佐賀で、一日の大半を幼い息子と過ごす生活を送っていた頃、私は随分カリカリした母親だったと思う。自分が子どもの頃に、頭ごなしに叱られたり、親の意向にがんじがらめに縛られたりしたことが本当に嫌だったので、気持ちの上では、自分の子どもにはなるべくしたい通りにさせてやりたかったし、ヒステリックな叱り方をしたくなかった。しかし実際は、一か二程度の強さで言い聞かせれば良いところを、五か六、時には七や八の見幕で怒ることで、自分の遣り場のない苛立ちを発散させようとしてしまうことが珍しくなかったと思う。
所謂「躾のために」つまり子どものことを思って「叱って」いるのではなく、ストレスが自分を怒りっぽくしているだけだということを自覚していたため、一日が終わり、子どもの寝顔を見ている時など、つくづく自分に嫌気がさした。かといって「ゴメンね。おかあさん怒ってばっかりで・・・。」とも、なんだか白々しくて言う気になれなかった。後からそんなことを言うくらいなら、そもそも怒ったものの言い方をしなければいいのだし、言われる子どもの側からしたら、親の言うことなど本気で聞くなと言っているようなもので、どちらにしても、口にする事自体「大人の身勝手」そのもののような気がしていたのだと思う。
それなのに、ある夜のこと。既にふとんに入っている子どもの傍で、ため息と共に、ふと本心が口からこぼれ出すように、「オカアサン、ほんとに怒ってばっかりだね。Uちゃん、怒らないお母さんの方がいいでしょう・・・?」。
要するに、親の私の方が子どもに甘えた台詞だったのだが、当時三歳半だった息子は、それに対して思いがけない返事をした。
「Uちゃんはドッチデモイイヨ。」
意味が解らず「えっ?」と聞き返すと、彼は何気ない表情で、
「Uちゃんは、オカーサンのことスキだから、オカーサンがオコッテモ、オコラナクテモ、ドッチデモイイヨ。」
そして、さらにひと言付け加えた。
「ドッチデモ、Uちゃんはカワラナイヨ。」
私は、小さな子どもと一緒に暮らした日々で、この時ほど驚いたことは、それより前にも後にも無かったような気がする・・・。
子どもは真っ直ぐ私の方を見て、いつも通りのゆっくりとした口調でそう言った後、自分がどんなに凄いコトを言ったかも気付いていない様子で、やがてそのまま眠ってしまったのだと思う。とにかく、私はその時自分が何を言ったのか、全く覚えていない。しどろもどろでも「・・・アリガトウ・・・」くらいは言えたのだろうか。
私は仕事もしておらず、子どもと一緒にいる時間が非常に長かった上、子どもの方もこちらの意表を衝くようなことを言ったりやったりするでもない、ごくごくオットリしたヒトだったので、余計にこのときのことはショックだったのかもしれない。(子どもが自分に似たものを全く感じさせない男の子だったため、それまでもごく自然に、私は彼が自分とは別の一個人だと考えていたつもりだった。しかしこの時の驚きから、私は自分が彼について、私の想像のつく範囲に収まっている人間だとどこかでたかをくくっていたのに気付かされたのだと思う。)
私がこの時の子どもの言葉の意味するところをもう少し深く理解するようになったのは、実はずっと後のことになる。それでも、言われた瞬間からこの言葉は、その後の私を支えてくれるもう一本の柱になったのだと、今振り返ってもつくづく思う。
私はその後もいろいろな子ども達に出会い、「迷路の中で本格的に迷子になった時、子どもというのはトンデモナイ出口を見つけ出す天才だ!」と、痛感させられるような場面にも何度か出会った。しかし、あの時の息子の言葉については、二重の意味で自分が見当違いだったのではないかと、今漸く思い始めている。
一つは、あの言葉が「子どもの受容能力の高さ」だけから来ていたのではなかったということ。息子は、あの言葉を生むような感覚を持ったまま成長し、母親である私に対してだけでなく、人間或いは生き物一般に対して、ああいう感覚で向かい合う大人になったように私の目には映っている。今の時代を生きていく上で、決して有利にはならないであろうような感覚かもしれないが、彼の個性の根本的な部分に関わるようなものだったのだろうと、十数年を経て漸く私も気がついた。
もう一つは、あの言葉は大人の側こそ、心のどこか深い部分にいつも持ち合わせているべきものだったのだということ。
「オカーサンは○○ちゃんが大好きだから、○○ちゃんがどんなヒトでもかまわないよ。」
「○○ちゃんがどんなヒトでも、どんなふうにオトナになっても、オカーサンはカワラナイヨ。」
私自身はそういった母親では決してなかった。今に至るまで、結局私は予想していた通り、「親」に相応しいような大人にはなれずじまいだったと自分では思っている。
けれど考えてみると、私は自分が子どもの頃、こういう言葉にどれほど飢えていたことだろう。私の両親も、幼い頃育ててくれた祖父母も、こういう言葉を内に秘めているようには思えなかった。私はそれを、三歳半の子どもからアッケラカンと与えられ、しかもその言葉の真価に気付くのに十数年を要したことになる。(子どもからすれば、大変な親を持ったものだ。)
自分の鈍さと信じられないほどの幸運に、なんだか呆然としてしまうけれど、何かをちょっとだけでも「わかる」ためには、私という人間の場合、これくらいの時間が必要だということなのかもしれない。ふと思い立って、子どもとのごく短い会話を書き留めた古いノートをめくる度、あの頃の「子どもの情景」を覚えているのは私の方で、同じ場面での「オトナの情景」が子どもの記憶に残っていないのは、昔々から繰り返されてきた神サマから親と子双方への贈り物なのかもしれない・・・という感謝とも感慨ともつかない気持ちに捉えられる。
所謂「躾のために」つまり子どものことを思って「叱って」いるのではなく、ストレスが自分を怒りっぽくしているだけだということを自覚していたため、一日が終わり、子どもの寝顔を見ている時など、つくづく自分に嫌気がさした。かといって「ゴメンね。おかあさん怒ってばっかりで・・・。」とも、なんだか白々しくて言う気になれなかった。後からそんなことを言うくらいなら、そもそも怒ったものの言い方をしなければいいのだし、言われる子どもの側からしたら、親の言うことなど本気で聞くなと言っているようなもので、どちらにしても、口にする事自体「大人の身勝手」そのもののような気がしていたのだと思う。
それなのに、ある夜のこと。既にふとんに入っている子どもの傍で、ため息と共に、ふと本心が口からこぼれ出すように、「オカアサン、ほんとに怒ってばっかりだね。Uちゃん、怒らないお母さんの方がいいでしょう・・・?」。
要するに、親の私の方が子どもに甘えた台詞だったのだが、当時三歳半だった息子は、それに対して思いがけない返事をした。
「Uちゃんはドッチデモイイヨ。」
意味が解らず「えっ?」と聞き返すと、彼は何気ない表情で、
「Uちゃんは、オカーサンのことスキだから、オカーサンがオコッテモ、オコラナクテモ、ドッチデモイイヨ。」
そして、さらにひと言付け加えた。
「ドッチデモ、Uちゃんはカワラナイヨ。」
私は、小さな子どもと一緒に暮らした日々で、この時ほど驚いたことは、それより前にも後にも無かったような気がする・・・。
子どもは真っ直ぐ私の方を見て、いつも通りのゆっくりとした口調でそう言った後、自分がどんなに凄いコトを言ったかも気付いていない様子で、やがてそのまま眠ってしまったのだと思う。とにかく、私はその時自分が何を言ったのか、全く覚えていない。しどろもどろでも「・・・アリガトウ・・・」くらいは言えたのだろうか。
私は仕事もしておらず、子どもと一緒にいる時間が非常に長かった上、子どもの方もこちらの意表を衝くようなことを言ったりやったりするでもない、ごくごくオットリしたヒトだったので、余計にこのときのことはショックだったのかもしれない。(子どもが自分に似たものを全く感じさせない男の子だったため、それまでもごく自然に、私は彼が自分とは別の一個人だと考えていたつもりだった。しかしこの時の驚きから、私は自分が彼について、私の想像のつく範囲に収まっている人間だとどこかでたかをくくっていたのに気付かされたのだと思う。)
私がこの時の子どもの言葉の意味するところをもう少し深く理解するようになったのは、実はずっと後のことになる。それでも、言われた瞬間からこの言葉は、その後の私を支えてくれるもう一本の柱になったのだと、今振り返ってもつくづく思う。
私はその後もいろいろな子ども達に出会い、「迷路の中で本格的に迷子になった時、子どもというのはトンデモナイ出口を見つけ出す天才だ!」と、痛感させられるような場面にも何度か出会った。しかし、あの時の息子の言葉については、二重の意味で自分が見当違いだったのではないかと、今漸く思い始めている。
一つは、あの言葉が「子どもの受容能力の高さ」だけから来ていたのではなかったということ。息子は、あの言葉を生むような感覚を持ったまま成長し、母親である私に対してだけでなく、人間或いは生き物一般に対して、ああいう感覚で向かい合う大人になったように私の目には映っている。今の時代を生きていく上で、決して有利にはならないであろうような感覚かもしれないが、彼の個性の根本的な部分に関わるようなものだったのだろうと、十数年を経て漸く私も気がついた。
もう一つは、あの言葉は大人の側こそ、心のどこか深い部分にいつも持ち合わせているべきものだったのだということ。
「オカーサンは○○ちゃんが大好きだから、○○ちゃんがどんなヒトでもかまわないよ。」
「○○ちゃんがどんなヒトでも、どんなふうにオトナになっても、オカーサンはカワラナイヨ。」
私自身はそういった母親では決してなかった。今に至るまで、結局私は予想していた通り、「親」に相応しいような大人にはなれずじまいだったと自分では思っている。
けれど考えてみると、私は自分が子どもの頃、こういう言葉にどれほど飢えていたことだろう。私の両親も、幼い頃育ててくれた祖父母も、こういう言葉を内に秘めているようには思えなかった。私はそれを、三歳半の子どもからアッケラカンと与えられ、しかもその言葉の真価に気付くのに十数年を要したことになる。(子どもからすれば、大変な親を持ったものだ。)
自分の鈍さと信じられないほどの幸運に、なんだか呆然としてしまうけれど、何かをちょっとだけでも「わかる」ためには、私という人間の場合、これくらいの時間が必要だということなのかもしれない。ふと思い立って、子どもとのごく短い会話を書き留めた古いノートをめくる度、あの頃の「子どもの情景」を覚えているのは私の方で、同じ場面での「オトナの情景」が子どもの記憶に残っていないのは、昔々から繰り返されてきた神サマから親と子双方への贈り物なのかもしれない・・・という感謝とも感慨ともつかない気持ちに捉えられる。
子供の何気ない言葉に深い洞察力を与えられる件はナカナカの表現力感服致しました。
読んで下さって、本当に感謝しています。
今、久方ぶりに読み返してみて、これを書いた頃の自分を思い出しました。
本当はこんなに気軽に書けるようなことではなかったのに、どうしても一度(ちゃんと?)書いておきたかったんだろうと思います。
来て下さって、そしてコメントを書いて下さって、本当にありがとうございました。
(褒められるのに慣れてないので、シドロモドロでゴメンナサイ。)
実はあなたのブログに偶然入ってしまったのです》GOOGLEで映画のサイトをサーフィンしていたのです》 →→→
本来、公開を前提に日記をかくというのは三島由紀夫がかなり昔にしてしまったことですが(当然あなたはご存知と思われますが)今の若い人々がブログと称しているは、プライベートな領域の口説きとしか私には映りません (`ヘ´)
あなたの文章はブログなんてものを超えてたしかな‐随筆‐という形態へ昇華しておられます
コレカラモ、ツズケラレルコトヲキボウシマス !!!
所謂ブログは、人と繋がるためのモノじゃないかと思うんですが、私は自分(と数人の友人)のために書いているだけで、最初の頃は「読む人」を全く意識していませんでした。
それがこうして、知らない方にも読んでいただけるようになって、ネットというものの一番良い部分だけを、自分は享受しているな・・・と思います。
これからも続けるよう、励まして下さったのが、とても嬉しいです。
もしよろしければ、書かれたものをネットに公開しておられるのなら、その場所を教えていただけたらと思いますが・・・。(トラックバックを受け付けるようにしておきます。)
お返事の書き込みすぐ閲覧せず申し訳ありません。
本編観ていない者が投稿するのは後から冷静に考えるとやはり可笑しなことです》…反省しています。
でも土足でアナタのサイトに入った者に真摯に書き込むアナタに驚嘆します
‥投稿・書き込みというのも〓です
NETサーフィンの途中アナタの文章に偶然触れ、引き込まれたのは‥ナゼナノカ‥‥
貧弱な脳のなかを検索してやっと分かりました。
高橋たか子さんの文体に相似していたのです。高校生の頃新潮に掲載された『怪しみ』という短編を読んだことを思い出しました。何かの匂いがしたのか…改めて読み返しましたが、ヤッパリ似ている。単純ですネ
__ワラッテクダサイ(∋_∈)
現在の状況を申し上げますと映画を観るのはナカナカという感じですネ~〓 》一番近い館まで30Kくらい有るもので》》
私もJDS を読み込んでいるわけではありません。読んだのは32歳くらいだったと思います。当時、東京の品川に故あって住んでいたのですが、ちょうど小説を読み始めた頃なのでその流れで『 ライ麦~』『ナイン~』を読んだと思います。
実は、文系の学生のくせに学生時代はまったく文学書の類読んでいない人種なんです★(・o・)
_ ワラッテクダサイ!
アトデ 『スカイクロラ』DVDデミマス。
私も映画館と関係ない?場所に住んだ時期が長いので、その辺りはとても親近感~なんです。(観てなくても、書きこんで下さると、それだけで嬉しいです。)
このサイトは、なんせ書き手の都合で数ヶ月放置?されるような場所なので、1ヶ月に1度でも覗いて下されば、それでもう、とてもシアワセです。
どうぞノンビリおつきあい下さいマセ。敬具。なのです(笑)。
図々しいですが音楽についての文章もそのうちお願いいたします。 (´⌒`q)
むしろ人工的な音(音楽も含む)の無い状態に、常に飢えている?方なので。
でも、そのうち私なりに、「音楽」にまつわる昔話なら書くかもしれません。
K:Tさんの好みに合うかどうか甚だアヤシイんですが、そのときはどうぞ読んでやって下さい。(と言いつつ、いつになるコトやら・・・なんですが。)
ム-マさんてBGM流しながら執筆するのかな?~トかってに想像膨らませてました。
〉〉スイマセン(∋_∈)
わたしは、音楽のない日常っていうのは考えられない人種なんで。
最近は、BILL EVANS(キイタコトナイデスカネ.JAZZデス)をよく聴きますネ(^o^)/
JAZZ には不思議な希望があるんですよ。
>JAZZ には不思議な希望があるんですよ。
言われてみると、確かにそうですね。JAZZの成り立ちとも関係があるんでしょうか。(これまで意識したことがありませんでした。)