ダーウィン 今に生きるアイデアと観察眼
ダーウィンは生き物の不思議を研究している現代の科学者にも、新鮮な刺激を与えてくれます。
『ビーグル号航海記』(1839年)、『種の起源』(1859年)が有名で、他にも20冊ほどの著作があります。
ありとあらゆる生き物、オスとメスの役割分担などを観察し、アイデアを山ほど書き残しています。
犬・猫の研究
例えば、 「飼い主に甘えるときの行動が犬と猫で正反対」という感情表現の進化に関する研究が興味深い。
『動物と人間の感情表現』(1872年)に絵入りで紹介されています。日本語訳がなく、あまり知られていない研究の一つです。
ネコは足を突っ張ってしっぽを立て、頭を下げて飼い主に甘える。
犬は、姿勢を低くしてしっぽを振り、頭をもたげて甘える。
我が家の猫を改めて観察してみると、ダーウィンの言う通りなんですね。確かに犬もそうです。
犬好き、猫好きはたくさんいても、この相違に気づかなかった。何にでも注意深く関心を持つダーウィンは疑問に思ったんですね。
ダーウィンは、犬と猫が甘える姿勢を逆転させると、それぞれ獲物を狙う姿勢になることにも気づきました。
犬は獲物を狙うとき、しっぽを立てて足を突っ張る。これは猫が甘える姿勢と同じ。逆に、
猫の攻撃姿勢は、犬が甘える姿勢と一致します。
犬と猫の攻撃姿勢と愛情表現という正反対の感情表現が進化の結果として生まれてきたと考えた。すごく面白いアイデアです。
攻撃や防御に伴う感情表現は、ヒトに進化していく過程でさらに複雑化していきました。
現在、愛情、しっと、憎しみなどの感情を進化理論を活用して解明しようという研究が盛んです。
ダーウィンは130年以上も前に、同じようなことを考えていたんですね。
冒険の旅へ
ダーウィンといいますと、気難しそうなイメージかもしれません。でも、とってもいい人で、幼少から植物や昆虫に親しんだ自然大好き人間でした。
最初、エディンバラ大学医学部で学んだダーウィンは、麻酔なしの手術や血を見るのが嫌で”不登校”になります。
今度は聖職者になろうと、ケンブリッジ大学神学部に入りなおして卒業する。ところが植物学者ヘンズローに出会って野山を歩き、聖職者ではなく、植物や地質の研究をしたいと思うようになったんです。
22歳のとき、ヘンズローが「英海軍の測量船ビーグル号に博物学者として乗り込み、世界一周の航海に出ないか」という耳寄りな誘いを持ちかけてきました。
1831年12月27日、ダーウィンは5年間の冒険の旅に出発しました。
進化を解明
船酔いで相当苦しんだものの、南アメリカに着いてからは驚きの連続でした。(船の長さは約27メートル、242トン。74人が乗り込み、身動きできないほど狭い船内でした。)
絶滅したアルマジロの化石を発掘したり、熱帯の鳥や植物に目を丸くした。
南米を3年半かけて調査。アンデス山脈を歩いたり、熱帯の森林を探検。ねずみの仲間の巨大なカピバラや、地を走るレアという鳥などに目を見張る・・。さぞ、毎日が楽しかったことでしょう。
ビーグル号の旅を通じ、解明したいと思ったのが生物進化の問題でした。でも、有名なガラパゴス諸島で進化理論を思いついたわけではないんです。
陸ガメの甲羅模様やフィンチ(ヒワ)のくちばしが鳥ごとに違うー。このことに最初は気づかず、ダーウィンは帰国後にあわてて調べ直しました。
”記録魔”だった彼の日記を見ると、少しずつ、進化の考え方に到達していったことが分かります。
革命的理論
ダーウィンが『種の起源』を著したのは、世界一周から戻った23年後の1859年。
そこで示した生物進化の理論は、自然選択(自然淘汰)と呼ばれます。
例えば、赤い花と白い花があるとします。花粉を運ぶ蜂が赤い花を好めば、白より赤がたくさん子どもを残します。
その結果、世代とともに、蜂に好まれる赤い花が増えていきます。なんだか当たり前過ぎる話です。しかし当時、これは画期的、革命的な考え方だったのです。
現代に通用
なぜ革命的かー。個体間の性質の違いだけで自動的に進化が起きてしまい、進化のプロセスに神が介在する余地がなくなるからです。また、その考え方を突き詰めると、人間もサルから進化したことになります。
このため、「神が万物を創造した」というキリスト教の教えが絶対だった当事のヨーロッパでは、大変な騒ぎになりました。
神を冒涜する理論だったのですね。
ダーウィンの時代には、DNA(デオキシリボ核酸)など遺伝子の実態も知られていませんでした。最近は、ゲノムの解明など、生物学の研究が飛躍的に進んでいます。そこをとらえて「ダーウィンは古くなった」という人もいますが、ダーウィンが組み立てた生物進化のアルゴリズム(手順)自体は今でもまったく崩れていないのです。
いま、人間の手による持続不可能な開発が問題になっています。熱帯雨林やサンゴ礁が減少、生物の多様性が失われて着ています。
失われた生態系を元に戻すのは不可能に近く、どこかで食い止めなくてはなりません。
-- 矢原徹一(日本生態学会会長・九州大学大学院教授)
進化論とマルクス
ダーウィンの進化理論は、マルクス、エンゲルスなど進歩的な社会思想にも大きな影響を与えました。
エンゲルスは、『フォイエルバッハ論』の中で、
●細胞の発見 ●エネルギーの転化の発見 ●ダーウィンの進化理論 を、
19世紀自然科学の【三つの決定的発見】と紹介しています。
1883年、マルクスの葬儀で読んだ弔辞では、
「ダーウィンが生物界の発展法則を発見したように、マルクスは人類の歴史の発展法則を発見しました」と述べました。
(しんぶん赤旗 日曜版 2008年12・28、2009年1・4合併号より)
130年前に、【人類の歴史の発展法則を発見した】と言ってるのですから、現代人の骨身に浸透させて、戦争や権力社会弱者いじめの歴史を無駄にしたくないところですにゃ。。。
前回記事にサルの映像をアップしたところですが、本能をむき出す「猿」を野放しにしていては・・どうなりますかにゃぁ。。
「猿」といっても、豊臣秀吉よりは暴君織田信長のイメージかもにゃ??と、三浦綾子著「細川ガラシャ夫人」を読んだ吾輩は思いましたが・・
ダーウィンは生き物の不思議を研究している現代の科学者にも、新鮮な刺激を与えてくれます。
『ビーグル号航海記』(1839年)、『種の起源』(1859年)が有名で、他にも20冊ほどの著作があります。
ありとあらゆる生き物、オスとメスの役割分担などを観察し、アイデアを山ほど書き残しています。
犬・猫の研究
例えば、 「飼い主に甘えるときの行動が犬と猫で正反対」という感情表現の進化に関する研究が興味深い。
『動物と人間の感情表現』(1872年)に絵入りで紹介されています。日本語訳がなく、あまり知られていない研究の一つです。
ネコは足を突っ張ってしっぽを立て、頭を下げて飼い主に甘える。
犬は、姿勢を低くしてしっぽを振り、頭をもたげて甘える。
我が家の猫を改めて観察してみると、ダーウィンの言う通りなんですね。確かに犬もそうです。
犬好き、猫好きはたくさんいても、この相違に気づかなかった。何にでも注意深く関心を持つダーウィンは疑問に思ったんですね。
ダーウィンは、犬と猫が甘える姿勢を逆転させると、それぞれ獲物を狙う姿勢になることにも気づきました。
犬は獲物を狙うとき、しっぽを立てて足を突っ張る。これは猫が甘える姿勢と同じ。逆に、
猫の攻撃姿勢は、犬が甘える姿勢と一致します。
犬と猫の攻撃姿勢と愛情表現という正反対の感情表現が進化の結果として生まれてきたと考えた。すごく面白いアイデアです。
攻撃や防御に伴う感情表現は、ヒトに進化していく過程でさらに複雑化していきました。
現在、愛情、しっと、憎しみなどの感情を進化理論を活用して解明しようという研究が盛んです。
ダーウィンは130年以上も前に、同じようなことを考えていたんですね。
冒険の旅へ
ダーウィンといいますと、気難しそうなイメージかもしれません。でも、とってもいい人で、幼少から植物や昆虫に親しんだ自然大好き人間でした。
最初、エディンバラ大学医学部で学んだダーウィンは、麻酔なしの手術や血を見るのが嫌で”不登校”になります。
今度は聖職者になろうと、ケンブリッジ大学神学部に入りなおして卒業する。ところが植物学者ヘンズローに出会って野山を歩き、聖職者ではなく、植物や地質の研究をしたいと思うようになったんです。
22歳のとき、ヘンズローが「英海軍の測量船ビーグル号に博物学者として乗り込み、世界一周の航海に出ないか」という耳寄りな誘いを持ちかけてきました。
1831年12月27日、ダーウィンは5年間の冒険の旅に出発しました。
進化を解明
船酔いで相当苦しんだものの、南アメリカに着いてからは驚きの連続でした。(船の長さは約27メートル、242トン。74人が乗り込み、身動きできないほど狭い船内でした。)
絶滅したアルマジロの化石を発掘したり、熱帯の鳥や植物に目を丸くした。
南米を3年半かけて調査。アンデス山脈を歩いたり、熱帯の森林を探検。ねずみの仲間の巨大なカピバラや、地を走るレアという鳥などに目を見張る・・。さぞ、毎日が楽しかったことでしょう。
ビーグル号の旅を通じ、解明したいと思ったのが生物進化の問題でした。でも、有名なガラパゴス諸島で進化理論を思いついたわけではないんです。
陸ガメの甲羅模様やフィンチ(ヒワ)のくちばしが鳥ごとに違うー。このことに最初は気づかず、ダーウィンは帰国後にあわてて調べ直しました。
”記録魔”だった彼の日記を見ると、少しずつ、進化の考え方に到達していったことが分かります。
革命的理論
ダーウィンが『種の起源』を著したのは、世界一周から戻った23年後の1859年。
そこで示した生物進化の理論は、自然選択(自然淘汰)と呼ばれます。
例えば、赤い花と白い花があるとします。花粉を運ぶ蜂が赤い花を好めば、白より赤がたくさん子どもを残します。
その結果、世代とともに、蜂に好まれる赤い花が増えていきます。なんだか当たり前過ぎる話です。しかし当時、これは画期的、革命的な考え方だったのです。
現代に通用
なぜ革命的かー。個体間の性質の違いだけで自動的に進化が起きてしまい、進化のプロセスに神が介在する余地がなくなるからです。また、その考え方を突き詰めると、人間もサルから進化したことになります。
このため、「神が万物を創造した」というキリスト教の教えが絶対だった当事のヨーロッパでは、大変な騒ぎになりました。
神を冒涜する理論だったのですね。
ダーウィンの時代には、DNA(デオキシリボ核酸)など遺伝子の実態も知られていませんでした。最近は、ゲノムの解明など、生物学の研究が飛躍的に進んでいます。そこをとらえて「ダーウィンは古くなった」という人もいますが、ダーウィンが組み立てた生物進化のアルゴリズム(手順)自体は今でもまったく崩れていないのです。
いま、人間の手による持続不可能な開発が問題になっています。熱帯雨林やサンゴ礁が減少、生物の多様性が失われて着ています。
失われた生態系を元に戻すのは不可能に近く、どこかで食い止めなくてはなりません。
-- 矢原徹一(日本生態学会会長・九州大学大学院教授)
進化論とマルクス
ダーウィンの進化理論は、マルクス、エンゲルスなど進歩的な社会思想にも大きな影響を与えました。
エンゲルスは、『フォイエルバッハ論』の中で、
●細胞の発見 ●エネルギーの転化の発見 ●ダーウィンの進化理論 を、
19世紀自然科学の【三つの決定的発見】と紹介しています。
1883年、マルクスの葬儀で読んだ弔辞では、
「ダーウィンが生物界の発展法則を発見したように、マルクスは人類の歴史の発展法則を発見しました」と述べました。
(しんぶん赤旗 日曜版 2008年12・28、2009年1・4合併号より)
130年前に、【人類の歴史の発展法則を発見した】と言ってるのですから、現代人の骨身に浸透させて、戦争や権力社会弱者いじめの歴史を無駄にしたくないところですにゃ。。。
前回記事にサルの映像をアップしたところですが、本能をむき出す「猿」を野放しにしていては・・どうなりますかにゃぁ。。
「猿」といっても、豊臣秀吉よりは暴君織田信長のイメージかもにゃ??と、三浦綾子著「細川ガラシャ夫人」を読んだ吾輩は思いましたが・・