オイラが入学した私立高校。
靴まで指定だって言うのでビックリ。
それも前の所に2本線が入ったダサイ皮靴。
たぶん途中から靴変えて登校していたと思うが。
当時、他校の滑り止め校だった為、補欠合格者もたくさん取っていた。(今はかなり難しい学校らしいが)
オイラが入学した年、合格者が他校に流れず入学しちゃった。
なぜか補欠合格者も入れちゃったらしく生徒が多過ぎクラスが1個増えちゃった。(ここらの原因はよく覚えて無いけど)
なので使ってなかった教室を急遽復活。
結局AからHまでクラスがあった。(オイラHクラス)
入学当初からよく分らん学校であった。
1年だか2年だか忘れちゃったが面接で、大学進学に関して質問され、
「慶応に行きたい」みたいな事をすっとぼけて言ったら
「君だったらがんばれば入れる」と言われ、ずっこけたオイラ。
慶応入れるぐらい勉強出来たら、こんな高校来てません!。
入学当初、確か学年2~30番ぐらいだったが、その後、やる気が出ず成績急降下。
親子面接みたいな時に担任に
「どーしちゃったの?」『何かあったの?」
と、すごく心配されたのを憶えている。
この学校の唯一の楽しみは大学が同じ敷地内にあったので、奇麗なおねーさんが見られた事。
なので高校の学食以外に大学の学食(当時べルシバと言うのがあった)でも食べていたと思う。(ホントは禁止されていたんじゃないかな)
よく昼休みに大学の屋上(確か)から隣にある八芳園を眺めていた記憶がある。(木がたくさんあるので気持ちがよかった)
良い先生もいた。
大河原忠蔵と言う先生は当時NHKの通信講座の先生もしていて、美智子妃殿下をミッチャンと呼んでいた。(すぐ傍に住んでいたので、たぶん幼なじみだったんだと思う)
つい最近まで校長先生やってた三年の時の担任、坂田先生も色々相談に乗ってくれ学校と戦ってくれた人。
しかし近くのホテルで殺人があった時、警察から挙動不審人物いないか学校に問い合わせがあり、名簿を見せたと、確か倫理の先生(顔は憶えているが名前は忘れた)が教えてくれた。(ひでー学校)
苦手な修学旅行が無い高校だったが、山中湖の寮みたいな所に泊まりに行く小旅行はあった。(昔、庭の木で首つり自殺があったとか、なんか怖い話をされたのを憶えているがホントかどーか分らない)
東村山にも姉妹校があり、そこの運動場で運動会があったが、免許取り立ての生徒が仲間を乗せて車で来る途中、事故って大騒ぎになった。(クラスが違うので知らない連中だったが)
新聞にも載った事故だったので、たぶん死亡者もいたんだと思う。
クラスメートにもバイク事故って怪我した奴がいた。(まだまだ続くかも)