いつ頃から流行り出したのか、私はこの言葉が一番嫌いなのです。突然ですが。
手前勝手にやりたいだけの愚かな欲求を『自分らしく生きたい』と堂々公言するなんて脳味噌壊れてるんじゃないかと思いますがね。
それは制約の中でこそ光る個性であって、柵(しがらみ)を全て取り払った中で生きられる言葉ではないのです。そんなことは禽獣の類がやっています。
これは武道やスポーツでは体感・体現しやすいのではないかなと思います。よって今週は真の意味での自分らしさを引き出す練習です。
技を左の中段回し蹴りだけに限定し暫く組手稽古を重ねます。その後他の技も解禁しますがやはり左の中段回し蹴りを中心に。
するとココから一人一人の考えが体に顕れて来るわけです。ある者はここぞと右をフルスイングしたり、ある者はもう暫く左の蹴りで相手の様子を伺う、或いは左の蹴りを餌に使い出す等色々ですね。
これが所謂『らしさ』です。
同じ土俵に居ながら突出する者は突出するし這う者は這う。
社会も全く同じですね。どちらも考えなしには上がれない。
いつまでも好き勝手やって基礎的な部分が身に付いていないと好きな事を追いかけたって全ての質が低いので結局自分が縛られ挫折するのみ。
一つを突き詰めれば枝分れして其方にも考えが及び、相互作用でまた一つスキルアップも図れます。
今回の左の中段回し蹴りであれば、ここから左の下段蹴りに繋げたいからそちらを研究する→下段蹴りが強化された事でそちらからでもアプローチが可能になる。
といった感じでしょうか。
そこを公私共に弁えておけば『自分探しの旅』などという恥の極みへ陥ることもないでしょうね(笑)
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手前勝手にやりたいだけの愚かな欲求を『自分らしく生きたい』と堂々公言するなんて脳味噌壊れてるんじゃないかと思いますがね。
それは制約の中でこそ光る個性であって、柵(しがらみ)を全て取り払った中で生きられる言葉ではないのです。そんなことは禽獣の類がやっています。
これは武道やスポーツでは体感・体現しやすいのではないかなと思います。よって今週は真の意味での自分らしさを引き出す練習です。
技を左の中段回し蹴りだけに限定し暫く組手稽古を重ねます。その後他の技も解禁しますがやはり左の中段回し蹴りを中心に。
するとココから一人一人の考えが体に顕れて来るわけです。ある者はここぞと右をフルスイングしたり、ある者はもう暫く左の蹴りで相手の様子を伺う、或いは左の蹴りを餌に使い出す等色々ですね。
これが所謂『らしさ』です。
同じ土俵に居ながら突出する者は突出するし這う者は這う。
社会も全く同じですね。どちらも考えなしには上がれない。
いつまでも好き勝手やって基礎的な部分が身に付いていないと好きな事を追いかけたって全ての質が低いので結局自分が縛られ挫折するのみ。
一つを突き詰めれば枝分れして其方にも考えが及び、相互作用でまた一つスキルアップも図れます。
今回の左の中段回し蹴りであれば、ここから左の下段蹴りに繋げたいからそちらを研究する→下段蹴りが強化された事でそちらからでもアプローチが可能になる。
といった感じでしょうか。
そこを公私共に弁えておけば『自分探しの旅』などという恥の極みへ陥ることもないでしょうね(笑)
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