自身がどんな音楽を演りたいのか、
どんなギターを弾きたいのか、
簡単なようで難しい問いだと思う。
‘一人の聴き手’としてだけでは満足できず、
楽器を手にしたからには、その人が、
‘その人の中で鳴っている音’
を具体化したいという気持が、音楽を聴くのみの人
より強いはずだと思う。
よく‘心の音’に耳を傾けてみると
‘今までに聴いてきた音楽’以外にも
各人独特の音楽が流れているのではないかと思う。
それは必ずしも鮮明なわけではないかもしれないが、
自分の中で‘漠然と鳴っている独特の音’を
具現化していく力をつけていくことが、
音楽の理解を深めていく、楽器を練習する
という事かもしれない。
また、音楽、楽器と接していく過程で、優れた弾き手等を
模倣するのは重要且つ有効な手段だが、
単に憧れのギタリスト等とクリソツに弾きたいだけなら
‘聴き手’として音楽と関わるだけでも充分かもしれない、
しかし、楽器を手にする人は、それ以上の意識を
持っているか、
内在、潜伏させているかの何れかのように思える。
ただし、‘個性’というキーワードを安易に考えてしまうと
否定的な意味での‘クセ弾きをする人’になってしまうので
音楽、楽器と接していく上で必要な事を確実に習得していく
事と平行して、
‘自身の音’とはどんな音なのか、じっくり耳や心を澄ます
事が重要だと思われる。
な~んか、ちょっと説教クサイというか宗教ちっくな
ブログになってしまったが、
僕は特に宗教を持っていません(笑)というより、
意志のモト、特定の宗教に傾倒しないのですが、
特定の宗教、信者の方々を批判するつもりもありません。
宗教の名のモト、
人をオトシイレルような集団は除きますが.....
どんなギターを弾きたいのか、
簡単なようで難しい問いだと思う。
‘一人の聴き手’としてだけでは満足できず、
楽器を手にしたからには、その人が、
‘その人の中で鳴っている音’
を具体化したいという気持が、音楽を聴くのみの人
より強いはずだと思う。
よく‘心の音’に耳を傾けてみると
‘今までに聴いてきた音楽’以外にも
各人独特の音楽が流れているのではないかと思う。
それは必ずしも鮮明なわけではないかもしれないが、
自分の中で‘漠然と鳴っている独特の音’を
具現化していく力をつけていくことが、
音楽の理解を深めていく、楽器を練習する
という事かもしれない。
また、音楽、楽器と接していく過程で、優れた弾き手等を
模倣するのは重要且つ有効な手段だが、
単に憧れのギタリスト等とクリソツに弾きたいだけなら
‘聴き手’として音楽と関わるだけでも充分かもしれない、
しかし、楽器を手にする人は、それ以上の意識を
持っているか、
内在、潜伏させているかの何れかのように思える。
ただし、‘個性’というキーワードを安易に考えてしまうと
否定的な意味での‘クセ弾きをする人’になってしまうので
音楽、楽器と接していく上で必要な事を確実に習得していく
事と平行して、
‘自身の音’とはどんな音なのか、じっくり耳や心を澄ます
事が重要だと思われる。
な~んか、ちょっと説教クサイというか宗教ちっくな
ブログになってしまったが、
僕は特に宗教を持っていません(笑)というより、
意志のモト、特定の宗教に傾倒しないのですが、
特定の宗教、信者の方々を批判するつもりもありません。
宗教の名のモト、
人をオトシイレルような集団は除きますが.....