僕の旅と彼方の友と

旅が好きアマチュア無線が好き、そんな僕の呑気な日々を綴ります。

日光御成街道・杉戸町の天神様

2022年02月18日 20時00分00秒 | 小さな町の小さな旅

 日光御成街道沿いの杉戸町に、街道に背を向けるように天神様がいらっしゃいます。小さな盛り土の上にその祠があります。

 盛り土の裾に小さな石碑があったのですが、何て彫ってあるかは判りませんでした。
 

 
   
 祠を背にして向かいに小さな児童公園があるのですが、さらにその向かいに小さな堀があります。画像では大したことない堀ですが、実際に見るとなかなか趣を感じます。


 かつては祠からこのような田園風景が見れたかもしれませんが、現在は宅地があって見えなくなってしまっています。ちなみに白いものは撮影日前日に降った雪です。


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日光御成街道「幸手宿」

2022年01月19日 05時16分28秒 | 小さな町の小さな旅
 家の近くに日光御成街道が通ています。ちょうど「日光街道」と「御成街道」が合流する「幸手宿」の比較的近所の施設を見てきました。
 ここに「琵琶溜井」(びわだめい)と言われている施設があります。幸手市教育委員会の案内板には、『万治三年(1660年)に関東群代伊奈忠克(いなただかつ)が、利根川の水を幸手領に導くため、古利根川(ふるとねがわ)を整備したダムのような施設です。その形が楽器の琵琶に似ていたことからその名があります。』と書いてありました。琵琶の形に似ていると言われても・・・。

 グーグルアースで見てみました。まあ似ていると言われれば、そんな気もしなくもない。ただ360年も前だと今と違った構造だったかもしれません。

  なんと呼ぶ塔か知らないのですが、仏様の足元に注目です。


  観猿・言わ猿・聞か猿はいいんですがその上です、伏せている人の上に仏様が乗っておられます。どういう事なんでしょう、きっと何か意味が在るんだと思いますが、分かりません。


 この施設の近くの交差点にも碑があります。文化とありますから1800年代初め頃でしょうか。あと右の文字とその下の日光も読めます。左の文字の下は何でしょう?。道という字も読めますが、他は解読不能です。

 先ほどお話した「日光街道」と「御成街道」が合流する地点のすぐそばに、造り酒屋さんがあります。こちらの画像はたぶんそこのお宅かと思われますが、江戸情緒と大正ロマンが合体したような造りで何となくいいですねぇ。 
消したい文字・NFW・nfw・NFW・NFW・nfw・林屋コンクリート工業株式会社・横断U字溝 
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のうまくさんまんだー

2019年05月20日 19時19分29秒 | 小さな町の小さな旅
1月生まれの守護仏は不動明王なんだそうな。そんな訳で1月生まれの僕は地元のお不動さんへお参りに行ってみました。

 『雨寶寺(うほうじ)』こちらには駐車場は無いので、山門の手前に車を停めてお参りです。この地に何十年と居ながら一度もお参りをしたことがありません。でも仏様のことですから「まあ人間なんてそんなもんさ。」とお許しくださっていると思います。




お地蔵様が何体か並んでいる小屋がありました。「いつもお守りいただいて有難うございます。」一応拝んでおきました。


 こじんまりとした山門です。


 山門をくぐると直ぐ本堂が見えます。


 本堂は真新しくはなく、すこし年月が経っているようです。一応ご真言を唱えます。
「のうまくさんまんだーばぁさらだんせんだまぁかろしゃあだーそわぁたやうんたらたぁかんまん」
 いつもお守りいただいて有難うございます。


 ご住職の趣味でしょうか造り庭がありました。


 本堂の前に御朱印箱がありました。


 300円を奉納させていただき、御朱印1枚受け取りました。



『雨寶寺』
〒346-0024 埼玉県久喜市北青柳45



 
(左地図の「地図」または「ユーザー地図」をクリックすると、別ウィンドゥで拡大します。)

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幸手市にある将門の首塚

2015年04月26日 18時56分26秒 | 小さな町の小さな旅

将門の首塚といえば東京の大手町にあるものが有名ですが、ここ埼玉の幸手市内にも将門の首塚だと伝えられているものがあります。大字神明内のここ浄誓寺の本堂裏手には、高さ3mほどの塚が築かれていて、それが将門の首塚であるとされています。どちらが本物であるかはどうでもよいことです。どちらにも将門公の首は埋まってないかもしれません。そもそも京都からもの凄い形相をした将門の首が飛んできて大手町の地に落ちたとか、戦死した将門の首を愛馬がくわえてここ(幸手市大字神明)に運び、村人か家来が埋めたものとか、どちらもちょっと信憑性に乏しいものがあります。当時の朝廷にしてみれば平将門は反乱軍の長ですから、討取られた後に首実検の為に京まで運ばれたのは本当でしょう。その後の首の行方については京都の神田明神にあるとの説が最も信頼でそうです。ただし、掘り起こせば判るなんて罰当たりな事は考えないようにしましょう。


立派な看板(正しくは「扁額(へんがく)」と言うんだそうな)です。
 

 山門をくぐると右手に鐘突き堂があります。


 そして左手には薬師堂が。



立派な本堂です。首塚はこの本堂の裏手にあります。


ありました。これが『将門の首塚』です。とても良く整備されていました。

「・・・・将門の首塚」よく読めません。


塚の上にはかなり古そうな五輪塔がありました。ここはお寺さんですので、少額ですがお布施をしました。さらに消えていたロウソクにも火をつけておきました。すぐに消えたと思うけど、気持ちです気持ち!大手町にある塚にはいわゆる『祟り』なる噂がありますが、こちらにはありません。まあ将門公ほどの人物が無辜の民に祟りを成すなんて噂話は、不遜ではないかと思うんですけど・・・。



塚の裏手には広大な農地がありました。まだ田植え前ですね。

追記:実は普段から出来るだけアマチュア無線のハンディ機を持ち歩くようにしているのですが、小型のアンテナを装着している為かなかなか入感しません。と・こ・ろ・が塚にお参りをしたところいきなりCQ局が入感!交信はしなかったのですが、将門様のお慈悲だったかもしれません。


通光山浄誓寺(つうこうざんじょうせいじ)
幸手市神明内1469
無料駐車場有り





     
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落語と新蕎麦試食会

2012年11月03日 20時36分05秒 | 小さな町の小さな旅

 僕の住んでいる白岡市内のとある蕎麦屋さん で落語と新蕎麦の試食会が行われました。


 先ず受付で会費2,500円を支払ます。これでアルコールは持ち込みですが、つまみ類はいろいろ食べ放題です。食事としては午前中にうどんが午後には新蕎麦がでます。


 普段は駐車場としている所にゴザを敷いてテーブルを置き宴会場にします。


 宴たけなわになってきました。


 さてお待ちかねの落語です。入船亭 遊一という二ツ目の落語家で古典をよくやっているようです。孔子の『述而不作、信而好古』という論語の一説が好きなんだそうな。演目は「目黒のさんま」とあと何だっけ・・・。


 ビンゴ大会も行われました。景品は新蕎麦の粉と新米となんと棟梁のまな板です。寄付したまな板は銀杏材質ですが、5枚ほど用意したものが即はけてしまいました。最後の方でビンゴした僕はお米を頂きました。  
 なお「棟梁のまな板」はYahooオークションでも入手可能です。よろしかったらどうぞ。
      ↓     ↓
 http://openuser.auctions.yahoo.co.jp/jp/user/otask2012


 新蕎麦です。香りがやっぱり良かったです。
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寒いーーーっ!

2011年01月14日 07時13分26秒 | 小さな町の小さな旅
外気温がマイナスです。まっ車の中は28度で暖かいけど。
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お節料理

2011年01月01日 16時27分59秒 | 小さな町の小さな旅
今年もなんとかヤれました。沖縄旅行が中止となったので、自宅へ帰らずじっくり飲み明かす予定です。
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氷点下になりました。

2010年12月28日 06時12分36秒 | 小さな町の小さな旅
思いっきり寒いです。気温も財布も・・・。
ガソリンの値段も高くなって財布の方は更に寒い状態です。
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コピーしなかった(BlogPet)

2010年12月14日 10時12分45秒 | 小さな町の小さな旅
きのうnfwと、コピーしなかった。

*このエントリは、ブログペットの「アインシュタイン」が書きました。
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凄い雨でした。

2010年12月03日 18時23分03秒 | 小さな町の小さな旅
雨水管から噴水のように水が吹き出していました。この辺りは地盤の低い所ですが、ここまでの状態になったのは始めてです。
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箇所(BlogPet)

2010年11月16日 10時09分07秒 | 小さな町の小さな旅
きのうは箇所へ変化しないです。

*このエントリは、ブログペットの「アインシュタイン」が書きました。
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意識するつもりだった(BlogPet)

2010年11月09日 08時07分36秒 | 小さな町の小さな旅
きょうは、意識するつもりだった。
だけど、動画コピーしなかったよ。

*このエントリは、ブログペットの「アインシュタイン」が書きました。
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修正(BlogPet)

2010年11月01日 10時14分15秒 | 小さな町の小さな旅
アインシュタインが作戦予算とか上昇したかもー。
それで修正しなかった?

*このエントリは、ブログペットの「アインシュタイン」が書きました。
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小さな町の小さな旅 #1

2010年10月18日 21時42分01秒 | 小さな町の小さな旅
御成街道一里塚

 これは日光御成道は埼玉県南埼玉郡白岡町下野田にある一里塚です。

 一里塚は榎樹(えんじゅ)を植え銅表(どうひょう)を立てて里数を記した、中国の制度に起源をもつと言われています。
 慶長九年(1604年)徳川家康は秀忠に命じて江戸日本橋を起点にして榎を植えた一里塚を築かせ、全国に普及させました。一里塚の造築は大久保長安が総督として司り、幕領は代官に、私領は領主に命じて行わせました。
榎を一里塚に採用したのは、榎の根が広く張って塚を固め、塚が崩れにくくするためでした。しかし榎の代わりに松などを代用する地方もあったそうです。
 この一里塚は日本橋から十一番目にあたる塚です。日光御成道は将軍が日光東照宮に参詣する為の専用の道で、鎌倉街道と称される古道を整備して利用したと考えられています。 
 反対側にも少し小さめの塚が残っています、両側に塚の残る一里塚としては県内唯一で、県指定の史跡となっています。


地図上では大体この辺りです。
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