昭和2年生まれの父。生きていれば今日で97歳の誕生日となる。
生きてなくても生誕97年なので今日はひとりお墓にお花を手向けにお参りしようと思う。
父は平成6年3月に亡くなった。66歳だった。胃癌でステージ4で手術をしたが取りきれなかったと
手術後に医師から説明があった。発症して6ヶ月で生涯を閉じることになった。
その時、母は64歳。
久留米の大学病院で手術をして2ヶ月余りで地元のかかりつけの病院に転院した。
最後まで癌であることは知らされず、3ヶ月が過ぎた6年の正月明けから自宅に戻った。
父が畳の上で死にたい。病院で黙って過ごすのはしたくないと言い、母が了承したことで帰れた。
10年前くらいからぶどう園を買い求めてぶどうを作っていたので、母の負担は大変なものだっただろう。
それから30年が過ぎて、母は94歳になった。孫たちが結婚するのも見てきながら、曾孫も9人となった。
父は子煩悩であったが、6人の孫達にもそれ以上に致せり尽くせりの愛情を持って色々と動いてくれた。
(7人目の孫は父の亡くなった年の7月に妹に生まれました。その子が今年めでたくお嫁に行きました)
50歳まではタクシードライバーをしていたので車の運転が好きで、僕たちのいた長崎にも何度も母と足を
運んでくれた。
連休で子供たちを連れて帰ると、車であちこち連れて行って孫たちを喜ばせてくれた。
そんなことを誕生日の前日に思いつつ、日記をしたためています。
再来年には33回忌があり、その翌年が生誕100歳になる。あと3年。
母は97歳のはず。
母は胃腸が丈夫みたいで、3年・・・なら行けそうね、と笑ってる(2年前には無理~と言ってた)
今の母の年齢94歳と父の生きた66歳を足すと、ちょうど今年で160歳になる。
(夫婦二人の平均寿命が80歳)
母は父の分まで生きてきてくれた。そしてまだまだ生きていてくれる。
まだまだ母がやれることはいっぱいありますよ。そう感じています。
昨日(7日)みてねに博務のかっこいい写真が2枚アップされた
であと一枚はトップの写真 シュートの瞬間
はてさて、このシュートは決まったのでしょうか???????????? みてねのコメントにて問い合わせ中にございます。
このような成長を見られることにも感謝にございます。
父と同じく曾孫を見ることはきっと叶わないでしょうが、博務が二十歳になって一緒にお酒を酌み交わしてみたい。かな
そのためには爺はもっと自制、節制しなきゃね
そう。あれ、これ、それ。
最近でも、たまに博務と会うといつも言われたりしております。
が、懲りない爺でごめんね~~~
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