中国貴州省とそこで暮らしている苗族トン族等の少数民族を紹介しています。

日本人には余り馴染みのない中国貴州省と、今私が一時滞在中の雲南省や大理白族自治州大理古城について

納西族の集団情死その1

2015年01月28日 | 少数民族の祭り

中国の中央TVの10チャンネルの番組に、「探索・発現」と云う番組があります。その番組の中で最近、「納西 納西」と題して雲南省は麗江地区に住む少数民族「納西族」の歴史、信仰、文化、音楽、習慣等を取り上げ放送しています。その「納西 納西」の第四集(1月26日放送)では、専ら納西族の「情死」(中国語では殉情と云う)について取り上げています。その番組に拠れば、1942年の秋には、麗江の中心から8キロ程離れた垃市のある村では、一度に6名の若い女性が自死する事件が起きたとの事です。彼女らが共に自死した理由は、意中の人と結婚出来なかった事に因るとの事。番組の中では、自死した女性達の親戚やその当時の事情を知っている村人も登場して、一度に6名もの若い女性が集団で自死したと云うその悲惨な出来事を語っています。

私は、1989年には、雲南省昆明市にある雲南民族学院(今は大学になっています)に語学留学していました。1989年は例の事件が起きた年なので中国に留学する留学生の数も激減して、雲南民族学院の留学生も僅か4名で、それも全部日本人と云う様な状況でした。それで皆で相談して毎週一回雲南省に住む少数民族についての講義を受けていました。雲南民族学院には少数民族に関する研究所があり、その学問的な研究の水準も高いと云われていたようです。また、日本を含め諸外国の大学や研究機関とも交流があり、多くの研究者も雲南民族学院を訪れていたようです。そこで皆で相談して少数民族の講義を受ける事にしたのです。

その研究所の先生方に代わる代わる「雲南省に住む少数民族」と題して講義をして戴いたのですが、その講義内容は今となっては殆んど忘れたのですが、矢張り大変印象に残っている物のひとつに、納西族の若い男女が集団で心中すると云う話でした。それも一組だけでは無く、時により、二組、場合により三組と多くの若者が一緒に心中すると云う話でした。当然、何故に納西族の男女が時により集団で心中するかに関しての説明もあったと思うのですが今となっては、その背景や理由については全く覚えてません。ただ、場合により集団で心中すると云う事が記憶に残っています。

1942年に一度に6名もの若い女性が集団で自死したと云う出来事は、今でも一部の人の間では忘れる事の出来ない出来事として記憶に残っているようですが、私が受けた講義の中でも、この出来事が触れられたかは今では全く覚えていません。番組に拠れば、6名の若い女性達はもっとも綺麗な衣装を着て、深い森の中に分け入り、大木の枝に布を掛け、集団で縊死したとの事です。自死した理由は、皆それぞれ意中の人が居たにも関わらず別な人と結婚させられた故との事。

1949年以前は、麗江に住む多くの納西族には、親戚には必ず情死した人が居ると云われる程情死が多かったとの事。それ程「情死」は云わば有り触れた事だったとの事です。ある外国人は「納西宗教」と云う著書の中で、納西族はアジアの民族の中でも一番集団情死が多い民族として記述しているとの事。また、ある外国人は、その著書の中で「麗江は殉情の都」とも表現しているとの事。日本でも心中が多い様ですが集団で心中すると云う事は先ず聞かない事と思います。また、諸外国でも集団で心中すると云う事実は多くないようです。

 

納西語では「姑滋」と呼ばれる帽子。結婚した女性が身に着ける帽子。この様な伝統的な帽子を身に着ける女性も次第に減りつつあります。

 

多くの少数民族では既婚女性か未婚女性かは服装などで区別する場合が多い貴州省に住む苗族等もその服装で既婚か未婚かが分かります。

 

最近では、このような納西族の伝統的な帽子ではなく、何処でも見かけるような帽子をかぶる女性も多い。


麗江の四方街での納西族の踊り。近年は、ここ四方街も観光客で溢れかえりこのような光景を見かける事は滅多にありません。

 

この日は、大変珍しい事に、地元の納西族の人で四方街が埋まりました。観光客も殆んど見かける事が無く、観光客は珍しく脇役です。


北斗七星を表すと云う肩掛け。山羊の皮で作るとの事。

 

 私が最初に麗江を訪れたのは1989年1月の事です。その後1989年9月からは雲南省昆明市の雲南民族学院に語学留学していたこともあり、この年の10月にも麗江を再び訪れました。その頃は四方街では定期的な「市」も開かれていました。残念ながらその時に摂った写真は全部なくなってしまいました。これらの写真は2011年に麗江を訪れた時の物ですが、その時偶々祭りがあり、大変に珍しい事に、四方街で納西族の人々が集まって皆で踊っていた時の写真です。今では普通はこのような光景は滅多に見る事は出来ません。四方街は、普段は麗江に詰めかける大変な数の観光客で埋め尽くされています。四方街を取り囲む建物も一見すると昔の様な感じですが、すっかり新しくなっており昔の面影はありません。

 

 

 

 



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