白川郷の続きです
粉雪が舞ったり
青空が広がったり
不思議な空模様の下
白川郷の合掌造りの集落を散策します
雪深き集落の趣と
合掌造りの母屋が立ち並び 風格と情緒が見られ
その美しさを誇っているようにも見えます
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訪れてみたかった 和田家
念願かなって お邪魔をさせていただきます
和田家は1573年(天正元年)よりつづく家柄で、当主は代々「弥右衛門」を名乗った。江戸時代には牛首口留番所役人や庄屋を務め、苗字帯刀を許された。また火薬の原料である塩硝(焔硝)の取引で繁栄した。和田家住宅の建築時代は諸説あるが、文化庁によると江戸時代末期であるという。 往時には20人以上の人が住んでいたという。それは山がちで土地が狭かったこの地では、次男三男が分家することが難しく、結果的に長男一家を中心とした大家族となったのである。またこのような理由から、家屋の規模も大型となった。和田家住宅は1995年(平成7年)12月26日に主屋、土蔵、便所ならびに土地が国の重要文化財に指定された
ウィキペギアより引用
荻町合掌集落で最大規模を誇る合掌造りです。
現在も住居とされておりますが、その中で、1階と2階部分を公開しているようです
土足厳禁です
日本家屋の木の温もり 優しい佇まいの入り口です
懐かしく感じながら玄関に入ります
入り口で 受け付けをして入居させていただきます
建物は南北に面して建てられおります。
これは ここの風向きを考えて、風の抵抗を抑えるためのものであり
屋根に当たるお日様の日照が長くなるようにと考えられているようです
そのため、夏涼しく、冬は保温されるようになっています
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屋根裏に続く階段です
急な角度で天井に向かって伸びます
それでも、昔の階段にしては 緩やかな方だと感じます
私の旧家の階段は、もっと狭く 急だったのを記憶していますから…
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和田家の 屋根裏
屋根裏は住むには狭く住居としての役割は難しかったようで
気候的また、造りから作業場として利用されていたようです。
幕末から昭和初期にかけ白川村では養蚕業が村の人々を支える基盤産業だったようで
屋根裏の大空間が便利で条件的にも有効活用の場だったようです
そのため小屋内を2~4層に分け、蚕の飼育場として使用していたそうです
今は蚕棚はなく、広々とした空間が三角の形で広がり、
南北に開く窓からの明かりが入り込んでいます。
これは、ここの特徴一つの
又首構造の切妻茅葺屋根という屋根の形態が大きく関係しています
日本の茅葺民家の屋根形態は入母屋造りか寄棟造りが一般的ですが、
合掌造りは茅葺でありながら切妻造りなのです。
これには 気候の他に、基盤産業としての蚕の養殖が大きく関わっており、
妻の開口部から風と光を取り込み
蚕の飼育に適した環境を作り出していたと言えるでしょう…
昔からの知恵の宝庫がここにも残されています
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屋根裏は 黒く太い柱が三角形に組み合わされ、
強靭な構造を支えております
ここの造りには 一切の鉄釘の類は使われておりません
合掌造りでの結束部には 「ネソ」という結束材で締めております
その「ネソ」の素材には、あの春を先駆けで知らせる事で知られている
細長いひも状のちぢれた黄色い花を咲かせるのマンサクの若木が
利用されているのだそうです
お花が豊かに付くので 豊年満作から名づけられたマンサクの木
その若木を利用するのにも 何か謂れがあるのでしょうか…?
結束部分になる中心を叩いて柔らかくし、生木のまま使われたネソが
乾燥する事で、締まってくるという事らしいのですが
自然と共に暮らしてきた方々の知恵なのですね…
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隅に掛けられている道具と共に
懐かしいものを発見します
ワラジです
祖父が藁を叩き、足の親指に挟んでねじりながら
ワラジを編んでいた昔を思い出します
その頃一緒に編んでいたものの
今ではすっかり忘れて、思い出すのに時間がかかりそうです…
沢登りでは必ず持って歩いていたのですが
今はフェルトなどで、よいものがあり
使わなくなってしまい
作る事もなくなりました…
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時が止まった空間で
茶釜もまた 時と共に忘れ去られようとしているのでしょうか…
暖炉のある田舎風情
私は好きです・・・
むか~し
むかし…
あるところに…
昔話が華を咲かせそうです
こんな面白いもの見つけました♪
↓
http://shirakawa-go.org/kankou/mukashibanashi/
粉雪が舞ったり
青空が広がったり
不思議な空模様の下
白川郷の合掌造りの集落を散策します
雪深き集落の趣と
合掌造りの母屋が立ち並び 風格と情緒が見られ
その美しさを誇っているようにも見えます
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訪れてみたかった 和田家
念願かなって お邪魔をさせていただきます
和田家は1573年(天正元年)よりつづく家柄で、当主は代々「弥右衛門」を名乗った。江戸時代には牛首口留番所役人や庄屋を務め、苗字帯刀を許された。また火薬の原料である塩硝(焔硝)の取引で繁栄した。和田家住宅の建築時代は諸説あるが、文化庁によると江戸時代末期であるという。 往時には20人以上の人が住んでいたという。それは山がちで土地が狭かったこの地では、次男三男が分家することが難しく、結果的に長男一家を中心とした大家族となったのである。またこのような理由から、家屋の規模も大型となった。和田家住宅は1995年(平成7年)12月26日に主屋、土蔵、便所ならびに土地が国の重要文化財に指定された
ウィキペギアより引用
荻町合掌集落で最大規模を誇る合掌造りです。
現在も住居とされておりますが、その中で、1階と2階部分を公開しているようです
土足厳禁です
日本家屋の木の温もり 優しい佇まいの入り口です
懐かしく感じながら玄関に入ります
入り口で 受け付けをして入居させていただきます
建物は南北に面して建てられおります。
これは ここの風向きを考えて、風の抵抗を抑えるためのものであり
屋根に当たるお日様の日照が長くなるようにと考えられているようです
そのため、夏涼しく、冬は保温されるようになっています
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屋根裏に続く階段です
急な角度で天井に向かって伸びます
それでも、昔の階段にしては 緩やかな方だと感じます
私の旧家の階段は、もっと狭く 急だったのを記憶していますから…
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和田家の 屋根裏
屋根裏は住むには狭く住居としての役割は難しかったようで
気候的また、造りから作業場として利用されていたようです。
幕末から昭和初期にかけ白川村では養蚕業が村の人々を支える基盤産業だったようで
屋根裏の大空間が便利で条件的にも有効活用の場だったようです
そのため小屋内を2~4層に分け、蚕の飼育場として使用していたそうです
今は蚕棚はなく、広々とした空間が三角の形で広がり、
南北に開く窓からの明かりが入り込んでいます。
これは、ここの特徴一つの
又首構造の切妻茅葺屋根という屋根の形態が大きく関係しています
日本の茅葺民家の屋根形態は入母屋造りか寄棟造りが一般的ですが、
合掌造りは茅葺でありながら切妻造りなのです。
これには 気候の他に、基盤産業としての蚕の養殖が大きく関わっており、
妻の開口部から風と光を取り込み
蚕の飼育に適した環境を作り出していたと言えるでしょう…
昔からの知恵の宝庫がここにも残されています
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屋根裏は 黒く太い柱が三角形に組み合わされ、
強靭な構造を支えております
ここの造りには 一切の鉄釘の類は使われておりません
合掌造りでの結束部には 「ネソ」という結束材で締めております
その「ネソ」の素材には、あの春を先駆けで知らせる事で知られている
細長いひも状のちぢれた黄色い花を咲かせるのマンサクの若木が
利用されているのだそうです
お花が豊かに付くので 豊年満作から名づけられたマンサクの木
その若木を利用するのにも 何か謂れがあるのでしょうか…?
結束部分になる中心を叩いて柔らかくし、生木のまま使われたネソが
乾燥する事で、締まってくるという事らしいのですが
自然と共に暮らしてきた方々の知恵なのですね…
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隅に掛けられている道具と共に
懐かしいものを発見します
ワラジです
祖父が藁を叩き、足の親指に挟んでねじりながら
ワラジを編んでいた昔を思い出します
その頃一緒に編んでいたものの
今ではすっかり忘れて、思い出すのに時間がかかりそうです…
沢登りでは必ず持って歩いていたのですが
今はフェルトなどで、よいものがあり
使わなくなってしまい
作る事もなくなりました…
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時が止まった空間で
茶釜もまた 時と共に忘れ去られようとしているのでしょうか…
暖炉のある田舎風情
私は好きです・・・
むか~し
むかし…
あるところに…
昔話が華を咲かせそうです
こんな面白いもの見つけました♪
↓
http://shirakawa-go.org/kankou/mukashibanashi/
雪のない季節でした。
こうして深い雪に包まれた白川郷、和田家見させていただいて、
新たなる感慨がわき起こってきます。
雪に白川郷は良くマッチしますね。
お伊勢さんにもお出かけですね。
幼稚園から小学4年まで、鳥羽市に居住、
家族でお伊勢参りにも行きました。
お写真から懐かしい風景も思い出し、
今は亡き両親を知らず忍んでおりました。
リハビリ登山??
お父さんとはご主人様のこと?
トレースもなさそうな深い雪の中を行く、
幻想的でそれでいて気分は高揚みたいな
勝手に想像して楽しませていただきました。
明日から、伊豆諸島の大島に出かけます。
山ではなくてお仕事(ボランティア)ですよ(笑)
素敵な所でした
伊勢方面にはよく出かけます
それなのに 伊勢神宮は初めてでした
色々と奥深く 感傷に陥るところも…
それぞれの思いがあふれ出るところなのでしょうか…
私も、亡き両親の面影を思い起こしながらの白川郷でした
チチ…は主人の事です♪
なのに、私の事はハハとは申しません(笑)
二人でお山に行きます
幻想的で…
まさにその通りです
嬉しいく思います
伊豆諸島の大島…
お仕事ですか…
行ってみたいところでもありますが…
お仕事大変ですが、ご無理なさらないように…
コメントありがとうございます♪