眺めのいい部屋

人、映画、本・・・記憶の小箱の中身を文字に直す作業をしています。

2012年に観た映画 (オフシアター日本映画編)

2013-05-03 14:25:50 | 映画1年分の「ひとこと感想」2006~

『家族X』(監督・脚本:吉田光希) 第20回PFFスカラシップ作品

去年観た最初の映画なのだけれど、とにかく観ている間ずっと忍耐力を必要とした作品で、物語も何も思い出せない。メモには「なぜあの妻があそこまでになるのか、私にはちょっと理解出来ない」とだけ。(たまにはこういう映画にも出会う。)

『ひろしま』(監督:関川秀雄 原作:長田新編「原爆の子」)1953 

私が生まれる前の年に作られた映画。メモには「行ってみて、無料上映会と知って驚いた。日本映画の名作を自主上映しておられる主催者が、『この映画を観て、初めて山田五十鈴を凄い女優だと思った』と言っておられた意味も解った。ただ、私はこういう映画を観たあとすぐに『感想』など書けない」などと。
現実はもっともっと苛酷なものだったと知っていても、それでもこの映画には、原爆投下直後の広島とその場に居合わせた人々の姿を想像させる生々しさがあると感じた。それは「歳月」に洗われる前の現実、このことをなんとしても知って、覚えておいてもらいたいという、人々の思いの強さがそのまま画面に現れていたからだと思う。(観てから1年経った今も・・・何と言っていいかわからない)


以下は高知県立美術館での冬の定期上映会「松竹キネマ90周年記念 喜劇映画の異端児 渋谷実監督特集」で上映された作品の一部。

『自由学校』(1951)

獅子文六の新聞小説の映画化とか。(困ったことに全然覚えていない~)

『本日休診』(1952)

ノンビリと休診の筈だったのに、町医者の先生は結局走り回るハメになる・・・そんなコメディかと思っていたら、あちこちに戦争の傷跡や当時の貧困の様子が窺われて、これはこれで生々しい「戦後」を感じた、私が生まれる2年前の作品。この映画の数年後から、私は田舎町の町医者の家族として暮らしたので、そういう意味でも、ある種親近感を感じた1本。)

『正義派』(1957) 

メモには、「3本の中ではこれが一番面白かった。志賀直哉の小説には興味を持ったことがなかったけれど、今こうして映画として観ていると面白い。チラシに『清兵衛と瓢箪』と『正義派』が原作とあるけれど、その清兵衛の母親役の女優さんが秀逸!」などと。

(ここまでの3本全部に、亡くなったばかりの淡島千景が出演していた。とても若くて、生き生きとして、眼に染みるようだった・・・そんなことも思い出す。)


『パートナーズ』(監督:下村優) 2010

メモにはひとこと。「思ったよりずっと面白かった。」
視覚障害のある方たちの依頼に応じて、「読む」お手伝いをしていた頃、主の足元にじっと坐って終わるのを待っている盲導犬の忍耐強さに感心した。そんな彼らがどういう経緯で飼い主の元にやって来るのかを、フィクションの形を借りて見せてもらった気がする。(主演の浅利陽介さんが、役柄に合わせてアクを全く感じさせない好青年を演じているのにも感心してしまった。隅々まで気を配って、抑制を利かせて演じることの出来る人なんだなあと)

血斗水滸伝 怒涛の対決』(監督:佐々木康) 1959

浪曲「天保水滸伝」が物語の軸だとか。そういう方面に本当に疎いので、ついて行けるかしら・・・と最初心配だったけれど、大丈夫大丈夫~♪ こういう娯楽の王道とでもいうような映画だと、俳優さんたちの見せ場がきちんと用意されていて、それらの場面場面を見ているだけでも「美味しいモノを一杯食べた~」という満足感があるのだ。幼い頃周囲のオトナ達が口にしていた役柄名・役者名なので、「いかにも昭和~」な映画館で観ていたこともあって、なんだかとても懐かしかった。(後から年配の男性客が「オールスターやないか~」と口々に言っておられたけれど、昔懐かしい絵柄のポスターにある俳優さんたちの名前が、質量共に凄かった!)

『少年』(監督:大島渚) 1969 

高知、金沢・・・と、自分の住んだ土地が出てくることもあって、さまざまなことが思い浮かんだ。雪の中での少年のモノローグが忘れられない。

http://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/cc9a4a0b2ef7ad9f4dbeb18fc7680f13

『ちづる』(監督:赤崎正和)
 
現代心理学部映像身体学科(こんな学科もあるんだぁ)の学生さんが、卒業制作として作ったというドキュメンタリー作品。登場人物は知的障害のある自閉症である妹さんと、一緒に暮らすお母さん。メモには何も書いてないけれど、妹さんの笑顔があまりに明るくて眩しかったのと、考え考え話すお母さんの、言葉の確かさ(借り物じゃない、まさに自分自身の言葉だと感じさせるような)、それ以上にさまざまなことを語りかけてくる表情・瞳が、今も記憶に残っている。
以前『home』を観たときにも感じたことだけれど、若い人(作り手)が「言葉に出来ない」何かを感じている相手を被写体に選んで映像を撮るとき、撮影が進むと共に、言葉にならなかった何かが少しずつ整理され、見えていなかったモノが見えてくる・・・とでもいうような、作り手自身の変化(成長?)を画面からはっきり感じることがある。この映画も、家族3人(作り手もそのひとり)の成長というか、人生の進展を見せる形で終わったのが、一観客に過ぎない私にもなんだかとても嬉しかった。

『セイジ 陸の魚』(監督 :伊勢谷友介 原作:辻内智貴)

う~ん、私は正直こういう物語が苦手なんだろな~。メモにも感想らしい感想はなくて、キャストについてだけ。「西島(秀俊)さんが小さな女の子と遊んでいるときの、ほんとに楽しそうな笑顔が新鮮だった。私はこの人の
こういう100%"好意"だけ・・・というような笑顔を、見たことがなかった気がする。森山未來さんはキラキラせずにキラキラしてた。新井浩文さんはいつもなぜかカッコいい~♪」だって。

『CUT』(監督・脚本・編集:アミール・ナデリ 共同脚本:青山真治 田澤裕一)

監督はイランの人(チラシには「世界的な名匠」)で、元々映画好きの西島秀俊さんと意気投合?して、この映画を作ることになったんだとか。とにかく「映画が好きで好きでたまらない」という人たちにとっては、この映画は面白いのかもしれない。私のような単なる映画ファン程度だと、暴力シーンの連続だし、映画の未来を思いつめる主人公の行動は理解の範囲を超えてるし・・・で、眼のやり場に困ることも。
でも、その後のベストテン選考会の席で、ある方が、「この映画の主人公って、○○さん(同じくその席におられた自主上映主宰者の方)そのまんまや~(笑)」と言われ、そういえばそうかも・・・と思った途端、理解の範囲を超えてたはずの主人公が身近に?思えてきて、なんだかしみじみしてしまった。(命がけで映画を愛してる人って、確かにいるんだなあ・・・なんて。)

『小さな町の小さな映画館』 (制作・監督・撮影:森田惠子)

「べてる」という、精神障碍者と呼ばれる方たちの活動場所(生活拠点?)があるのを十数年前に知った時から、私にとって北海道の浦河町はちょっと特別な地名になっている。(このドキュメンタリーを撮った監督さんも、そもそもはその「べてる」との縁が始まりだったと、上映後の講演で言っておられた。)
人口1万 4千人余りの「牧場と漁業の町」にある、3代続いた映画館「大黒座」の変遷や、応援する映画の好きなサポーターの人たちへのインタビューを見ながら、私にはずっと不思議な感慨があった。この町の人々は、自分の思うことを(借り物じゃない)まさに「自分の言葉」で、ごくごく自然に話すのだ。口の重い人もお喋りな人もいるけれど、どちらも「自分の言葉」として語っているのが、見ていてよくわかる。こういうインタビューになるように、作り手がどれほど時間と手間を費やして、この町、この人々と馴染もうとしたか、どれほど「内側から自然に滲み出るものだけを撮そう」と心がけたかが想像されて、私は素朴に感心したのだけれど、監督さんは笑いながら、「この町の人たちは、なぜかそういう喋り方を自然にする人たちなんですよ」。全体としては冗長と言えばそうかもしれないけれど、「編集するとき、なかなかカットする決断が出来なくて困った」という監督さんの気持ちも、なんとなくワカル気がした。

『内部被爆を生き抜く』(監督:鎌仲ひとみ)

小さなホールは満員で、ロビーにはキャンセル待ちの方もおられ、内部被爆についての関心の高さを強く感じた。会場には、福島から子どもを連れて避難して来られているお母さんたちの姿もあった。
福島での原発事故以来、我が家でも以前以上に放射線や被曝といったことは話題に出て、家族それぞれ自分なりに読んだり見たりして情報を集め、世間の風評に惑わされないように・・・と思っているのがわかる。しかし、こと「原発」が絡む限り、調べるほどワカラナイコトが増え、結局のところ「自分は誰の言うことを信用するのか」が問われているような気もしてくる。「目隠しをして象をなでている」よりもっと分からないというか、そもそも自分の感覚をアテに出来ない事柄なのだとも思う。
この映画に登場する4人のお医者さんたちについては、TVの特別番組などでそれぞれの意見を聞いたことがある。原発事故以前から、本などで知っている方もいる。私は寧ろ、『六ヶ所村ラプソディー』の作り手でもあるこの監督さんの肉声と主張を聞いてみたくて、この上映会に出かけたのだと思う。(なんだか「ひとこと感想」にもなってないなあ・・・)

『 KOTOKO』(監督・脚本・撮影・編集:塚本晋也 主演・美術・音楽・原案:Cocco)

美しく、怖かった映画。(メモには「監督さんとコッコさんには、共鳴して増幅し合うものがあるんだな・・・」とだけ。)

http://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/46993766f83b7161a78e6a468e15767f

『うまれる』(企画・監督・撮影:豪田トモ)

「人が生まれる」ということについては、「生まれる」も、「生まれない」も、どちらも含めて、その数だけのオリジナルなドラマ(言葉が軽いなあ・・・)があるのを、久しぶりに思い出させてもらった映画。
「両親の不仲、虐待の経験から、親になることに戸惑う夫婦。出産予定日に我が子を失った夫婦。子どもを望んだものの、授からない人生を受け入れた夫婦。完治しない障碍を持つ子を育てる夫婦・・・」 (チラシから)
私にとって最も強く印象に残ったのは、重い障碍を持って生まれてきた小さな赤ちゃんの、その後の日々に見せる(幸せそうな)表情だった。「ああ、この子は本当に愛されて、大事に育てられているんだな・・・」そのことが赤ちゃんのまなざし、微かな表情にはっきり表れているのを見ながら、今生きてる子どもたちも、これから生まれてくる赤ちゃんたちも、愛されて大事に慈しんで育てられることを、痛切に願う気持ちになった。(自分は、そこまで子どもを大事に育てたとは思えないけれど、それはまた別の話。それでも、「うまれる」に至ること自体がそう簡単なコトじゃないことも含めて、人は「うまれる」ときには想像もつかないほどの希望を周囲に与えるのだということは、時々は思い出す必要があるのかもしれない・・・などと。)



                                                (以上15本)


外国映画の場合と同じく、2012年高知オフシアター・ベストテン選考会で、私が投票した10本。

   『ひろしま』
   『パートナーズ』
   『うまれる』
   『少年』
   『一枚のハガキ』
   『非行少女』
   『ちづる』
   『CUT』
   『小さな町の小さな映画館』
   『KOTOKO』          (順位なし)

選考会で実際に選ばれたベストテン10本。(県内で自主上映された日本映画108本から選考)

   ① 『CUT』(監督:アミール・ナデリ )
   ② 『キツツキと雨』(監督:沖田修一)
   ③ 『少年』(監督:大島渚 1969)
   ④ 『一枚のハガキ』(監督:新藤兼人)
   ⑤ 『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』(監督:入江悠)
   ⑥ 『エンディングノート』(監督:砂田麻美)
   ⑥ 『正義派』(監督:渋谷実 1957)
   ⑧ 『銀河鉄道の夜』(監督:杉井ギサブロー 1985)
   ⑨ 『KOTOKO』(監督:塚本晋也)
   ⑩ 全力映画 『もはやないもの』(監督:三宅伸行 20分)

日本映画では「新作でベストテンに相応しい作品が今回は少なかった」という声が会場でも多く聞かれ、私も(選びたい作品がそもそも少なくて)10本選ぶのがムズカシかった。上映会で観るなら、ほんというと見逃した『キツツキと雨』や『エンディングノート』の方がいいのだけれど・・・でなければ、いっそヒラキ直って『少年』とか・・・などなど。(10位の『もはやないもの』は、「監督×俳優=全力映画」という若手監督・若手俳優のための企画で撮影された中の1本。数ヶ月間の集中演技指導(ワークショップ)と映画撮影を行うのだとか。)

    

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