昔、私がまだ学生だった頃、小さな地方都市での新学期、新しい部屋を一斉に探すのは結構大変な作業だった。教養学部と専門課程が別々の町にあり、その間は車で2時間という距離だったため、私達は慣れない不動産屋まわりに苦労していた。
マンションなんて言葉すら無い時代。それなのに、苦労しているクラスメート達の中でひとりだけ、何でもなさそうに悠々としている男の子がいた。私の友達が訊いてみると、彼は「僕、六畳で、大きい窓があれば、どんな部屋でもいい。」。
小さな町なので、学生の交通手段はせいぜい自転車。車を持つ人はごく少数。借りる部屋もせいぜい六畳、時として四畳半といった生活で、アパートですらない個人の家の「間借り」も珍しくなかった。私も友達と一緒に、大学からの距離、家賃、部屋の向きその他いろいろな条件を満たす部屋を探して、どこで妥協するかを考えあぐねている時だったので、彼のあっけらかんとした言い方に、もしかしたらよほど驚いたのかもしれない。なんでもない、引っ越しの際のそのひと言は永く記憶に残った。
今回、初めてのブログのタイトルを考えていて、彼の言葉を思い出した。私にとってこのブログは、新たにひと部屋借りるようなものなのだと思う。どんな部屋が欲しいのかと考えた時、「大きな窓」の枠にもたれて外を眺めている、小柄でほっそりした彼の姿が頭に浮かんだのだ。
私にとって「眺めのいい部屋」とは、イギリスの小説でも映画化した作品でもなく、あの時の彼の言葉で私の頭に浮かんだ、何もない、ただ風がさやさや通っていくだけのような窓辺を指している。そこからは「外の世界」がいつでも、そしていつまでも眺めていられる・・・というような。
彼は私にとっては一同級生、単なる実験・実習仲間にすぎない人だった。ただ、ゲイと呼ばれる人達に女性がある種の心安さを感じることがあるように、私にとってはとても話しやすい相手だった。周囲から「ちょっと変わった人」と観られている者同士ということもあったのかもしれない。
卒業して皆遠く離れ、それぞれの人生に分かれていった後何年くらいしてからだろう、彼が車の事故で亡くなったと聞いた。クラスメートのひとりは、彼自身30才の自分を想像できないと言っていたのを覚えていたのか、「なんだか彼らしいね。」と、ちょっと複雑な表情で言った。助手席の彼だけが亡くなったと聞いたような気がするけれど、誰と一緒だったのかな・・・なんて、ふと思ったのを覚えている。
マンションなんて言葉すら無い時代。それなのに、苦労しているクラスメート達の中でひとりだけ、何でもなさそうに悠々としている男の子がいた。私の友達が訊いてみると、彼は「僕、六畳で、大きい窓があれば、どんな部屋でもいい。」。
小さな町なので、学生の交通手段はせいぜい自転車。車を持つ人はごく少数。借りる部屋もせいぜい六畳、時として四畳半といった生活で、アパートですらない個人の家の「間借り」も珍しくなかった。私も友達と一緒に、大学からの距離、家賃、部屋の向きその他いろいろな条件を満たす部屋を探して、どこで妥協するかを考えあぐねている時だったので、彼のあっけらかんとした言い方に、もしかしたらよほど驚いたのかもしれない。なんでもない、引っ越しの際のそのひと言は永く記憶に残った。
今回、初めてのブログのタイトルを考えていて、彼の言葉を思い出した。私にとってこのブログは、新たにひと部屋借りるようなものなのだと思う。どんな部屋が欲しいのかと考えた時、「大きな窓」の枠にもたれて外を眺めている、小柄でほっそりした彼の姿が頭に浮かんだのだ。
私にとって「眺めのいい部屋」とは、イギリスの小説でも映画化した作品でもなく、あの時の彼の言葉で私の頭に浮かんだ、何もない、ただ風がさやさや通っていくだけのような窓辺を指している。そこからは「外の世界」がいつでも、そしていつまでも眺めていられる・・・というような。
彼は私にとっては一同級生、単なる実験・実習仲間にすぎない人だった。ただ、ゲイと呼ばれる人達に女性がある種の心安さを感じることがあるように、私にとってはとても話しやすい相手だった。周囲から「ちょっと変わった人」と観られている者同士ということもあったのかもしれない。
卒業して皆遠く離れ、それぞれの人生に分かれていった後何年くらいしてからだろう、彼が車の事故で亡くなったと聞いた。クラスメートのひとりは、彼自身30才の自分を想像できないと言っていたのを覚えていたのか、「なんだか彼らしいね。」と、ちょっと複雑な表情で言った。助手席の彼だけが亡くなったと聞いたような気がするけれど、誰と一緒だったのかな・・・なんて、ふと思ったのを覚えている。
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