『馬籠宿』(まごめじゅく)
「お民来て御覧。きょうは恵那山がよく見えますよ。妻籠の方はどうかねえ、木曽川の音はきこえるかねえ」
「ええ、日によってよく聞こえます。わたしどもの家は河のすぐ側でもありませんけど」
「妻籠じゃそうだろうねえ。ここでは河の音は聞こえない。そのかわり、恵那山の方で鳴る風の音が手に取るように聞こえますよ」
「それでも、まあ良い眺めですこと」
「そりゃ馬籠はこんな峠の上ですから、隣の国まで見えます。どうかするとお天気の良い日には、遠い伊吹山まで見えることがありますよ」
林も深く谷も深い方に住み慣れたお民は、この馬籠に来て、西の方に明るく開
けた空を見た。何もかもお民にはめずらしかった。僅かに二里を隔てた妻籠と
馬籠とでも、言葉の訛りからしていくらか違っていた。この村へ来て味わうこと
の出来る紅い「ずいき」の漬物なぞも、妻籠の本陣では造らないものであった。
島崎藤村『夜明け前』より
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とりあえず馬籠宿を散策した様子を動画でご覧下さい。GW真只中とあってかなり込み合ってます。
中山道六十九宿のうち、木曽谷には十一の宿場が置かれていました。馬籠は板橋を一番目とすると四十三番目の宿場になり、江戸からの距離は八十三里六町(326.618182Km)余りとなっていました。
街道が山の尾根に沿った急斜面を通っているので、その両側に石を積んで屋敷を造る「坂のある宿場」が特徴だそうな。
明治28年(1895)と大正4年(1915)の2度の大火で江戸時代の遺構の殆どを焼失してしまったそうな。
動画の中で出てくる大きな水車は実は発電機で、中はこの様になっていました。
発電された電力は実際に近所で使われているそうな。
そもそも中山道ははじめ「中仙道」と書かれていましたが、本州の中部山岳地帯を貫いている道路ということから享保元年(1716)以降「中山道」と書き改めやはり「なかせんどう」と読ませたそうな。
洒落たデザインですが、防火水槽じゃないんですねぇ。
なかに消火器が入っているんです。よく見ると書いてありますけど・・・。
岐阜県中津川市馬籠
『妻籠宿』(つまごじゅく)
駐車場から車を降りて宿場街に入って最初に出くわすのがこのお店。やけに目立つ物が置いてあります。
藁(わら)でできた巨大な馬でした。感覚的にポニー位の大きさああります。よくぞ作りました、お疲れ様です。
観光案内などによく出ている風景です。何の木だかは知りません。
画像よく見ると何となく構造が分かるかも知れません、昔のシャッターです。良くできています。
こちらもGWとあってかなり観光客が来てました。
ひょっとして今でも使っているみたいです。そんな感じがします。
道は殆どアスファルトで舗装されていますが、このような整備はされてますが未舗装の道もあります。風情があって僕は好きです。
雨樋(あまどい)は木製です。複数の板を組合せた物や、一本の木を彫って作った物等
がありました。
このような路地も見どころ行きどころです。
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蘭(あららぎ)川です。
宿のこちら側からは蘭川が良く見えます。川の流れを眺めつつ、昔の人も旅の疲れを癒していたのかも知れません。
「鯉岩」です。鯉が跳ねてる姿に似ている為に名付けられたそうですが、全くそんな感じには見えません。昔は見えたそうですが、明治二十四年の大きな地震で動いてしまい、こうなったそうです。
「鯉岩」上部からの家並みです。
「本陣」(大名のお偉いさんが泊まる所)です。中まで見学しませんでした。
長野県木曽郡南木曽町吾妻
後日、時間を見つけて番外編をUPしたいと思っています。