未熟者武道記

空手徒然。
二つの戈を止める武を核とし、諸諸と調和して溶け込んで。(いけたらいいな)

気付きの土壌

2016-05-24 19:24:54 | 雑感
「この子はやれば出来る子なんですけど云々…」という言い訳をよく耳にします。

それはそうなのかも知れませんが聞かされる側にとってこれ程どうでも良い情報もありません。出来ない事が問題なのではなく誰よりもやらない事を平気で居られる精神が一番の問題なのです。そして事実出来ていない。なのに認められたい。それは無理でしょ。
うちの道場でも今回の審査受験を認められなかった子や厳しい事を言われて何とか許可が下りた子が大勢居ますが、その子達は次回稽古からやる気を見せるかと云うと九割以上そうではなく…。

こればかりは親や先生がどうにか出来る事ではなく最終的には自分で気付く他ありません。
私も少年期は同じ事を何度言われても改善されないので父からよく「犬でも三回で覚える」と嘆かれたものです(笑)運良く気付く機会がありましたので人並な倫理観や道徳観を持つことが出来ましたが、我が子を見ているとこれが血か…と抗えない力を感じます(苦笑)

根本的なところは変わりません。
しかし性格を変えるのではなく「弁える」だとかどういう場所かを「知る」事が彼らには何より急務だと思うのです。或いは「隠す」か。
同じお調子者でも場を弁えられるか否かで人気者とトラブルメーカーに別れますからね。それを教えられるのは、何度でも一番厳しくぶつかれるのは一体誰かという話です。

「自分らしさ」だとか「伸び伸び」だとか。
耳心地は善いのでしょうが迷惑をかけないのが大前提。野生のままでは気付く土壌が培えません。
武道始め、稽古事は珠を磨くただの布です。原石もただの石。珠に仕上げるのか石コロのままにしておくのかは御両親の考え一つでしょう。




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