口は災いの"素"

音楽テクニカルライター布施雄一郎のポジティブなネガティブ語録/独り言編

7年前の記憶

2018-03-11 14:46:00 | 日々是日常
7年前に書いたブログ。再掲載。


◆2011/3/11『記憶』
http://yellow.ap.teacup.com/mryf/4061.html

14時48分、大きな揺れを感じて、
慌ててテレビを点ける。

いつもなら、これで終わっていた。

しかし、揺れはおさまるどころか、より大きくなり、
家中の物が大きな音を立てて動き始めた。

とにかく、玄関へ。

玄関の横は、僕の仕事部屋。
ガラス扉のついたCDケースがガタガタを音を鳴らし、
机や棚の上に山積みにしていたCDや本が崩れおちる。

なすすべなく、廊下のCDラックを抑えながら
ただその様子を眺めて立ちつくす。

どのくらい揺れていたのか分からないが、
揺れが止まって、我に返る。

まず玄関のドアを開け、
寝室に置いてある避難リュック1個を玄関に。

すぐにTwitterを見る。

14時50分、実家に電話を入れるが通じない。
PCから実家と姉の携帯にメールを入れる。

閉じ込められないように、玄関を半開きにしたまま、
もう1個の避難リュックを玄関に運ぶ。

15時10分、実家に電話がつながった。
まだ揺れてる。

そして15時18分、
地元の友達にメールを書いている時に、
再び同じくらいの大きな揺れ。

また玄関へ走る。

棚が倒れないことを祈るのみ。
後は、何もできない。

長い時間、揺れていたような気がする。
鉄筋4階建てだが、崩れ落ちるんじゃないかと思った。

揺れが治まり、外に出ると、特に火事などは起こってない様子。
ただ、区の緊急放送と、何かの警報音がこだましている。

そして、リアルタイムにテレビに映し出される
津波の映像に、言葉を失い、無感情な恐怖を覚えた。

いつでも外に飛び出せるよう、
着替えをし、コートのポケットにiPhoneと財布、
ズボンのポケットには手袋を押し込んだ。

Twitterで情報を収集すると、
水道が活きていれば、とにかく風呂に水を溜めろと書いてある。

浴槽に水を溜め、ヤカンやペットボトルに飲料水を確保する。
災害用のライトを手元に置き、仕事で使ってるレコーダーから
エネループを取り出し、充電を始めた。

都内の交通網は、すでに全面ストップしている模様。

相方とは連絡が取れない。しかし、この3月から
自宅近くの病院に転職しており、自宅から病院を見ると、
損傷もなく、比較的普通に人が動いている様子が見え、ひと安心。

16時10分、ここで相方の実家に
連絡できていないことに気付き、電話をかけるも不通。

2人の義兄さんにメールをするも、慌てていたのか、
義母がメールを使えることをまったく思い出せなかった。


   *****


以降は、Twitterとテレビに釘付けになりながら、
関東の知人と、実家や地元との連絡に追われつつ、
余震のたびに、玄関に飛び出すということを繰り返す。

東北の被災された方に比べれば
僕の状況など何ともないレベルなのにもかかわらず、
恐怖感は消えない。

些細な揺れにも過敏に反応し、動機が激しくなり、
気分が悪くなって、頭が痛くなる。

21時40分、ようやく相方と連絡が取れる。
無事だろうとは思っていたものの、ようやく安心する。

22時過ぎ、相方が帰宅。

相方が務める病院ではガスが止まったらしく、
患者さんの食事の用意がテンテコ舞いだったようで、
震災の詳細については、よく分かっていなかった様子だった。

東京に来て、地震には慣れていたものの、
初めて身の危険を感じた地震だった。

余震は続いている。