12・12・29
―想像力の誦句ー
天風師の誦句集を毎日1章、書き写しています。
今日は「想像力の誦句」でした。
「ありありと心に描け!その通りになるから・・・」
そうした趣旨の誦句です。
想像するって簡単な事ではありません。
今年2月~3月60日間、
豆本小説と称して60話、書き続けました。
時にはイメージが全く湧かず、
苦心讃嘆して捻り出すようなこともありました。
60話書き終わって、想像力って独特な力があるのかな、
程度に驚きを伴った新たな発見がありました。
国木田独歩の「武蔵野」を書き写しています。
風景描写に優れたものがあります。
「武蔵野」をこのように捉えているのか、と
捉え方、描き方に注目すると、今迄、見過ごしてきたものが
多々あることに気付きました。
「かぼちゃの絵だったら描けそう…」に始まって、
真似ることで、かぼちゃの絵が描けた、茄子も胡瓜も描けた。
真似ることでかぼちゃを絵としての捉え方、
絵に表現する描き方の初歩の初歩、
更に初歩的基本を真似することで体得している。
体得したから茄子も胡瓜も絵として捉え、絵に表現、従って
「かぼちゃが描けたから、茄子も胡瓜も…」
絵として捉え、絵に表現できる自信につながる。
国木田独歩の「武蔵野」を書き写すことで文学作品として
「武蔵野」の捉え方、描き方に注目している。
捉え方の基本的な見方、
描き方の基本的な型をおぼろげながら、体得しつつある。
今朝「想像力の誦句」を書き写すことで、
想像することの基本は捉え方、
言い換えれば見方、描き方の型を体得することではないか・・・、
と思った。
書き写すことの意義を発見したように思えた。