室賀ジャズギター研究室

実技・理論の総合レッスン

個人レッスンのジャズギター教室

ギブソンとジャズギター

2008年04月30日 | 楽器、楽器周辺
十代から二十歳前後の時期、
水戸黄門の印籠以来(?)脈々と続くブランド志向に対する反発からか、
ギブソン、フェンダーばかりがギターじゃない!と
懸命にそれら以外の楽器を弾いていた。
今、振り返ると
高価で買えないという認識から逃避するための
思考転換だったのかもしれないが…

しかし、
ジャズギターに傾倒するということは
クリスチャン、ウエス、ケッセル、バレル、パス、タル、レイニー等などの
名盤、必聴盤、を避けては通れない。
(通ってもイイけど、通せんボされるかも…)
必然的に有無を言わさず散々ギブソンの音を聴かされ、
洗脳(?)されていくということでもある。

名演奏の数々とギブソンの音が
セットになってインプットされたりするので
実際には、素晴らしい楽器は他にも数知れずあっても
ギブソンの音には、特に、異常反応してしまうようになるという
コワ~いシステムなワケさ。
というのは半分ホントで半分冗談だとして、
欠点もありつつ、例の独特の甘い音は、やはり魅力的ではある。

チューニング

2008年04月21日 | 基本・基礎
チューニングが苦手な人、甘い人が多い。
皮肉な事にメーターの普及がその要因の一つのように思える。
練習の際、基準音だけを採り、
あとは自身の耳で合わせる事をお勧めする。
チェック、答え合わせの要領でメーターは活用する。
ライブ等、チューニングの時間、機会が制限され、
メーターへの依存度が増加せざる得ない場合とは
別に考えると良いと思う。
せっかく耳を鍛えるチャンスの一つを逃してしまうのは残念だ。

持参したメーター、音叉にもくもくと合わせ
チューニング完了という人もよく見かける。
共演者/一緒に演る人とのバランスは?
鍵盤など、チューニング調整、変更が困難な楽器を
優先、中心として合わせたり、
お互いのコミュニケーションをよく取り、しっかり合わせる…などは
当然の事だが、忘れられてしまう事も多いようだ。

以前にも書いたと思うし、たくさんの人が言及していることだが、
どんなに素晴らしいプレイをしてもチューニングが甘ければ
全て台無しだ。

ギター等、弦楽器はちょっとした環境の変化で狂いが生じる。
‘2弦が気持ち悪いな…’など感覚を頼りに補正するわけだが
そもそも、メーター依存が激しいと
その感覚を鍛える機会も失ってしまう。

ガルブレイス・ギター

2008年04月12日 | Weblog
先日、ある生徒さんが
自作のギターを完成させてレッスンにやって来た。
カッタウェイのエレガット。
クラッシックギターのキットをベースに、
カッタウェイ(フローレンタイン)にしたり、
175のようなダブルパラレログラムの
ポジションマークを入れたり、
塗装はラッカー仕上げ、…と力作である。
ヘッドには‘Galbraith'のロゴ(笑)
相当、苦労したそうで
‘二度と作りたくない!’との事…(笑)

アゴイタム

2008年04月07日 | Weblog
コルトレーンチェンジについては幾度かブログに書いた。
Ⅱ-Ⅴ、トーナリティーが安定している部分などに
スーパーインポースしてプレイする手法も
常套的なアプローチになっていることにも触れたと思う。
ベースになっているトーナリティーとコルトレーンチェンジの
距離感が変化して戻ってくる効果は
ある程度以上のテンポが伴って発揮する。
というわけで、ミディアム程のテンポ、または、より遅いテンポで、
8分音符でコレを演っても衝突感、違和感が先に耳についてしまい
不機嫌度が高い‘別に!’的サウンドになってしまう。
そこで、考え過ぎず、倍テンでプレイしてみると
本来の効果も損なわれず実際的だ。

レッスン終了後、
上記のような、倍テンコルトレーンと
ポリリズミックなフレーズ等を練習していた。
どちらもソレモンの雰囲気で
ちょっとハイテンション気味なわけだけど
テンションが上昇するにつれ、
おそらく口が左にユガんでいた気がすると思ったら、
ギターを置いて一服すると
アゴが痛くなっていた。

皆さんは余計な力を入れずリラックスして弾いて下さいまし。
ワタシも以後、気をつけます。

情報の波

2008年04月03日 | 練習・アドバイス
「資料との上手な付き合い方」でも書いたが、
ジャズギター関連の情報も他分野同様、豊富な昨今である。
ネット等で得られるそれらの類も
良い情報、誤情報が混沌と氾濫している。
新しい知識等を得る事は、大変なスリルだが
ともすると自らを混乱に落とし入れる原因にもなり得る、諸刃の剣だ。
‘知らない事だらけだ…’
‘どこから手を着ければ良いのか…’
‘視点が増えすぎて、何がナンだか…’などなど。
実際、個人単位でその時々のタイミングに必要な情報、
ハンドルできる情報の数など相当限られてくる。
それ以外の余分なモノは時として
無視したり、捨てたり、保留したりする作業も求められる。
まして、‘楽器を弾く’という観点で言えば、
‘それは聞いたことがある/見たことがある’という消化度合の情報は
全くと言っても過言ではない程、意義を形成しない。
インプロヴァイザーとしては、即、楽器上で具体化できる度合に
消化している必要性にせまられる。
‘情報収集に費やす時間’の数倍、‘楽器と接する時間’を割く、且つ
両者の関連付けを如何にスムーズ/有効にするか?というあたりを
考察されると良いのではないかと…
情報の波を快適に乗りこなし、
呑み込まれないために…
(ナンかのキャッチコピーみたいだ(笑))