未熟者武道記

空手徒然。
二つの戈を止める武を核とし、諸諸と調和して溶け込んで。(いけたらいいな)

美ら形【改】

2015-10-19 20:40:36 | 雑感
形もダンスも設えられた振付けに沿って動きます。何でそこに上手い下手は勿論のこと、上手い中でも一流と超一流が生まれるのか。

振付けを綺麗になぞれば誰でも「上手い」までの評価は得られます。下手なのは単に振付けに沿えていないだけの話だと考えます。

同じ振付け・作業なのに突き抜けてくる使い手がどの分野にも現れます。
例えばバレエの世界にボレロがありますが、あのセンターで踊るギエムやジョルジュと周りで踊る人達の差は?周りのエキストラに見えてしまう彼らもベジャールのお声掛けがある以上一流ダンサーに違いありません。ある程度振付けが決まっている踊りの中でそこまで差が出る要素とは?

形に自分を填め込むのと形を自分に取り込む違い?
同じ振付けの中でも◯◯といえば誰某!と名の挙がる人って居ますよね。玉三郎の夕鶴みたいに。

その辺りを最近よく考えてる気がしますし今日は一日中それを考えていました(笑)下手ではいけませんが上手いなんて特に重要ではない気がします。

最近空手少女が形をしているCMが流れているそうで今日妻に「この子めちゃ上手いで!かっこいい」と昼寝中の体を揺さぶられましたが眠たい眼を開けてまで見ようとは思わず生返事だけ。そう、きっと上手くてかっこいいのでしょう。それだけ。私なんかより遥かに上手いのでしょうが上手いだけの人なら腐る程居るのです。

以前、妻が東恩納師範の動きを見た時は固まっていましたから。私も固まっていました。どう凄いと表現したら良いのか分からず只々「不可解」。先に挙げたジョルジュもまた不可解。思わず巌頭之感が頭を過ぎります。

そして知花朝信先生のナイハンチ。これを見た時も脳髄に響く衝撃がありました。もはや上手いとかではないのです。上手さ物差しで測るとCMの子の方がやはり上手いんじゃないでしょうか?

美(ちゅ)らくして、と沖縄では教えられるそうです。それは点数稼ぎの美しさではなく体の理解、機能美としての美らくして。

先程息子に月が綺麗やで、と月を指差しました。そして其方を向く息子。例えばこの時ナゼ人差し指で物を指差すのか?そしてナゼ高確率で其方に目を向けてしまうのか?というような処から身体へのアプローチが始まるのかもしれません。


【10/20追記】

形をする意味も様々でしょうが一つ仮説が生まれたのでメモとして。
昔何かで読んだ話によりますと形は用途を伝えられていないらしいのです。平安の形ですら。
その意図は状況に応じて千変万化させる体を練り上げる為だと理解していますが、更にはいざ誰かと対峙した時に呼吸を読む為の所謂イメージトレーニングでもあるのではと。

ただ決まった動きの中に自分を落とすだけではなく、想像力も大事。



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