眺めのいい部屋

人、映画、本・・・記憶の小箱の中身を文字に直す作業をしています。

2006年に観た映画(劇場での日本映画編)

2007-02-12 20:34:55 | 映画1年分の「ひとこと感想」2006~
今回、1年間に観た映画をあれこれ思い出していて、ふと、日本映画については1度もこのブログに書いてないことに気づいた。オフシアターでも映画館でも、日本映画で印象に残った作品は何本かあって、それぞれその都度、思い巡らすものがあったのに。中には、私が時々読みに行く掲示板などで話題になって、何人もの方の間で盛り上がっている話に誘われるようにして、最初行くつもりの無かったのを観に行った作品(『男たちの大和』、『手紙』)もある。それでも、私はなぜか日本映画については、掲示板にも自分のブログにも「何か書きたい」と思ったことがあまり無かったらしい。「エネルギーが足りなくて、書けないままになっている」のも、ほとんど外国映画だと思う。そのことを、これまで意識したことは無く、今回初めて気がついた。

私の「現実から離れたい」という思いは、自覚している以上のものがあるのかもしれい。映画でも本でも、現代・現在に近いほど、感想を「書く」気持ちから遠ざかるところがあるのを、自分でも感じる。私が人の映画評や掲示板での会話を見に行くのは、そこに参加したいというより、どこか「知らない知識を仕入れに行く」とでもいうような感覚からなのかもしれない・・・とも思った。この「知らない知識」というのには、ちょっと説明が要る。

たとえば、私は一応「主婦」で、息子二人の「親」で、もちろん「女性」で、学生の時のちょっとしたアルバイト以外「仕事に就いたことのない」、(少なくとも三代前からの)「日本人」ということになっている。

ところが、ネット上で他の人の言葉を聞いていると、「女性はこういう時こう感じるものと(世の中では)思われている」らしいとか、「ハハオヤというのはこういう時は自然にこういうふうに行動してしまうもの」らしいとか、或いは(忘れてた!)「妻は・・・云々」とか、要するに私とは全く違う女性像、母親像、主婦像等等が(困ったことには)「常識」として扱われるような場面に、当然出会うことがある。私は当の「女性」にそういうことを「自信を持って」言われると、元々「世の常識に自分は疎い」という自覚があるため、「そうか、ハハオヤってそういうものと思ってる女性が、きっと相当数存在するんだな・・・(私は全然違うけどォ)。」などと、つい「知識として仕入れて」しまうらしいのだ。で、その結果として、「日本女性」を扱った作品については、言葉にする事自体が億劫になってくるらしい。ある程度、共通イメージとして世に行き渡っている「常識」抜きに話をしたら、誤解が生じるだろうな・・・などと思うと、それだけで面倒になってしまう。むしろ、そういう「常識」(と言う言葉が適当なのかどうかもよくワカラナイけれど)の上に成り立っている考え方も含めて、「『地球人』て、こんなにイロイロいるんだ・・・」とでもいうようなオドロキを持って、私はネットの海のごくごく狭い一部分を、木の葉に乗ってプカプカ漂っている。(迂闊に他の舟に近寄ると、その波だけで引っくり返りそうな気もするのかも。)

などとゴチャゴチャ考えながらも、今回ちょっとだけ「日本映画」についても感想を書けたのは、それはそれで新鮮な体験だった。以下を書いて、これで漸く私にとっての2006年が終了できると思うと、なんだか嬉しい。




【2006年映画館で観た日本映画】

『あらしのよるに』  思いがけなくも上の息子が行くつもりと判り、雨が降りそうなので車で送るついでに?(弟も一緒に)親子3人で観たアニメーション。弟曰く「いかにもオニーサン好み」。兄貴の方は「ウン、もう僕はこれで満足(笑)。」私は私で、「いまさら食えるかョ」とか言う、シドーさんの喋り方が気に入った。

『THE 有頂天ホテル』  三谷幸喜の舞台が好きで、映画も観るようになった。が、この作品はなんだか「同窓会」風というか舞台のリハーサル風というか・・・私はその(いかにも親密な)ザワザワゴタゴタ感が嫌いじゃないので面白かったけれど、こういうのは嫌な人もいるだろうとも思った。

『男たちの大和 / YAMATO』  戦争(日本が直接関与したものは特に)を扱った映画が、歳と共に苦手になっていく。この映画も、昔『戦艦大和の最期』を読んだ時のいわく言い難い思いの記憶もあって、観に行かないつもりだった。映画自体については、「Rー15というのは、コレを言うのか・・・」と思った戦闘場面(しかも、それなのにどこか美しくさえある)が記憶に残っている。それ以外の、人と人との数あるふれあいを描く場面よりも、私にとっては痛切なものがあったのだと思う。実は今、これを書くために『戦艦大和の最期』の紹介文を探してみたところ、著者の書いたその後の言葉の中に、私が自分の父親(と戦争との関係)について抱いていた疑問に答えてくれているかのような部分を見つけた。当時、父より3歳年上で大和に乗り合わせ、しかも生き残ったその人の言葉が、なぜかそのまま父に重なって聞こえた。あまり驚いたので、何を書いていいかわからない。もしかしてたったこれだけのために、私はこの映画に出会ったのかもしれない・・・と一瞬思いかけたけれど、それはこの作品に対して失礼なことなのだろうか。(戦争を知らない世代のはずなのに、私は「戦争の記憶」については、ずいぶん距離の近い場所で育ってしまったらしい。私の持っている戦争のイメージは非常に生々しく、「映画」はそれを思い起こさせるから苦手な一方で、それより「作り物」なので早く記憶が薄れていく気がする。)

『キャッチ ア ウェーブ』  家族が夜観に行くというので、一緒に行ってみたら・・・あまりに若い人(中高生くらいかな?)向きでビックリ! 加藤ローサさんの屈託のない可愛らしさと、竹中直人という俳優サンのあまりのヘンテコリンさに、呆気にとられた。(「どちらもハマリ役」という評判も。)

『嫌われ松子の一生』  ひとつだけ、つくづく思ったのは、「こういう激しい恋が出来る?のは、こういう『愛してもらった実感の無い』人たちだけなのかもしれない・・・」ということ。こういう幸せ、息が止まるほどの幸福感というのは、こういう人にだけ与えられるものなのかもしれない。その結果、彼らはさらに不幸になっていくように見えるのだけれど、それでも「それが私の幸せなの!」と。(病弱な妹がどれほど松子に憧れ、誇らしく思い、彼女を好きだったかが個人的にちょっと解るところもあって、最後の和解のシーンは嬉しかった。)

『花よりもなほ』  『誰も知らない』でも感じた事だけれど、この監督さんは何だか「光と闇の画家」を思わせるところがある。今回は江戸時代なので、余計に「夜は暗い」世界だった。お話の「希望」の持たせ方に説得力があるのも、ユーモラスな描き方だけじゃなくて、セット(やその他大勢の衣装など)のどこかリアル?なボロチョンぶり、或いは夜の闇の「暗さ」が裏にあるからのような気がした。(それにしても、加瀬亮さんという人のカメレオンぶりに唖然。私は観終わるまでこの人と判らないままだった。この作品以来、彼が出てると観に行きたいと思うようになった。)

『初恋』  宮崎あおいさん(と、そのお兄さんの将サン)が印象に残っている。実際の事件当時、私は主人公より3歳くらい年下だった。こういう「事件の真相」説は考えもしなかったけれど、主人公の少女があまりに一途なので、映画自体よりあの犯人像の新鮮さが記憶に残っている作品。

『ゲド戦記』  1日のうちにアニメを(『カーズ』『ブレイブ ストーリー』と合わせて)3本続けて観たせいもあって、それらの作品の個性や魅力が対照的だったことが、一番印象に残っている。私は本の「ゲド戦記」シリーズが好きなので、実はこのアニメに登場するアランのキャラクター設定が悲しい。原作と映画が全く別物なのは当然だけれど、どうせなら原作者の希望通り、原作に無い時期を選んで新たにストーリーを作った作品として観たかった! このアニメ版『ゲド戦記』の真面目さは決して嫌いではないし、背景の絵の美しさは眼に沁みるのだけれど、それでも「一番印象に残るのは、あの主題歌」と言った人の気持ちがよくわかる気がする。

『ブレイブ ストーリー』  原作も読んでおらず、先入観なしで観たのが幸いしたのかもしれない。スタジオジブリ以外の作品が観たくて行ったのだけれど、思ったよりずっと面白かった。ところどころ安っぽく見える部分があっても、アニメとゲーム(と、別物とはいえ「宮部みゆき」さんも)という日本の誇るポップ・カルチャー(という呼び方でいいのかな?)の枝になった、美味しい果実のようだった。(主人公の少年の声(松たかこ)が、今も聞こえる気がする。)

『ハチミツとクローバー』  いかにも少女マンガ?という世界を、若い俳優さんたちが大真面目に一生懸命演じていて、みんなそれぞれ魅力的!! 「確かに、若い頃ってこうだったなー」って、かつての自分や周囲の友人たちを思い出させるものがあった。リアルかどうかはともかく、観た人同士、後で話したくなるような懐かしさ、愛おしさに満ちていた作品。(スピッツの主題歌も、もうひとつの嵐の歌も、作品に相応しく思えて嬉しかった。)

『間宮兄弟』  自覚していなかったけれど、精神的に相当大変だった時期に「気晴らしのつもり」で観に行ったのだと思う。当時のメモには「ぬるくなって、気の抜けたサイダーみたいだけど、疲れてる時にはそういうのも美味しく感じたりする」などと書いてある。原作の持つ辛辣さも、この監督さんがかつて見せていた独特のセンスもどこかへ行ってしまってて、それが結果的に「原作より心優しい作品」と感じさせたのかもしれない。(私とそれほど変わらない年齢の中島みゆきが、兄弟の母親役で出演していた。その可愛らしさもあって、二重にオドロイタ!)

『佐賀のがばいばあちゃん』  これも、家族が観に行くというのについて行ったもの。「がばいばあちゃん」の哲学(とその実行ぶり!)の徹底の仕方が爽やか! ばあちゃんと孫の相互の愛情が伝わってきて、先生その他周囲の人たちの暖かさも丁寧に描かれ、昔、人がこんなに優しかったとは思えなかった私にも、「こういう世界もあったのかも・・・」と思わせるような魅力があった作品。

『フラガール』  先に観た下の息子に薦められて観に行った。とにかくカッコいい女の人女の子が一杯!で、フラの群舞の場面は圧巻!! 「2006年の映画のベスト・キャラを選べと言われたら、あの(男湯に乗り込む場面の)ダンスのセンセしか思い浮かばない」と言った男性も。

『手紙』  ある掲示板で、登場人物である「会長」の、主人公を諭す場面での言葉の内容について意見が分かれているのを見て、自分だったらどう感じるかをどうしても知りたくなり、予定を変えて観に行った作品。見る前後で、結局私の意見は変わらなかった。「差別」を直接受けた経験は無くても、差別される理由になりそうなことは、多くの人が持っていると私は思っている。(「人類の半分は女性」に始まり、年齢、学歴、収入など、ごく一般的な事柄が、時として、或いは常時差別の対象になる社会に、私たちは生きていると思う。)人が自分の知らない世界を怖がるのは、臆病な私などには(良し悪しは別として)よくわかる気持ちだけれど、それでも「娘を持つ親としては、そういう人間とは関わらせたくない」とか「そういう(犯罪者の家族といった)人間は、自分たちから遠ざけておきたいのは、生き物として自然なことだ」といった意味の言葉が出てくるのには、正直呆れた。いい歳をして本気で言っているのだろうか・・・といった気持ちだ。特に会長については、「あなたの立場で、若い主人公に人生の仕切り直しをしてもらいたいと願うなら、もっと違う言い方(援助の仕方も含めての)があるんじゃないか」と言いたくなった。私は筋金入りの「世間知らず」だから、こういう風に言えるのだろうか。私自身は、自分の子どもも含めて「守るべきもの」があまり無いようなところがあるので、レッテルで人を判断して遠ざける必要も特に感じないのだろうか。(私はかつて精神病棟で生活し その後もつくづく自分の首から上?に振り回された人生をここまで来て、最近は不登校だのニートだの引きこもりだのといったレッテルならいくらも貼れそうな若い人たち(息子たちを含めて)に囲まれて、しかもとても幸せに暮らしているので、この映画でエラソーなことを言う大人たちの言葉が、実感としてワカラナイのも無理ないのかも・・・などと思ってしまった。)大体、年間の殺人事件の件数から考えても、その家族なんて数知れないくらいじゃないのかな。自分も家族も、殺人事件の犯人になんか絶対にならないっていう確信は、一体どこから出てくるものなんだろう。本当に悪いことの出来る立場にある人は、ある個人を殺す殺人などという自分の手を直接汚すようなことは、せずに済むんじゃないか・・・などなど、映画自体に関係ないようなことを、またまた考えてしまった。

『7月24日通りのクリスマス』  いかにもロマンチック・コメディーなのに、イマイチ先が読めなくて、最後まで「どーなるのかなー」で、面白かった。(最近の少女マンガの「ロマコメ」は、ほんとに王子サマ以外とハッピーエンドになるのが主流なのかしら?? あの「パラパラマンガ」は微笑ましくて、描いた人の思いも感じられて良かった!)

『武士の一分』  主人公の妻(檀れいさん)の控えめで何気ない、しかも正直に自己主張する風情が、本当に魅力的。私は『たそがれ清兵衛』の方が好きだけれど、映画のバランスや雰囲気はこちらの方が良いかもしれないとも思った。木村拓哉サンは予想通り上手だった。非常に勘がいいのか、器用なのか、私の目にはこの人だからという役へのはまり方をして見えた。でも、一番良かったのは下僕役の俳優さん( 笹野高史 という方)だったかも。(最後に近い場面で主人公が、自分が三村を斬らなければ皆がもっと幸せでいられたのだ、といった意味の言葉を口にする時の表情だけは、深みが足りなく見えて残念。)

『ゆれる』  観ている間もその後も、文字通り「ゆれっぱなし」になった映画。普通だと辻褄が合わないとかよくワカラナイとか思ってしまうような「謎」がいくつもあって、しかもそれが、観た者をついつい「考え込ませてしまう」ような種類のモノなので、結果として考えるほど謎が増えていくような印象が残った。(不思議なのはそれが不愉快じゃあなかったこと。)私は、丁度その頃「家の呪い」とでもいうべき?家族問題の渦の中にいたので、この作品も「家」を強く意識したけれど、知人には(その人の現実でもある)「兄弟」の話として受け取ったらしい人も居た。ともあれ、これほど色々考えさせるというだけでも、良く出来た作品だったと思う。





不思議なことに、今回の記事を書いてるうちに、「女性を扱った日本映画」についても機会があったらどこかの掲示板に書いてみようかな・・・という気持ちになってきた。些細なことだけれど、こういう「一度文字にしてみる」ことの影響力に、私は毎回驚かされる。長々とこうして書いたことも、私にとっては良かったのだと改めて思っている。



(ここまで読んで下さった方に、心から御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。)







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4 コメント

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おもしろかったー!(拍手) (お茶屋)
2007-02-14 22:45:26
>あの(男湯に乗り込む場面の)ダンスのセンセしか思い浮かばない」と言った男性も。

わはは!その方に投票してほしかったー!
ダンスのセンセ、忘れていたもの(不覚)。

『手紙』ご覧になってたのねー(^o^)。
「自分だったらどう感じるかをどうしても知りたくなり」というのに、何だかとっても嬉しいです。自然とニヤニヤしてしまいまふ(笑)。
『ヨコハマメリー』でメリーさんが通っていた美容室の店主さんが、メリーさんには気の毒なことをしたと思うけど、エイズの風評でお客さんが減るのが怖くて来店を断ったと話していたでしょう?あれは、私は理解できたし、胸は痛んだけど腹は立たなかったんです。美容室も死活問題なんだろうなーと。『手紙』の会長とは違うよと(笑)。

>「一度文字にしてみる」ことの影響力

ほんと、そうですよね~。
インプットしたらアウトプット。声に出すのと文字で出すのと、できれば両方でアウトプットしたいものですね。
返信する
どうもありがとう!! (ムーマ)
2007-02-15 10:07:13
お茶屋さ~ん、読んで下さってありがとう!!
拍手がとっても嬉しいです(ニコニコ)。

>『ヨコハマメリー』でメリーさんが通っていた美容室の店主さんが・・・・・

私も、あれは全く腹は立ちませんでした。店主さんが「申し訳ない」と思っておられるのが、表情からもよくよく判ったので。。

>美容室も死活問題なんだろうなーと。

と、私も思ったのだと思います。(「会長」サンのことは浮かびもしなかった(笑)。メリーさんも店主さんも、どちらも本当に気の毒に見えました。

>インプットしたらアウトプット。

既にイロイロお世話になってる気がします(笑)。これからも、どうぞよろしくお願いします。

返信する
読み応えー! (四季)
2007-02-16 23:28:18
数回読み返しに通っておりました(?)
うーん・・・こーして読ませていただいて改めて
あたくし、日本映画に偏って観てるなー・・・
観た映画が多くて!
洋画のほーわ、観てないのが多かったからシテ(///‥//A``

『手紙談義』熱かったデスねーヾ(*≧‥≦*)〃
ついついネタバレかまわず書き込んでしまったので
アレ観て予定外に観てくださったってゆーのが嬉しかったー♪

チョックラ責任感じてマシタからシテ(* ̄‥ ̄A``

デモ、あーやって
「自分がナニに怒る人間なのか」とゆーコトを知るのもマタ
映画の醍醐味だ。とゆーコトで♪

現実世界でわ、あーやってエラソーなエライさんに対して
「アナタ、エラソーだけど違うと思ふ」
などと、ゆえるモンじゃーナイからシテね(*/__)/ドテッ
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あの時はカッコ良かった! (ムーマ)
2007-02-17 09:56:33
四季さ~ん、通ってくださった?なんて、ほんとに光栄です。とってもとっても嬉しいデス。

四季さんは日本映画が多い方だったんですね~。私、上にも書いたとおり『手紙』については、四季さんの書き込みを読んで、どうしても観に行きたくなったんです。ネタバレ云々なんて、気もつかなかった。(これは元々ウカツなせいかも(笑)。)

とにかく、あの時の「手紙談義」に参加された方たちは、皆さんほんとに「カッコ良かった!!」。なんて言うか、ディベート(って言うんでしたっけ?)のモデルを見てる気がしたくらい(本気)。

これからも、映画(や本も)の感想書いてくださいね。私も、日本映画せっせと観に行きます(笑)。
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