昨夜テレビで、NHKスペシャルを見た。
人生百年時代の番組で、このところ関心を持っている内容だったので
是非とも見ようと決めていた。
「命の終わり方について考えてみませんか?」と言うのだ。
高齢者にどのように命を終わりたいと思っているかたずねてみると
多くの人が「住み慣れた自宅で、穏やかに、痛みも感じずに、静かに逝きたい。」
と考えているという。
私も全く同じで、延命治療などは望んでいない。
実は実父が病院に入院した時に医師から「胃ろう手術」を勧められた。
家族で相談した結果、胃ろう手術を受けることになったのだが
それが父にとって本当に良かったのか?と亡くなった今も疑問が残る。
食べることが大好きだった父が食べ物を口からとることもできなくなり
横たわっている時間が長くなっただけで幸せだったとは言えなかったのではないか?
そんなことを今も思ってしまう。
そう言えば、父が認知症になっていなかった頃
どのように命を終えたいと思うかなんて話をしたことがなかった。
もしも、救急車で運ばれて人工呼吸器をつけたほうがいいと言われた時
つけてでも長生きをしたいと思っているかどうか確かめもしなかった。
だから、父の本心はどうだったか全く分からないままだったのだ。
これがそもそもの間違いだったように思う。
自分がどんなふうに命を終えたいと考えているか
日頃から家族に伝えておいた方がいいなと今私は心からそう思っている。
テレビでは、親が延命治療を望んでいないと分かっていたのに
突然倒れた時に、動転して救急車を呼び病院に搬送され
病院で延命治療をするかどうか決断を迫られることがあると言っていた。
「人工呼吸器をつけますか?家族で話し合ってください。10分程度お待ちします。」
何て言われても、そんなに早く結論を出せるはずもないと思うが
そんなふうに迫られると、心が揺らぎ、少しでも長生きできるなら
人工呼吸器をつけることにしようかと言うことになりそうだ。
つまり本人が本当は望んでいない延命治療を受けることになるケースもままあるらしい。
臨まない治療を受けるようなことにならないように
家族には自分の考えをしっかり伝えておかないといけないなと強く思う。
ただ、家族といえども一人一人思いが違うから折り合いがつきにくいこともあるだろう。
でも、最後ぐらい自分の命の終わり方を自由に選択させてもらってもいいのではないか?
命ある時間を充実させて、やりたいことをたくさんやり存分に生きたい。
そして、死ぬときは穏やかに静かに痛みなく命の火が徐々に消えるように逝きたいと私は思う。
人生百年時代の番組で、このところ関心を持っている内容だったので
是非とも見ようと決めていた。
「命の終わり方について考えてみませんか?」と言うのだ。
高齢者にどのように命を終わりたいと思っているかたずねてみると
多くの人が「住み慣れた自宅で、穏やかに、痛みも感じずに、静かに逝きたい。」
と考えているという。
私も全く同じで、延命治療などは望んでいない。
実は実父が病院に入院した時に医師から「胃ろう手術」を勧められた。
家族で相談した結果、胃ろう手術を受けることになったのだが
それが父にとって本当に良かったのか?と亡くなった今も疑問が残る。
食べることが大好きだった父が食べ物を口からとることもできなくなり
横たわっている時間が長くなっただけで幸せだったとは言えなかったのではないか?
そんなことを今も思ってしまう。
そう言えば、父が認知症になっていなかった頃
どのように命を終えたいと思うかなんて話をしたことがなかった。
もしも、救急車で運ばれて人工呼吸器をつけたほうがいいと言われた時
つけてでも長生きをしたいと思っているかどうか確かめもしなかった。
だから、父の本心はどうだったか全く分からないままだったのだ。
これがそもそもの間違いだったように思う。
自分がどんなふうに命を終えたいと考えているか
日頃から家族に伝えておいた方がいいなと今私は心からそう思っている。
テレビでは、親が延命治療を望んでいないと分かっていたのに
突然倒れた時に、動転して救急車を呼び病院に搬送され
病院で延命治療をするかどうか決断を迫られることがあると言っていた。
「人工呼吸器をつけますか?家族で話し合ってください。10分程度お待ちします。」
何て言われても、そんなに早く結論を出せるはずもないと思うが
そんなふうに迫られると、心が揺らぎ、少しでも長生きできるなら
人工呼吸器をつけることにしようかと言うことになりそうだ。
つまり本人が本当は望んでいない延命治療を受けることになるケースもままあるらしい。
臨まない治療を受けるようなことにならないように
家族には自分の考えをしっかり伝えておかないといけないなと強く思う。
ただ、家族といえども一人一人思いが違うから折り合いがつきにくいこともあるだろう。
でも、最後ぐらい自分の命の終わり方を自由に選択させてもらってもいいのではないか?
命ある時間を充実させて、やりたいことをたくさんやり存分に生きたい。
そして、死ぬときは穏やかに静かに痛みなく命の火が徐々に消えるように逝きたいと私は思う。