凹む事もある。
そりゃあ人間だもの。
とはいえ、なかなか凹まないタイプではある。
だから滅多にこんな事はないんだけど、昨日の夜は珍しく滅入った。
一つの最悪な事が、自分の中でどんどん膨らんで心の全てが黒いもので支配される。
そうなっちゃうと、いっそのこと全部やめたい!なんなら人間やめたい!くらいまで
もうなにもかも、どうでもいいやーーー
だから闇って怖い。何も見えなくなっちゃうから。
昨日は神様に向かって思いっきり文句タラタラ言ってた
そしたら、今朝の礼拝はとってもスペシャルで
ゴスペルを通して救われたクワイアのメンバーが受洗6年の記念にと、証しをしてくれた。
彼女の人生を振り返り、救われた経緯や自身の許しの体験等、笑い有り涙ありの感動的な証し。
自分の事も重ね合わせたりして、改めて信仰に立ち返ることができた。
更に、メッセージは名古屋在住の元教会員が帰省してきてて、担当してくれた。
わたしが高校生で彼が大学生の頃から知っていて、勉強を教えてもらったり、受洗も同じ頃だったような。
紆余曲折あり、バリバリのビジネスマンな彼のメッセージは、勢いがあって力強くていつも元気をもらう。
だから、心のどこかで期待していたんだ。
凹んで捻くれてる今のわたしの心に喝を入れて欲しい!と。
案の定、わたしに語られてるんだと感じた。笑
人はよく『傷つけられた』と言って落ち込む。
でも、『傷つけられた』とは、裏を返せば、自分の中に高ぶり(高慢な思い)があるということ。
確かに!!!!
まさに、昨晩わたしは、
『傷つけられた』
と、被害妄想に浸っていた。
わたしにこんな態度を取るなんてひどい!!って。
どう考えても高ぶりですな
そんな自分の中の高慢さに気がついたら、なんだか凹んで落ち込んで萎えていたのが、急にバカらしく、いかに自分がちっぽけな者なのか証明されちゃって、その問題がどうでもよくなっていた
考えるのも悩むのもやーーめた!って
しかも、礼拝の中で教会のクワイアであるTCGCが、特別礼拝のため、2曲を信徒のメロディにハモリを入れて賛美をするという試みもあったので、賛美も本当素晴らしく満たされて、最高の癒しと回復の時間となりました。
だから、昨夜のモヤモヤ真っ暗闇の心境が嘘みたいにスッキリ快晴
神さま、全てお見通し。
さすがっす!
教会からの帰りの空は、夏の午後によく見られる入道雲がなんとも幻想的に美しかった。
お米もそろそろ刈り取りの時期で黄金色が美しい