかくだからと撮影していたら、気がつき、ビックリした顔して、ボクを見たのを覚えている。

それ以降、バイオリンをやっているのか不明。

彼女達のおとーさんは早く亡くなったが、クラシックの指揮者だった。(一度だけ馬込の家で見かけた)

ミドもチェロリスト。

ミドの妹は井上二葉と言う有名なピアニスト。

よーするに音楽ファミリーであります。

ボクがRCAレコードでバイトしていた時、フルート奏者のランパルと共演したレコードが発売され、

「井上二葉って母親の友達の妹」とクラシック担当の高橋さんに言ったら、ビックリしていた。

ボクはランパルも双葉ちゃん(と母親は呼んでいる)も、そんなに有名な人だとは知らなかった。

昨日、ミドに、もっと話しかければよかった。

でもたぶん、出来なかったと思う。

キリスト教でやると思っていたが、仏教風なので、やりかた分らずフミに聞き、間違えないよーにしなきゃとそればかり気にしていたので。

でも母親からミドへの伝言は、ちゃんと心の中で伝えた。

「私ももーすぐそっちに行くから」

ミドに会いに行ったら色々思い出した!。

落ち着いたら、またみんなと会いたい。


 


 

 



 



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