ホワイトの紫陽花日記~ありのままの自分で

難病(PD)あります。症状も人生も十人十色。肩の力抜いて深呼吸・・・喜びも悲しみも、ありのままの日々の生活を綴ります。

夏バテ

2017-08-22 16:28:42 | パーキンソン病

どっと、疲れがきてます。そんな時はやはり無理しないでいること。

自分にとって大事なイベントを乗り切りました。結婚式に参加できた!友達夫婦と7回目の旅行できた!

いい思いで作れました。

一泊二日の旅もオフを起こすこともなかった。

岩手の小岩井農場と宮沢賢治童話村、前回の五千円札の新渡戸稲造に触れることができました。

新渡戸稲造の「武士道」の本と宮沢賢治の98作品入ってるDVDを土産に買いました。

武士道的「一日一言」を読んでます。その日の格言が書かれてる。

今日は「悪事」でした。

善悪を決めるのは本人である。誘惑を断ち切る気持ちを持つのも本人である。

ただ、そんなにうまくいかない、完全でないものね。

反省しやり直したらいい。

良いこと悪いことわかるのにしてしまうのが人間です。

ゆっくり、寄り道しても前に行こう。

夏バテで身体だるいです。もう少しの辛抱頑張ろう!

 

 


姪の結婚式

2017-08-16 10:47:17 | パーキンソン病

ご無沙汰してました。blogもお盆休みしてました。

睡眠不足にならなければ、まあまあの体調です。

私にとっての8月のイベントが2つありました。1つは姪の結婚式へ最後まで参加したいということ。

親戚の名乗り、親戚一同写真撮り、チャペルでの人前結婚式、披露宴。14時から19時まで移動や

椅子に座って足り、拘束されます。当日にならないとわからない体調なんで、

姉にはいつでも具合休めるところ横に慣れるところ、帰った方がいい時は退席するということを打合せしてました。

大好きな着物は止め、ドレスにしました。

姪は本当綺麗でした。いい人と巡り会ってよかったです。

私は途中で疲れて帰るかもしれないと姉に言ってました。終わりまでの5時間も持つか自信まったくないでしたから。

なぜか控室で緊張し、ウーロン茶のグラスをもらったのですが、震えて飲めませんでした。

たまにしか合わない親戚とも会話も緊張ありました。

式は淡々とゆっくり進み、姪の綺麗な笑顔眩しい。若いっていいなぁとつくづく感じ、私にもあったのに‥‥。

いよいよ披露宴です。ここまで体もってる。あと2時間30分と時計を見ると、腕時計が止まっている。えー。

でもいいか。携帯がある。披露宴はほんと感動的でした。姪の気持ちと姉の気持ちが伝わった来て・・・・・・。

凄く感動したことは、お互い成長過程をご披露するプロフィ―ルで最後の一枚が私と祖母の写真だったのです。

姪っ子はどんな気持ちでこの写真を入れたのだろうか。「おばちゃん、病気に負けず頑張って!

そして大変なとき力になり支えてくれてありがとう!」と私には聞こえ来る。

身体が不思議に軽くオフがこない、足も重くならない。歩ける。

私は最後まで参加できた。姉から「最後までいてくれて、ありがとう」と言われ

お互いの手を握り合った。あっという間の感動の披露宴でした。

結婚式って何回いってもいいなぁ~!

 


ゆかたとモコと

2017-08-13 21:08:13 | パーキンソン病

お盆は家にいても、浴衣を着ます。

モコは着物に関心あるのかひざにあがり、落ち着きなく動いてしまいます。

今日は絞りの浴衣です。とても好きな一枚です。

明日は花火大会です。何年前か友人とチケット買って本当に近くで見た。

また見て見たい。今年は家から見える花火で、ゆかた着てモコと?見るか。

去年の夏より体硬いが、調子がいい。このまま維持できてるように頑張ろう!

 


食欲ない時食べるもの!

2017-08-09 17:10:26 | パーキンソン病

 

 

 夏、山形では「だし」という山形の郷土料理が食卓に並びます。

 美味しくてごはんにかけてがーと食べられます。

 食欲ない時時とかもあっさりしてますのでいいです。

 私はそれに豆腐を入れて食べるのが好きです。

*だしのレシピ

4~6人分

なっとう昆布16グラム・きゅうり2本・茄子2個・みょうが3個・カモメのちくわ2本・青紫蘇5枚・しょうゆ・七味

1、野菜その他をみじん切りする

2、納豆昆布を水で50㏄程度で5分

3,1と2を混ぜ合わせる。醤油と七味でお好みで。

今年のわが家の畑のヒットは「栗カボチャ」

たった二本の苗からたくさんの栗カボチャ

もとをとったなぁ~です。今朝、煮つけました。

ホクホクして甘く美味しいです。


父へ

2017-08-09 11:06:25 | パーキンソン病

父は3年前に喉頭がんで亡くなりました。81歳でした。

私がいろんなことあり、離職したのが8月、父は同じ年の9月に在宅で亡くなった。

離職する時、職場に行けなくなり、2か月間の休職後の退職でした。30年通い働いていた職場に

行けない自分と父の容態が気なるのに行けない自分、言葉にできないほどつらいものがありました。

運命なんでしょう、祖母の最期、父の最期を兄弟で私がいち早く看取り、二人に体を拭いてやることができました。

3年たった今私は強く少しなれたように思います。

父が買ってくれたテーブル出してます。

部屋も綺麗にしました。やれること精一杯やってます。夢の中でもいいから父に会いたい・・・