泉鏡花の最晩年の作品に『縷紅新草』があります。
盂蘭盆に郷里へお墓参りへ帰り、子供の頃慕っていた近所のお姉さんの幻に会う話。
鏡花の小説の書き方って、初期の作品ってどうも展開に唐突感があるものが多いけど、数を重ねるうち、次第に読者が読み進むうちにしっくりとそれを受け入れてしまうような、言葉・表現・構成・ストーリー運び・語り口・・・をつかみ、実に付け、意識的に展開できるようになったということではないか、と思っています。
そうやって、自分のインナーワールドを文字だけで読者の中に再現できるようになっていったと。
そういう点で、遺作である『縷紅新草』は、鏡花の技術が円熟して、非常にまろやかで、優しさが全面に出ていて、灰汁の強いのが好みな読者になら円熟しすぎて物足りないくらい・・・(笑)。
蜻蛉の群れが飛ぶ情景の美しさも限りなく幻想的です。
その『縷紅新草』というタイトルの縷紅草というのが、ほんとうにあるんだというのを知ったのは去年の夏。
近所の歩道の植え込みに咲いている丸葉縷紅草です。
盂蘭盆に郷里へお墓参りへ帰り、子供の頃慕っていた近所のお姉さんの幻に会う話。
鏡花の小説の書き方って、初期の作品ってどうも展開に唐突感があるものが多いけど、数を重ねるうち、次第に読者が読み進むうちにしっくりとそれを受け入れてしまうような、言葉・表現・構成・ストーリー運び・語り口・・・をつかみ、実に付け、意識的に展開できるようになったということではないか、と思っています。
そうやって、自分のインナーワールドを文字だけで読者の中に再現できるようになっていったと。
そういう点で、遺作である『縷紅新草』は、鏡花の技術が円熟して、非常にまろやかで、優しさが全面に出ていて、灰汁の強いのが好みな読者になら円熟しすぎて物足りないくらい・・・(笑)。
蜻蛉の群れが飛ぶ情景の美しさも限りなく幻想的です。
その『縷紅新草』というタイトルの縷紅草というのが、ほんとうにあるんだというのを知ったのは去年の夏。
近所の歩道の植え込みに咲いている丸葉縷紅草です。
ちょっとあでやかな花ですね。
小さいんですが鮮やかに赤いので、あでやかさ感じますね。鏡花的です(笑)。