これまでも昭和生まれの私たちの常識とは異る
Z世代と言われる若者についていろいろと考えて書いてきた。
しかしながら今社会問題にもなっているカスハラの中心が
50代以上だけで全体の3/4になっており、
とりわけ60代が約30%とその中心になっている。

自身の思いを整理してみると、私たち昭和世代の常識を持っており
今の若い人たちにはその常識から乖離している点を感じるため
きちんと教えておかなければならないという強い思いもあって
正当性を主張しているつもりが、若者からすればカスハラになっていたり
車の運転マナーでいえば、ちゃんと教えてやってるつもりが
煽り運転になっていたりするような気がしている。
とりわけ私たちが若い頃にはなかったコンピューターが氾濫し
コンピューターがない時代に育った私たちと
生まれた時にはすでにコンピューターが氾濫していた世代との間に
乖離が生まれることは明らかであり、
今の時代じゃスマホが誰でも持っている時代とでは
明らかに時代が違う。
子どもの頃に見た漫画『バビル二世』では、敵のヨミが作る工場で
ビスコほどのサイズの一人用テレビの製造場面があったが
当時は一人用テレビなんて夢のまた夢の話であったが
今では、もっと小型で性能も良いスマホを各自1台持っている。
それだけを考えてみても時代が変わっているのに
まだその時代の常識を現代社会に当てはめようとしている。
つまりは世の中を見て憂うのではなく、
時代に合わした生活スタイルに変えていかなければならない
ということがだんだんと分かってきた。
若者たちは、早く大人になろうとしてどんな文化も受け入れていく。
今までになかった文化も取り入れて常態化することで
おとなの仲間入りが出来たような勘違いもするが、
そうやってどんどん今の社会に溶け込んでいく。
ファシズムというものは元来そういうもので、
それが正しいとか間違っているかは関係ない。
そういうものとして受け入れられる。
一方経験値を積んできた私たち昭和生まれは、
成り立ちも分からずには受け入れられず、つい否定ばかりしてしまう。
それでいて自分たちはいつまでも若く、物分りがいいと勘違いしていて
若者たちにとってはむしろ老害となっている。
老害と言われるのは「改善してください」という信号ではなく、
はっきりと諦められているのだ。
つまり、私たち昭和世代も今の社会を憂うのではなく、
順応していくことが大切であり、
これまでの価値観を淘汰していかなければならないということ。
つい先日も歩きスマホをしているお婆さんに遭遇して
今までなら「歩きスマホはやめて下さい」と言っていた高齢者も
「木乃伊(ミイラ)取りが木乃伊(ミイラ)になった」と笑っていたが
そのお婆さんの方が時代に価値観を合わせているともいえるだろう。
「最近の若者は」は5000年前からある言葉で
エジプトの古代遺跡からみつかったという話もあるそうだが
現代社会は高齢者のためのものではなく老若男女問わずみんなのものなんだから
私たち昭和生まれの価値観を押し付けるのも間違っているし
若い世代に媚びるのも間違っているのだろう。
そういうふうにだんだんと思えるようになってきた。
Z世代と言われる若者についていろいろと考えて書いてきた。
しかしながら今社会問題にもなっているカスハラの中心が
50代以上だけで全体の3/4になっており、
とりわけ60代が約30%とその中心になっている。

自身の思いを整理してみると、私たち昭和世代の常識を持っており
今の若い人たちにはその常識から乖離している点を感じるため
きちんと教えておかなければならないという強い思いもあって
正当性を主張しているつもりが、若者からすればカスハラになっていたり
車の運転マナーでいえば、ちゃんと教えてやってるつもりが
煽り運転になっていたりするような気がしている。
とりわけ私たちが若い頃にはなかったコンピューターが氾濫し
コンピューターがない時代に育った私たちと
生まれた時にはすでにコンピューターが氾濫していた世代との間に
乖離が生まれることは明らかであり、
今の時代じゃスマホが誰でも持っている時代とでは
明らかに時代が違う。
子どもの頃に見た漫画『バビル二世』では、敵のヨミが作る工場で
ビスコほどのサイズの一人用テレビの製造場面があったが
当時は一人用テレビなんて夢のまた夢の話であったが
今では、もっと小型で性能も良いスマホを各自1台持っている。
それだけを考えてみても時代が変わっているのに
まだその時代の常識を現代社会に当てはめようとしている。
つまりは世の中を見て憂うのではなく、
時代に合わした生活スタイルに変えていかなければならない
ということがだんだんと分かってきた。
若者たちは、早く大人になろうとしてどんな文化も受け入れていく。
今までになかった文化も取り入れて常態化することで
おとなの仲間入りが出来たような勘違いもするが、
そうやってどんどん今の社会に溶け込んでいく。
ファシズムというものは元来そういうもので、
それが正しいとか間違っているかは関係ない。
そういうものとして受け入れられる。
一方経験値を積んできた私たち昭和生まれは、
成り立ちも分からずには受け入れられず、つい否定ばかりしてしまう。
それでいて自分たちはいつまでも若く、物分りがいいと勘違いしていて
若者たちにとってはむしろ老害となっている。
老害と言われるのは「改善してください」という信号ではなく、
はっきりと諦められているのだ。
つまり、私たち昭和世代も今の社会を憂うのではなく、
順応していくことが大切であり、
これまでの価値観を淘汰していかなければならないということ。
つい先日も歩きスマホをしているお婆さんに遭遇して
今までなら「歩きスマホはやめて下さい」と言っていた高齢者も
「木乃伊(ミイラ)取りが木乃伊(ミイラ)になった」と笑っていたが
そのお婆さんの方が時代に価値観を合わせているともいえるだろう。
「最近の若者は」は5000年前からある言葉で
エジプトの古代遺跡からみつかったという話もあるそうだが
現代社会は高齢者のためのものではなく老若男女問わずみんなのものなんだから
私たち昭和生まれの価値観を押し付けるのも間違っているし
若い世代に媚びるのも間違っているのだろう。
そういうふうにだんだんと思えるようになってきた。