雪や工事の段取りで予定より一ヶ月遅れましたが、先日主役の松を迎えに行ってきました!
去年九州の産地を何箇所も周り、それぞれの生産者の方と話してきましたが、
松を使うなら、この方の作った松しか欲しくないと思いました。
何十年もの間、手をかけて育てられた感動的な松です。
配達をお願いすれば何の手も取られず安全に届くと思いますが、
生産者のKさんにもう一度お会いして直接お聞きしたいことや
松が育った土や空気感を見ておきたいと思い、迎えにいくことにしました。
松保護士、樹木医の資格を持たれるKさんは松の枝を触りながら、熱心に教えてくださいました。
本当に行って良かった!!
知らないことも多く、目からウロコでした。
大切に育てて行きます!
松を積んで帰り道。
いろんなことに思いを巡らせました。
雑木の庭、仕立て物、自然風透かし剪定・・・。
建築様式が変わってしまったので、「庭」に求められることも大きく変わってきました。
ですが、どんな庭であっても優先するべきはスタイルではなく植生です。
環境、気候風土にあっていなければ、松は松ではなくなります。
他の樹も同じです。
松枯れがでたり、滅茶苦茶に剪定された松が氾濫して、
本当に美しい松は稀少になってしまいましたが、本物の松は次の世に引き継いでいかねばならない宝です。
私が庭師を志したのは、松を含めて日本庭園の技術やこころを次の世代に引き継ぐ歯車の一つになりたいと思ったからです。
日本庭園の技術は繊細です。植物や自然を愛で、訪れる人に対するもてなしや気遣いのこころが溢れています。
昔ながらの日本庭園だけではなくて、どんな庭園であってもこの想いを伝えるために作庭していきたいのです。
親方はいつも、
「誰が作ったかなんて誰もわからなくなったときに「いい庭だな」っていってもらえるような庭を作りたい。」
と言われます。
以前テレビで「七つの子」の作詞者の方が
「時を経て、誰が作ったかわからない歌になった頃に誰かに口ずさんでもらえたなら、その歌は本物になる。」
と言われたことに深く感動されたからだそうです。
最近の多くの流れとは違うかもしれませんが、私はこの考えをとてもリスペクトしています。
「誰々が作ったから素晴らしい」のではなくて、「誰かはわからないけど、昔の人はすごいな。」
と言われるような庭を作っていきたいと思います。
さらっとした雑木の赤ちゃんが主流の時代に、仕立てられた松なんて・・と思われるかもしれません。
でも、雑木の庭では釣り合わない建築もあります。
風格、品位、圧倒的な存在感・・・本当に素晴らしい松です。
生産者、庭師、施主様、全員がこの松にかけられた時間と愛情に同じ価値感を持っていないと
連れて帰ってくることは出来ません。
高速のパーキングで何度も確認。
大型車の間に挟まれてちょこんと見えるうちのユニックでしたが、松の頭は誰よりも高かった。
松を支えてくれた支柱。
枝一本も折れることなく無事に到着しましたよ。
丁寧に掘り取られた後に風よけのためもう一度巻いてありました。
施主様御夫妻もとても喜んでくださいました
「この松を送り出された方もさぞかし別れがお辛いことでしょうね。」
「朝日を受けてキラキラと光る様が美しい。」
松を家族のように迎えて、眺めてくださるお言葉にじーーーん
この日、朝6時に出発して、帰ってきたのは夜中の2時でした。
片道9時間かかって最後はヘロヘロでしたが、全て報われました。
親方もこの日以来、「京都も広島もちょっとそこまでって感じのごく近所じゃ!!」と言われるようになりました。
・・・ということは、まだまだ仕入れに行かれるみたいですね
完成を楽しみにしていてくださいね!