西京極 紫の館

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戦国武将のお宅訪問 57 - 筒井定次 / 伊賀上野城 -

2022年12月17日 23時09分34秒 | お城探訪
自宅から車で1時間弱で行ける近場のお城へ行ってきました。和田竜の小説『忍びの国』の舞台である伊賀国  伊賀上野城であります。

この小説では他国の雇われスパイを生業とする伊賀の地侍たちがお互いの保身の為に仲間を裏切り殺し合うという“ひとでなしの国”であると描かれていますが、事実はどうあれ地侍同士が割拠し、統率した組織が成立しなかった為、織田信長(実際に殲滅戦を行ったのは信長の息子・信雄ですが)によってそのほとんどが殲滅されたという歴史(天正伊賀の乱)があります。そんな伊賀の里ですが、2022年現在でも町のウリは“忍者”と松尾芭蕉です。芭蕉自身も忍者であり、俳句を詠みながら全国を巡っていたのも実は諸国の情勢を探る諜報活動だったのでは…と言う人もいるくらいです。城へ向かう途中には芭蕉の生家が観光名所として保存されていたりしました。(寄りませんでしたが…)

お城観光用の駐車場(駐車料600円)に車を停めて、ワンコの散歩を兼ねて天守へ向かいます。

駐車場からの道はキレイに整備されていて、この日は雨がパラつく生憎の空模様でしたが足元の心配をする必要もなく見て回れました。

伊賀上野城のウリである忍者屋敷。イイ感じのかやぶきの家ですが、中にはどんでん返しの壁やら隠し階段などの仕掛けがあちらこちらに設えられているそうです。(入場料は大人800円とちょっとお高め…)僕はイヌ連れなので入れませんでしたが、1日3~4回忍者の実演ショーが開催されていて、その掛け声が外まで響き渡ってました。その声にイヌがビビリまくってましたww

忍者屋敷を横目に進むと個性的なデザインのでっかいお堂がありました。このお堂、俳聖殿と言いまして、芭蕉の旅姿を模したお堂だそうです。県指定の重要文化財とのことで、以下がその説明看板。

お堂の中を覗き込んでみると奥の方に仏様のような像が安置されていました。これ、伊賀焼で造った芭蕉像らしい。

俳聖殿の脇にはこちらも風情のあるかやぶきの立派な門があります。この門も県の重要文化財のようです。その門を潜って右手へ回ると今度は左手に石段があり、それを上ると広場の奥に模擬天守が見えてきます。
天守右側面
この模擬天守、昭和10年(1935)地元の代議士・川崎克が私財を投じて建てたもので、純木造。天守は層塔型三層三階でそれに連結する小天守は二層二階建て。
小天守
おそらくこの天守は筒井定次時代のものを再現しようとしたのだと思われますが、筒井氏の後、伊賀国に入った藤堂高虎が大規模な改修を行い五層五階の大天守を建てる為に石垣もそれ用に大きくしたようです。その五層の天守は竣工直前に暴風により倒壊。その後徳川家康の天下となってからは城普請禁止の布告がなされ再建されることはなかったとの事。五層用の石垣に三層の天守が乗っかっているのでちょっと見た目的にはアンバランスな感じもします。ここも内部が資料館となって有料(大人600円)で見学可能ですが、イヌ連れなので入れず外観を眺めつつ一周してみました。
天守左側面
天守背面
天守の右手側にはこの城跡のもうひとつの見どころである高石垣が観られます。

案内板には「日本で1、2を争う規模の石垣」と書かれていました。なんやその奥歯にモノのはさまったようなビミョーな表現は…?でも実際この石垣の頂上から足元の堀を見下ろしてみると…おおっ、これはなかなか怖い!

雨と泥で汚れたワンコを高石垣脇の石の上でフキフキしつつ…

う~ん、こりゃあ立派な石垣だわ。この辺の普請は築城の名人高虎らしい仕事ですな。

模擬天守と高石垣を堪能した後、大手門側へ回り込んでみます。

きれいに整備された石段を右手に上ると、そこには城代屋敷の跡がありました。

この芝生の広場が藤堂高虎転封後、天領となった伊賀上野の城代が住んだお屋敷跡。庭には池もあったようです。今はただ間取りを示す白線が引かれ、「玄関」とか「広間」とか説明板が置かれているのみです。この写真中央奥には模擬天守が見えています。

観るものは一通り観終わったので、雨脚が若干強まる中、駐車場に戻ります。その道すがらきれいに色づいた紅葉があったので写メっときました。



今回はイヌ連れだったので忍者屋敷も天守にも、芭蕉記念館にも入れませんでしたが、また機会があれば観てみたいですね。
ニンニン


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