やっと書く気になりました。6/6(土)in新宿朝日住友ビル のこと。かるーくね。
いつもブログで軽妙洒脱な感じを受ける実力派ギタリスト・鈴木大介さんと、我らがお慕い申しあげますピアニスト・近藤嘉宏さんによる、
仲良し対談。
いやー、楽しかった。
一応予定では「ベートーヴェン中期ソナタを語る」と銘打った講義・・だったと思うんですが、まるでファンがセッティングし直したような、(いや、ただ集合しただけなんですけど)ファンが寄るファンのための2人座談会、みたいな感じになっちゃってました。
いいのか? ファンとしては、別にいいだろう、良いんだとも。ですがね。
お二人、ちゃんとファンが多いことを目視で確認してから(?)、最初はちょっと恭しい感じで、大介さんが話を始められました。
箇条書き(手抜き)みたいでもうしわけないっすが、
1、二人の出会い (ファンは知っている、初対面での警戒から早急に打ち解けるまでの過程)
2、大介さんプロデュースで「ベトベンソナタ全曲」という価値ある箱物CDを今、作っておこうと思った経緯
(レコード会社の供給が音楽配信の方向に傾きつつある昨今、recoupできそうなCDしか作らなくなる時代にさしかかっていることも見越して、今、近藤さんの真価を見せ付ける(?)パッケージ化に相応しい録音に取り掛かろうと考えた。というようなお話)
3、2からの流れで、体調を崩したこともあって、「近藤さんの表現も変わったしね」というお話
(弾けなくなるかもという不安からも、一瞬一瞬が大事に思え、瞬間的な音のニュアンスを、より大事に感じられるようになった)
4、ここ数年、建築基礎の土台を取り払った後のような、より自由度や味わいある音楽を作れるようになった。とか、
楽譜から音楽を読み取り、感じ取り、それを自分の音楽表現にしていく重要さ、巨匠の借り物やエゴにならないようにする難しさ、などのお話。
(楽譜は、できる限り作曲者に近い原点版を使い、そこからインスパイアしたい、とも)
5、97年録音のベトベンCD → 数年前の4大ソナタCD → 今回発売の12番~15番のCD
の聞き比べコーナー
(表現も、録音の状態も明らかに違い、音楽表現の深まりの程が見えます。今回のは、音が近く丸みがありキレイで、傍で弾いてもらってるような感覚が味わえます。その点、パッケージ写真の雰囲気←どっちかいうと、こんなポーズ がマッチしていて、女子ファンにはうれしい感じ。ただ、よく知らない人には写真でイメージとジツリョクを誤解されそうな心配がありますが)
6、録音時のエピソードなど
(近藤さんは、音楽作りが「禁欲的」で、「整えよう」とするので、大介さんがいいところを残すようにしている、とか、やっぱり、人間が認識できる音の感覚のすべてをCDに託すことはできないし、感動を伝えるための調整が難しいといったような話)
こんな話題で、軽妙な大介さんリードで和やかに、進行されました。
近藤さんの、超真っ直ぐに音楽に向かわれる魅力が凝縮され、大介さんに乗せられ素も覗かせるような楽しいお話。
ピアノは、上から弾くので、感情がそのまま出るような造りになっている、だがそれでも、やってるつもりで実はそうなっていない場合も多いとかいう話のとき、アチョー(←もちろん近)などという語も飛び出しておりました。
あ、その流れで、ギターはなかなか雄たけびはできないから、たまには雄たけんでみたいよ!という大介さんのセリフがあり、近藤さんはフォルテよりp、pp、pppまでいくような、小さい音でのニュアンスを何倍も重視しているというお話も。
ま、そりゃそうだわな。
・・私は、ピアノの先生が、オルガン専攻でしかも激しい性格だったから、「フォルテが足りない、盛り上がりが足りない」とよく言われて、「私は大げさは嫌いなんじゃー! ニュアンス変えてんのが分からんのか!」と、何度かぶち切れそうになりましたけど・・
・・伝わらなかったってことは、独りよがりだったんだろうけどね。
それにしても、もっと理論的なこと、細かいことを教えてほしかったけど。
閑話休題、(←覚えたて四字熟語。使いたがり)
うーん、それにしてもやっぱり、近藤さんと私は価値観がよく一致するわぁ
お話を聞くと、いつも共感するばかりだけど、今回もやはり「いいと思うこと・感じ方・考え方の過程や内容」がほぼ一致。だから近藤さんの音楽が自然に心に浸透するのね。
私の場合、頭と言動が一致しない、うまく表現する力がないところが、近藤さんとは全く違うんだけどね だから、ま、誰も信じないだろうけどね(笑)
とりあえずいい加減なレポですが、何か思い出したら、また補足・メモ改訂など、いれるかもしれません♪
いつもブログで軽妙洒脱な感じを受ける実力派ギタリスト・鈴木大介さんと、我らがお慕い申しあげますピアニスト・近藤嘉宏さんによる、
仲良し対談。
いやー、楽しかった。
一応予定では「ベートーヴェン中期ソナタを語る」と銘打った講義・・だったと思うんですが、まるでファンがセッティングし直したような、(いや、ただ集合しただけなんですけど)ファンが寄るファンのための2人座談会、みたいな感じになっちゃってました。
いいのか? ファンとしては、別にいいだろう、良いんだとも。ですがね。
お二人、ちゃんとファンが多いことを目視で確認してから(?)、最初はちょっと恭しい感じで、大介さんが話を始められました。
箇条書き(手抜き)みたいでもうしわけないっすが、
1、二人の出会い (ファンは知っている、初対面での警戒から早急に打ち解けるまでの過程)
2、大介さんプロデュースで「ベトベンソナタ全曲」という価値ある箱物CDを今、作っておこうと思った経緯
(レコード会社の供給が音楽配信の方向に傾きつつある昨今、recoupできそうなCDしか作らなくなる時代にさしかかっていることも見越して、今、近藤さんの真価を見せ付ける(?)パッケージ化に相応しい録音に取り掛かろうと考えた。というようなお話)
3、2からの流れで、体調を崩したこともあって、「近藤さんの表現も変わったしね」というお話
(弾けなくなるかもという不安からも、一瞬一瞬が大事に思え、瞬間的な音のニュアンスを、より大事に感じられるようになった)
4、ここ数年、建築基礎の土台を取り払った後のような、より自由度や味わいある音楽を作れるようになった。とか、
楽譜から音楽を読み取り、感じ取り、それを自分の音楽表現にしていく重要さ、巨匠の借り物やエゴにならないようにする難しさ、などのお話。
(楽譜は、できる限り作曲者に近い原点版を使い、そこからインスパイアしたい、とも)
5、97年録音のベトベンCD → 数年前の4大ソナタCD → 今回発売の12番~15番のCD
の聞き比べコーナー
(表現も、録音の状態も明らかに違い、音楽表現の深まりの程が見えます。今回のは、音が近く丸みがありキレイで、傍で弾いてもらってるような感覚が味わえます。その点、パッケージ写真の雰囲気←どっちかいうと、こんなポーズ がマッチしていて、女子ファンにはうれしい感じ。ただ、よく知らない人には写真でイメージとジツリョクを誤解されそうな心配がありますが)
6、録音時のエピソードなど
(近藤さんは、音楽作りが「禁欲的」で、「整えよう」とするので、大介さんがいいところを残すようにしている、とか、やっぱり、人間が認識できる音の感覚のすべてをCDに託すことはできないし、感動を伝えるための調整が難しいといったような話)
こんな話題で、軽妙な大介さんリードで和やかに、進行されました。
近藤さんの、超真っ直ぐに音楽に向かわれる魅力が凝縮され、大介さんに乗せられ素も覗かせるような楽しいお話。
ピアノは、上から弾くので、感情がそのまま出るような造りになっている、だがそれでも、やってるつもりで実はそうなっていない場合も多いとかいう話のとき、アチョー(←もちろん近)などという語も飛び出しておりました。
あ、その流れで、ギターはなかなか雄たけびはできないから、たまには雄たけんでみたいよ!という大介さんのセリフがあり、近藤さんはフォルテよりp、pp、pppまでいくような、小さい音でのニュアンスを何倍も重視しているというお話も。
ま、そりゃそうだわな。
・・私は、ピアノの先生が、オルガン専攻でしかも激しい性格だったから、「フォルテが足りない、盛り上がりが足りない」とよく言われて、「私は大げさは嫌いなんじゃー! ニュアンス変えてんのが分からんのか!」と、何度かぶち切れそうになりましたけど・・
・・伝わらなかったってことは、独りよがりだったんだろうけどね。
それにしても、もっと理論的なこと、細かいことを教えてほしかったけど。
閑話休題、(←覚えたて四字熟語。使いたがり)
うーん、それにしてもやっぱり、近藤さんと私は価値観がよく一致するわぁ
お話を聞くと、いつも共感するばかりだけど、今回もやはり「いいと思うこと・感じ方・考え方の過程や内容」がほぼ一致。だから近藤さんの音楽が自然に心に浸透するのね。
私の場合、頭と言動が一致しない、うまく表現する力がないところが、近藤さんとは全く違うんだけどね だから、ま、誰も信じないだろうけどね(笑)
とりあえずいい加減なレポですが、何か思い出したら、また補足・メモ改訂など、いれるかもしれません♪