コロナ禍により延びに延びた審査会ですが漸く執り行うことができました。
練習量が満足に取れない中、特に上のクラスはよく出来ていたと思います。
中でも昇段に臨んだ2名、昊徳と凌希。互いに兄や姉も習っていた関係で赤子の時から知ってますしうちの子とも同級生。小さい頃道場で戯れていたこともありました(笑)そんな個人的な感情を入れてはいけないのかもしれませんが、2人の創作形を仕上げてきた姿を見た時は危うく涙が出そうになりました。さすが昇段に臨む茶帯だけある技のキレだったのでは。
ただ、総評として思うのは審査会や試合のために稽古があるのではないよということ。今回の出来を毎日出せる稽古をしてこそ。ここ数年ただ言われたことを淡々と無難にこなすだけの子が増えてきたので、審査会の頑張りを見ると辛くもあり(苦笑)
私個人の信条は「それ自身でなくなる為に」です。それを子供らに伝えるのは難しいのですが、答えのわかってるものの為に簡素な事を雑に繰り返し本番だけ本気でやることに意味を求めて欲しくないかなと思っております。
ここ5年程の間で熱の入りにくい子が急激に増えてきましたが、与えられたことを無難に作業としてするのではなく考えることをやめず取り組んでほしいのです。それはただ空手というものにぶら下がってるだけの状態。
何級とったとか何位になったとか。
それは一体何と比べてどないやねん、というあやふやな、名詞としてだけ機能するものに沿っていくのではなく自分の中に何が残るか。特に東支部の子は今回注意点のある子が多数でましたしそれを強く思うのです。
松井先生のよく言う「帯の価値」。
それがどういう事なのか考えてみましょう。
飾りではなく自負や覚悟の色であってほしいです。
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