未熟者武道記

空手徒然。
二つの戈を止める武を核とし、諸諸と調和して溶け込んで。(いけたらいいな)

丹後旅【経ヶ岬編】

2019-07-15 23:49:26 | 旅行
さて、行って見たかったのは経ヶ岬。近畿地方最北端の地です。昔から何かと「北」には縁があると思い込んでいるので行っておこうかなと。

舟屋からは約20km。30分程の所ではありますが運転の怖いこと。標高&崖、道の狭さ、突如現れる猿。
何となく自然に対する畏怖みたいなものがあってこういう場所に入ると引き返したくなります。

なんとか灯台近くの駐車場に到着。凄い景色です。これだけ高くても波の音が近くに聞こえます。眼前全部海!

ここにも猿が。

ちょっとだけ歩きます。

割と階段キツし。

前日の雨で泥濘み度強し。滑る、汚れる。

まだ新しい白の靴が…

10分程で灯台到着。



此処が近畿の最北端か。あの穴ポコに行ってみたい。

景色の他に何にもありませんが他に何も要らないこの感じ。空之巻が言っているのはコレなのでしょう。願わくば夕焼けを眺めとう御座いました。

この時点で16時。
鉄道ファンの息子は福知山駅に寄るよう催促してきますし日没後の山を走らねばなりません。前回は福知山でタヌキだかアライグマの親子か飛び出してきて急ブレーキ踏んだので戦々恐々です。バイクだと転倒必至。鹿なんかに当たった日にゃカブなんて負けそうですもの。

これから今度はこの山を降らねばならないというのも相まって非常に不安な帰路へつくのでありました。山道は煽られますからね〜。




【帰り道編】へ
つづく


丹後旅【伊根の舟屋編】

2019-07-15 23:23:38 | 旅行
5時間を要し辿り着いた伊根の舟屋。


疲れが取れるような気がする美しさ。春、頭上の桜は堪らんでしょうな。

タコが優雅に這っております。

自然のタコをみて興奮の息子。逃げずに近寄ってくるサービス精神。さすが観光地ですわ。息子がどないか捕まえて食べたろとしてる間に何処かへ行きました。

向井酒造にて前回売り切れていた紅い日本酒をゲット。爺ちゃんへのお土産です。
先のG20で振舞われたそうです。バイクなので試飲も出来ないし、実家に送ったら帰省時には絶対残ってないので持っていく。

海鮮丼で有名な油屋。伊根に来た目的の半分を占めます。

11時開店だと思っていたら12時開店との事。1時間前でも既に沢山並んでおり、どうせ並ぶ羽目になるのだからもう先に散歩することにしました。

今回は前回散策した湾の反対側へ。

バイクか歩きかで迷いましたがせっかくなので歩くことに。

水が綺麗で魚がよく見えます。


舟屋よりそっちが気になってしゃあないみたいで。

舟屋を開放してくれているお宅もあります。



ずっと居りたい…宝くじ当たったら此処に棲む(笑)

舟屋の向かいの家は何件か現代風に建て替えられてたり。
しかし結構長いな。

うーむ、素晴らしいですな。



餌やりは怖いみたいです。

端に到着。

ウニ盛り盛り。

1時間半ほど歩いてました。油屋に戻るとやはり並んでおります。

来たからには食べる。

1時間半並んで漸くありつけました。

素晴らしい。

前回来た時は息子は海鮮丼食わず嫌いでしたので隣の食堂に入った(其処もかなり美味)のですが、今回は食べてみたいと言ってくれました。遂に空気読む力が備わってきたか(笑)

口に運ぶや「おわぁ!」と声を上げ。
感動的美味さ、らしいです。初海鮮丼がこれとは贅沢な話ですが。

店を出たらもう15時。
予定ではもう帰る筈の時間ですが折角此処まできたら行っておきたい場所があったので外す訳には行きません。
獣蠢く山の夜道をバイクで走るのは避けたかったのですが、それは覚悟して次に向かうことにしました。



【経ヶ岬編】へ
つづく




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丹後旅【出発編】

2019-07-15 23:05:26 | 旅行
夜も白み始める前の4時に起床。
余裕を持って用意させ、目覚ましテレビのオープニングを見たいと言うのでそれを見てから出発。

基本的には道なりに真っ直ぐ走るだけ。
ナビでは3時間半程度となっておりますが大抵縮まるので3時間程かな。

しかし想定外に寒い。
福住まで来て堪らずホットコーヒー注入。

しかしこれが裏目に出てションチカ親子と化した我々はトイレ休憩が増える憂き目に遭うのであります。此処出てものの数分で膀胱充填完了(´・ω・)

やはり寒いのでトイレ序でに2回目の朝食。一発目には絶対無理だな。否、二発目でもパンチありますが少し温まりました。

福知山駅を越えた辺りで息子曰く、一年前この近くに阪急電車を置いてある家があったとのこと。そういえばそんなこと言ってたなあと思いながら走っていると

ありましたがな。176号線の喫茶店横に。

彼の解説によると2800系。かつて京都線の特急車として活躍したそうです。

なぜこんなものが一民家の庭に?カーテンあるけどまさか家として住んでるのか?

調べてみるとやはりこれ自体が民家でございました。
こんなのも良いなあ。電車の平屋とか流行りませんかね?流行らんか。高校時代、マンガの湘南純愛組で主役の片割れ弾間龍二が恋人の渚と廃バスに住んでいるのに若干憧れた事があります(笑)

息子がこれをたっぷり堪能してから出発。
宮津も近づいてきたかなという時にバカボンのパパが出現。

バカボンファンでコミックも集めている息子。バイク旅は気になると直ぐに引き返せるという利点がありますね。寒いしトイレ近いしだいぶ肩・腰にきてるけど。

暫く走ると右手に日本海が見えてきました。名勝天橋立を横目に当然写真も撮れずに走り抜け漸く伊根に到着。
所要時間5時間。な〜にが3時間か!寄り道と休憩が多かったにしてもチト掛かり過ぎましたね。


【伊根の舟屋編】へ
つづく



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丹後旅【準備編】

2019-07-15 22:45:28 | 旅行
「海の日は伊根の海見に行きたいなー」
なんて洒落たコトを言っていたので、よしじゃあ車予約するかという話をしていたら、


「バイクで行きたい」


いやいや、カブはしんどいやろ。
と言っても言い出すと中々引かんので覚悟を決めてバイクで行く事にした先週。若干雨が降るのを期待して(笑)

今までスルーしてきたスマホ充電システムを遂に。スマホホルダーと充電器の一体型。便利です。

工賃が本体より高い…しかしカバー外した状態も武骨で良いなあ。

念のためガソリン携行缶も用意。自分で給油したらダメなんですね。そういえばセルフスタンドのアナウンスで言ってるような。結局車借りた方が安いんちゃうのという支払い額になりましたが付けたら付けたで腹も決まりました。

当日は5時台に出たいので土曜は夜更かしさせて日曜は早起きをさせ夜は20時台に寝かせました。興奮して寝ないかと心配しましたがコロッと。乳幼児時代でも果たしてそんな時間に寝てくれたコトがあったかな。

不可解な寝相。

けどやはりソワソワしてるのか何度か起きて時間を確認するので私が寝不足気味であります。



【出発編】へ
つづく。



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Five Rings

2019-07-13 02:19:23 | 日記
最近読み直す為に探すも見当たらないので再購入した五輪書。

枯木鳴鵙図の表紙が憎い。

今ならしっかり読めるような気がします。
学生の頃も読んだのです。しかし知識欲と言いますか、読んだ事実や冊数コレクションにしたかっただけのような浅はかな読み方でした。近世文学がいまいち読みにくて、賢こぶって洋書で読んだりしたのもダメだったのでしょう(苦笑)結局内容より訳が正しいかが気になる受験英語後遺症です。そしてやってる内に飽きて放置…

更には国文学を専攻していながらコレを卒論題材に選ばなかったこと。吉川英治先生を研究するのに『宮本武蔵』は随分読みましたが何故空手をしていながら五輪書には思いが廻らなかったのか。単に近世ヤダ、ってだけで現代文学専攻にしましたが思い返すと間抜けな学生です。

閑話休題。
五輪書に関しては色々なものが出版されておりますが、ビジネス指南書みたいに解説入れてくるのが多く、そういうのが純粋に読みたい私には大変煩わしいので文学として楽しむならば上のちくま学芸文庫版はオススメですね。

無刀。
武を続けているとやはり精神的にそこへ近づいていくのでしょうか。

喜屋武朝徳先生は「長年修行して体得した空手の技が生涯を通して無駄になれば空手道修行の目的が達せられたと心得よ」と遺しており私の大事にしている言葉の一つとなっておりますが、五輪書の最終巻『空之巻』でも冒頭に

「あるところを知りて なきところを知る これすなはち空なり」

とあります。
ブルース・リーも「無」について遺しています。無とは空(void)の事で上記の一文も英語では

“By knowing what exist, you can know that which does not exist. That is the void.”

と訳されています。

因みにブルースの言葉は

“The void is that which stands right in the middle of 'this' and 'that'. The void is all-inclusive, having no opposite - there is nothing which it excludes or opposses. It is living void, because all forms come out of it and whosoever realizes the void is filled with life and power and the love of all things.”

『無は〝これ〟と〝あれ〟の狭間に在る。無は全てを包含し何物をも排斥しない。無は生き物で万物はここから生まれ、無を理解する者は命と力そして愛に満たされる』

といった感じです。
これは彼の起こしたジークンドーの道を説いたものでそれを纏めたのがシンボルマークとして起用されている「以無法為有法 以無限為有限」。則ち『無法を以って有法と為し 無限を以って有限とする』ということらしいです。彼が五輪書に影響を受けたのは有名ですがやはりこういう方向へ進んでいくのでしょうか。

実に東洋的思想ですね。
唐から来たから唐手、という捻りのないネーミングだったものが現在では空手の空にも当てはまるし良い塩梅であります。自身の哲学を肉体に落とし込む事が適うようバイブルとして持ち歩きます。




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